狂人・月詠 ――少年兵における人間考察――
少年兵における人間考察
「ああ、今の子はまるで少年兵のようだったね」
目の前を駆け抜けていった小学生を見て大学生ほどの年齢に見える青年は呟いた。私はそんな彼を横目でちらりと見て、
「そうでしたか?」
と聞き返す。すると彼は宙を見つめたまま頷いた。
彼、月野詠司は人と話している時、必ずといっていいほど人と目を合わせない。その視線は常に宙へ向けられ、常人の目には映らない何かを捉えているようだった。そして時折、今のように突飛なことを平然と言い出す。今しがたの言葉はまだましな方だ。通りすがりの人にもっと訳の分からないことを言い出すこともある。それが原因でトラブルに巻き込まれたことも多々だ。
そんな彼と同じベンチに腰かける私は神代涼子。高校一年生の十六歳。帰宅部だ。なので授業が終わってしまえばそれ以上学校に留まる理由もなく、ここに立ち寄ってから家に帰る。特に彼と話したりする訳ではないが、彼が毎日この自転車道に平行して通る小道のベンチに腰かけることを日課にしているように、私はそんな彼の座るベンチに立ち寄ることを日課にしていた。
「ビニール傘をライフルのように構え、つばのついた黄色い帽子をかぶって、荷物を背負って走っていく様は生きるために戦場を駆け抜ける少年兵のそれだったよ。君は少年兵を見たことがあるかい?」
彼の問いかけに私は少し考えてから、
「テレビで何度か」
と答える。そして、以前見た少年兵を追ったドキュメント番組の内容を思い出した。
すぐに思い浮かんだのは汚れた肌とくたびれてボロボロになった服と猟銃だ。日本でならまだ小中学生くらいの少年が真面目に勉強を受けるような真剣な表情で銃を構えていた。その姿はどうしても先程の小学生と重ならなかった。
真っ直ぐな目で駆け抜けていった小学生の少年の目には平和しか映っていなかった、と私は思う。その思考もきっと明るいものばかりだったはずだ。午前中、うんざりするほど降り続いていた雨が嘘のように晴れた午後。あの少年は晴れたから遊びに行こうと考えていたのだろうか。それとも何か別に用事があったのだろうか。
少なくとも、その少し先の未来に死の影や苦痛の予感は欠片もなかっただろう。
「テレビは綺麗な所しか見せてくれないよ。胸に突き刺さる刃のような真実を公共電波で流せば視聴者が叫びを上げることは必至だからね」
そう言って彼は目を細める。私はまるで本物の少年兵を見てきたかのような彼の口振りをあまり疑問に思わなかった。何故なら、よくあることだからだ。
実際、彼はどんなことも見てきたように話した。それはどんなジャンルにおいても言えることで、彼が語る笑い話も興味深い話も、まるで言葉に魔力がこめられているかのようにありありと情景が思い浮かんだ。ただ、血生臭い類いの話をあまりに生々しく話された時は流石に引いたのを覚えている。
彼は細めた視界の先に遠い過去を見るかのように口を開いた。
「少年兵にとって戦場は“日常”なんだよ。何の疑念も抱くことのない“日常”だ。そして、さっきの子にとってはこの平穏な日々が“日常”だろう? 彼は少年兵と同じ目をしていたよ」
そう言って彼は悲しげに微笑んだ。
「かわいそうに。死してなお、前世の業から離れられないなんてね」
彼には前世が見えるらしい。以前、彼はそう私に話してくれた。過去、未来。前世、来世。断片的だが彼はそれらを視覚することができるという。
私はそれを信じている訳ではなかったが彼はそういう人なのだと思っていた。
「少年兵だったんですか、さっきの子」
「ああ。若くして戦死したようだね」
私の問いかけに彼は頷き、幼い少年の前世を映した目で空を仰いだ。
「悲しいな。人間は繰り返す。自分の知り得ぬところで何度も何度も、苦しみと悲しみを繰り返す。死すらその終焉とはなりえない。人間の命は有限なのに、これは無限だ」
彼の横顔は寂しげだった。私は口を閉ざしたまま彼と同じように空を仰ぐ。
東京都内といえど郊外に位置するこの町の空は都市部より澄んで見えた。そんな空が私は好きだ。この町の、この土地の、ここから見える空が私は好きだった。郷土愛と呼べるほど強い気持ちではないが愛着がある。
私はふとした思い付きで口を開いた。
「辛いことだけが繰り返されるんですか?」
彼が視線を空から目の前の小道に戻す。私は空を仰いだまま、その青さに嘆息した。
もし、人間は死んでも繰り返すものだというのなら来世の私はこうして愛着の持てる空を見上げているのだろうか。だとしたら、それは幸せだと私は思う。
私が顔を戻すと彼は優しく微笑んでいた。
「どうだろう。ただ人間は幸せより辛いことの方が多い生き物だよ」
彼の答えに私は立ち上がる。彼の言葉を否定することはできない。だからといって彼の答えを鵜呑みにする気もない。毎度のことながら私たちの考えが交わることはほぼなかった。根本的に物の考え方が違うのだと思う。もっと言えば、きっと彼の生きる世界は私の世界と恐らく540゜くらい違うのだろう。先程まで一緒に見上げていた空が私と同じように見えていたかすら怪しい。
「……幸せも繰り返されるものだといいね」
別世界を見るその目で私を捉えることなく彼が言った。その言葉に私は頷くと、小さく会釈をした後、彼に背を向ける。
私の目には抜けるように青い空が映っていた。
二代目携帯に慣れ始めましたので、リハビリがてら短編を書いてみました。
しばらくはちまちま短編を上げていこうかと思います。