逃走
七月二十五日。時刻は午後二時を少し回った頃。
僕は自室のベッドの上で、見慣れた白い天井をぼうっと眺めていた。
愛美と唯香は僕の二週間後の決戦への対抗策に、明確な答えを未だ出せずにいた。
それもそのはず。
僕が思いつきで出したその策は、策自体が僕の『死』を主軸に立てられている。勿論本当に死ぬわけではない。ただ、僕の肉体的死亡率と精神的死亡率が極端に高く、かつどちらか一方の死亡を経験しなければいけないという、極めて無謀で成功率が低い策だった。
二人は僕の説明を聞いて、その策の無謀さを理解すると猛反発した。
だが、この策を実行すれば、絶望的な数値を差すであろう僕の生存確率を、格段に上げることが出来るはずだ。一時間弱で考えた僕の策は、常人の思考では真っ先に破棄されるべきものであり、僕自身あまり推奨は出来ないし、ましてや僕がそれを実行しなければいけないと思うと、胃が痛くなる。
どれくらいの時間、そうしていただろうか。既に窓の外には夕闇が広がりつつある。
まぁ、仮にも自分達の兄弟を殺す策を、当人自らが提示してきたのだ。時間はかかるか。
とりあえず時間を潰そうと考え、読みかけだった文庫本を取り出し、途中から読み始める。
『おい人間。さっきのあれは、いったいどういうことだ』
姿も現さず話しかけてくる”漆黒”は、気のせいか少し怒っていた。
「どういうことも何もないよ。ただ僕が死なないように死ぬだけだ」
『意味がわからない。貴様頭がおかしいのか』
「頭がおかしいとは、自分でも思ってるよ。けれど、そうでもしないともう詰んでるんだよ、僕の人生は」
『まぁいい。それよりも貴様には色々と伝えておかねばならないことと、問わねばならんことがある』
「それはいいけれど。その前にお前顕現しろよ。喋りにくいから」
僕がそう言うと、僕の左腕から黒い影がゆらゆらと出てくるかと思うと、目の前の空間を回転し、やがてその影は見慣れた一つの姿になる。
「伝えなければいけないことは一つだけだ」
「なんだ?」
”漆黒”は珍しく少しだけ躊躇しているように見えた。一体何を言おうとしているのか分からないが、愉快な話題ではないことは確かだ。
「少し前に話したと思うが、私は私情によって貴様への侵食を制限している。けれどそれはあくまで制限であって、停止させているわけではない」
「それは、聞いたよ」
誰との約束かは黙秘をしているが、こいつが律儀に守っている現状を見れば、その人(多分人だろう)は相当のお偉いさんか、またはこいつがよほど信頼していて尊敬もしているかだ。そうなると人数は限られてくる。まぁ、僕が知らない人との約束かもいれないので、断定は出来ないが。
「侵食が止まった」
「……は?」
僕は訳が分からず気の抜けた声を出してしまう。
侵食は、止めることが出来ないんじゃないのか?
どうして止まらないはずの侵食が、止まる?
「理由は私にも分からない。突然、貴様への侵食が五十パーセント目前でぴたりと止まったのだ」
”漆黒”もこのときばかりは本当に理解出来ていないのか、あまり見たことのない面白い顔になっていた。悩んでいる顔なのか? この面白い顔は。
「それは私の仕業ですよ」
声の方に視線を移すと、そこにはタオル一枚巻いただけの艶めかしい姿をさらす殺が立っていた。
全裸よりかはましだが、もう少し防御力がある布を着用して欲しい。目の保養にはなるが、精神衛生上よろしくない。僕はベッドの横にある洋服箪笥からTシャツとハーフパンツを取り出し、殺の足元に放り投げる。
「とりあえずそれを着ろ。話はその後聞く」
殺は足元の洋服を取り、着替える。ぶかぶかのTシャツと今にもずれ落ちそうなハーフパンツだったが、タオルよりは断然いい。
「漆君の、匂いがする」
とても可愛らしい猫なで声で、大変耳が幸せなのだが、その声の主が殺なのが残念すぎる。
「僕はそれくらいじゃ、動揺とかしないからな」
「面白くないな、君」
面白さを求めているなら僕じゃなくて愛美をいじれ。
「それよりも」
僕は姿勢を正す。ここからは真面目な話をするというのを言外に相手に伝えるために。
「私の仕業って、どういうことだ?」
”漆黒”も興味深そうに殺を見る。
「簡単なことさ。漆君、私達に因子が定着しないのは、知ってるよね」
「そんなこと生まれる前から知ってるよ」
いや、待て。
どうしてこいつはそんな当たり前のようなことを確認した? 鬼神の因子拒絶は誰もが知っていることじゃないか。
けらけらと笑う殺は、とても楽しそうだった。
嫌味ったらしい顔で僕を見ている。こいつ一体僕に何をしたんだ?
