【深紅】と【鬼神】
「お二人と離れてしまって大丈夫だったんでしょうか」
僕の横を並走しながら奈罪は問いかけてくる。
けれど僕はそれに答えることが出来ない。
「今はそれどころじゃないだろ! ああもうめんどくさい!」
僕達が体力温存など考えず精一杯走っている理由は、後方から追ってくる無数の人工因子が絶えず攻撃を仕掛けてきているからだ。相手にしていると時間と体力の無駄ということで、逃走に全ての力を傾けている。
「相手の目的はあくまで漆さんです。もしも漆さんが孤立してしまったら、相手の思う壺なのではないでしょうか」
「そうは言っても、これが最善手だろう。それに僕が独りになるなんてこと、絶対にありえない」
「どうしてそう言い切れるのですか。相手が何を仕掛けてくるか分からない今、あらゆる可能性を考慮しておかなければ、この施設からは生きて出られないと思うのです」
「僕には”漆黒”がいる」
「それはどうでしょうか」
僕は横目で奈罪を見る。
奈罪は一体何が言いたいのだろう。
「後二つ以上ああいった空間が広がっていて、そこで私と”漆黒”様を引き剥がす算段だと思うのです」
「僕と”漆黒”を引き剥がす?」
「相手はあの白神白霧です。あなたと”漆黒”様を引き剥がす手段はもう見つけているはず。となればあとは舞台を整えるだけです。そして今回の件。相手はもう準備を完了して待ち構えているはずです」
胸騒ぎがした。
もし奈罪の言うことが当たっていれば、僕達は今相手の手のひらで踊っているわけだ。
「気をつけてください、漆さん。いつどこで相手が漆さんにアクションを起こしてくるか、全く予想できませんから」
それきり、僕達は無言になる。
僕と”漆黒”を一時的にでも引き剥がすことが出来る手段なら、いくらでもある。けれどその手段は、まるで……
「また広い空間に出ましたね」
さっきの空間よりも若干広く、縦幅が異様に長さで天井が遥か上に見える。
「この地形を活かせる因子はあまりいない。翼の因子が顕現したという情報は入ってないし、何より高度が足りない」
「漆さん。今は余計なことを考えている場合ではないかも知れないですよ」
そう言われ僕は奈罪の視線の先を見る。
そこには赤いドレスを身に纏った女性と、これまた赤い外套を纏う男性が立っていた。
二人には見覚えがある。
僕を左腕を消し飛ばし、連れ去ったあの深紅の因子と鬼神の人間だ。
「赤ですか……手強そうですね」
後ろから来ていた人工因子の群れが、後方の入り口で待機している。深紅の因子が恐ろしいのかも知れない。それとも……
「あら、お久しぶりです”漆黒”様。まだ生きていたのですね。私はてっきりもうこの世の方ではなくなっていたと思っていました。申し訳ございません」
優雅に振舞う深紅の因子は、心底不思議そうに僕を見る。挑発だと分かっていても、この反応にはイライラする。
「二人で一気に叩きましょう……と言いたかったのですが、予定変更をしましょう」
さきほどまであんなに独りにはなるなと言っておいて、今更別行動しようだなんて、一体奈罪はどういうつもりなんだ。
「前方には深紅の因子と鬼神。後方に控えるは、百は下らない人工因子。この状況下でお互いが消耗してしまったら、ここで全滅するのは目に見えています。最善手とは言い難いですが、私がこの場に残って全ての敵を相手にするのが次善手だと判断しました」
「勝手なことを言うなよ。一緒にいたほうがいいって言ったのは奈罪だぞ。僕もここで戦う」
「ダメです!」
「どうして! 二人でやれば消耗も少なくなるかも知れないじゃないか!」
「まだ鬼神殺鬼が、姿を現してません」
僕は言葉を失う。
そうだ。あの戦闘狂が、ここまで来て戦わないなんてこと、ありえるわけない。
それはつまり、この奥で僕達が来るのを待っているということだ。
「今ここで私達が互いに体力などを消耗して勝っても、万全とは程遠い状態では殺鬼には勝てません。だから、ここは分かれてでもどちらかを万全の状態に保ったまま奥に向かわせるのが一番ベターです」
僕はそれでもためらう。
相手は深紅の因子と鬼神だ。今回が事実上初の実戦である奈罪が相手取るには、重すぎる相手だ。ここは僕が意地でも残って共闘しなければ、奈罪は確実に殺されてしまう。
くそっ、咄嗟に判断できない。
そのとき、僕の左腕に暖かい感触のものが触れる。奈罪の手だ。
「私は大丈夫です、漆さん。私はこんな場所で斃れるほど弱くはないつもりです。それに、まだやり残したことが多すぎて、死んでも死にきれません。だから、私は大丈夫」
祈るように僕の手を握り、優しい瞳で語りかけてくる奈罪。
もう、僕の意思とは関係なしに、答えは出てしまっていた。
「……分かった。けれど、劣勢になったら逃げてこいよ。絶対に死ぬんじゃないぞ」
「最後に、頭撫でてもらってもいいですか?」
僕は無言でうなずき、奈罪の頭をなでる。
その顔は幸福に満ちていて、本当にどこにでもいる女の子にしか見えなかった。けれど、そんな奈罪も今から死闘を繰り広げ、最悪命を落とすことになる。
僕は胸が締め付けられるような感覚に襲われ、その感覚から逃げるように奥の通路へ駆けて行く。
「ありがとうございました。漆さん」
最後の言葉は、聞かなかったことにする。まともに受け取ってしまえば、僕はこの先戦えなくなってしまうから。
僕は一切の感情を振り切る勢いで奥を目指し、走る。
「これであとは”漆黒”だけですね」
「しかし、過祭の娘は鬼神と赤に勝てると思っているのか?」
「勝てませんよ、絶対に。だから時間稼ぎを買って出たのではないでしょうか」
「まぁ漆以外がどうなろうが関係ない。それよりフリージアは何か反応を見せたかね?」
「漆が近づくにつれ、意識が鮮明になってきているようです。ですが、まだ良くて二割といったところでしょうか」
「世界を滅ぼす元凶。史上最も邪悪な災厄。混沌の種。この全てがもうすぐ、ここに集結する。新しい世界のその始まりは、もう目の前だ」