しばし思考する。ピースは揃っている。あとは僕が正しい位置にはめる事さえ出来れば、全てが明らかになる。考えろ。頭をフル回転させるんだ。考えることをやめれば、また昔に逆戻りだ。
殺すことでしか生きることが出来なかった、昔の自分に。
「”漆黒”様。侵食が止まったのはいつだ?」
「今日の午前二時過ぎだ。それとその呼び方やめろ人間」
真夜中じゃないか。しかも停止したのはついさっきと言っていいくらい最近だし。
「因子。本当に僕の侵食は止まったのか?」
もう一度確認してみる。
「何度も言わせるな。本当に止まっている。大体、侵食が進行しているときは私の力が少しずつ大きくなっていくのが分かる。しかし、その感覚が完全に止まったのだ」
”漆黒”がわざわざ嘘をつくとは思えない。止まったのは間違い無さそうだ。
「殺、昨日お前は僕のベッドで寝たな」
「うん。寝たよ」
「具体的には何時くらいにここに来た?」
「午前一時半くらいだったかな」
僕は確信する。こいつがそのとき僕に何かしたのは間違いない。そしてさっきの再確認。一つだけ仮説が出来上がるが、果たしてそんなことが本当に起こるのか? それにこの仮説が本当だったとしたら、今僕もこいつも結構危険な状態なのではないのだろうか。
けれど、僕は仮説をぶつけてみる他、選択肢はなかった。
こんなところで躊躇はしていられない。
「殺、お前は僕と”漆黒”を切り離そうとしたな?」
「どうしてそう思う?」
一つずつ仮説を述べていく。
「これは僕には分からないが、お前は僕か”漆黒”どちらかを連れ去ろうとしたんじゃないだろうか」
「何のために?」
「お前が、僕達の側でなく、白神の側に与しているから」
にやにやと、心底愉快そうな表情を浮かべながら殺は僕を見る。
「今回の依頼は少しおかしい。あの白神が情報を漏洩するなんて事を、僕はずっと信じられなかった。けれど、それがもし全て自作自演なのだとしたら、腑に落ちないかい」
依頼を出したのは白神白霧。
僕を襲ったあの赤い因子も白神一族が解析と偽って召集。
鬼神一族の屋敷を燃やしたのも白神、もしくは鬼神の人間。あるいは因子。
そしてついさっき、僕から”漆黒”を剥がそうとした。
「目的はなんだ?」
怒気を含んで言い放つ。
「僕が本当に敵側だと思っているみたいだね」
「そうじゃないと説明がつかない」
元々こいつは疑っても疑いきれないくらい怪しい。存在自体が怪しいと言っても過言ではないくらいだ。
「理屈なんて、どこにでもくっつくものさ」
「学校の職員室で、お前は血の付いた刀を持っていたな。あれは誰の血だ?」
殺は黙ってしまう。
「あの時お前は僕の中に自分の血を入れていたんじゃないか?」
鬼神の血は、因子を拒絶する。だから、僕に鬼神の血を入れれば”漆黒”が拒絶反応を起こして僕から離れると考えた。けれどそのときは何も起こらなかった。
「そして昨晩、お前は再度僕の中に自分の血を入れた」
そして起こった変化は、侵食を止めるというものだけで、僕から”漆黒”を剥がすには至らなかった。
「あははははは。面白かったよ君の仮説」
大笑いする殺。
僕の仮説は間違っていたのだろうか。
しかし、殺は突然笑うのを止めて、真剣な眼差しで僕を見据える。
「大体当たりだよ。そうあの時は私の血を君に入れることもしたし、効果が無いと分かった時点で私は残りの時間を君の中にあるはずの”漆黒”の中核因子を探すのに費やしたよ。ついには見つからなかったがね。そして深夜も同じ手順でやってみたよ」
そして異変が起こった。
と、そこまで言って殺は何を思ったのか、僕に向かって歩いてきた。
「まぁ、そこの因子が剥がれなかった時点で私の役割は終わっているんだけれどね。それに、私は君を攫って来いと言われただけで、白霧が君で何をしようとしているのかは、聞かされていないんだ。だから君の質問には答えられない。私は答えを知らないからね。強いて答えるとすれば『私は末端兵士なので知りません』だよ」
「近寄るな。それ以上近寄れば殺す」
ありったけの殺意を殺に向けたが、しかし気にする様子はない。
「そこで止まれ鬼神。それ以上そいつに近寄れば、塵になるぞ。大人しく拘束されろ」
”漆黒”は渦巻く黒いエネルギー波を身に纏い、一振りの刀を発現させる。
「もう何もしないよ。私にはもう帰還命令が出ているからね。このまま撤退させてもらうよ」
「逃がすか!!」
「生かしては返さんぞ」
僕と”漆黒”は同時に攻撃を仕掛ける。
対する殺はリラックスした体勢のまま動かない。
「戦闘だったら万に一つも勝ち目はないけれど」
攻撃が当たるその瞬間、目の前から殺が消え、その後ろの壁が粉砕する。
「逃走に全力をかけられるのであれば、私の方に分がある」
振り返ると、窓から落ちる寸前の殺が一瞬だけ見えた。
逃げられた。
「追いかけるのは、無理か」
窓の向こうに広がる闇を見て、呟く。
戦闘に関するありとあらゆる術を体得している鬼神一族だ。勿論そこには隠密や逃走、いかに相手に見つからないように移動するかの術もあるだろう。素人同然の僕が追いかけたところで、逆に後ろから刺し殺されて終りだろう。
「お兄ちゃん」
暫く窓の外を見ていると、後ろから呼びかけられる。振り向くと妹が廊下から覗き込むように僕を見ていた。顔を半分だけ出し、身体は完全に隠れていて見えない。
「お姉ちゃんから召集命令が下されました」
どうやらやっと結論が出たらしい。ふと時計を見ると午後九時。どれだけ時間をかけているんだこの姉妹は。
「分かった。今すぐ行くよ」
ひらひらと手を振り、先に行ってろと促す。
とたとたと、控えめに小走りする音が聞こえたのを最後に、音がなくなり静寂が訪れる。
しかし今日も今日で疲れ果ててしまった。
一昨日、昨日と比べれば対して疲労も溜まっていないだろうと思っていたが、ベッドの端に腰を落ち着かせると、どっと疲れが押し寄せてきた。
本当にこの三日間は色んなことがありすぎて、頭がパンクしそうだ。
天井を眺めながら今までのことを整理していると、段々と眠くなってきたので横になる。
薄れゆく意識の中、僕は昨日脳裏に浮かんだ白い少女を思い出す。
あの子は、一体誰なのか。僕とどういう関係なのか。見覚えがあるような、ないような。
ただ、一つ分かっていることは、この状態で考えていても答えは絶対に出ないということだ。
だったら結論は一つ。
「とりあえず、今日はもう寝よう」
今は寝て、また明日考えよう。
と、ついさっき姉から出された召集命令を完全に忘れ、僕は夢の中へと旅立ってゆく。
説明が下手ですね、はい。すみません。
もう少しこんな感じのお話が続きます。
次回もよろしくお願いします。




