無色透明
拍手小話No.27
気がついたら私は、真っ白な雪がハラハラと舞い散る、銀世界に立っていた。
といっても、雪山で遭難しているわけではない。
とても見覚えがあるが、認めたくない場所に、ぽつんと立っていたのだ。
その状況を認識した時、まず静かに錯乱した。
静かなのは見た目だけで、心臓は大暴走だし、耳鳴りはうるさいし、背中には変な汗がだらだらと流れていた。
その混乱が去って状況を確認してからは、思考が停止した。
姿も周囲も確かめ、異変が現実であることが理解でき……しかしそれを脳が拒絶したのだ。
――そして。
「ランッ!!」
「ぐぇ?!」
突然響いた男の声に、私の時間は動き出した。
突き飛ばされた私が、目の前の雪山に顔から突っ込んだ音と共に。
「ラン……あぁ、俺のランタナ、やっと戻ってきてくれた……」
泣いているらしい声が、雪に埋まる私の上から聞こえてきた。
この場では正しいのであろう『私』の名を、繰り返す度に涙の気配を濃厚にして、その存在を伝えてくる。
尋常でない状況の中、あり得ない場所に立って、挙句雪に埋められて男に圧し掛かられるなど、恐怖以外の何物でもない。
……けれど何故だろう。
頭の中が真っ白になった私は、その頭を大きく後ろに。
予想通りに鈍い音がして、悲鳴が上がり、重みが消える。
その隙に私は体を起こし、振り向いて……そこに誰もいないのを確認した。
――ああ、やっぱり。
「……フィカス」
不思議な諦めが、私の唇を動かした。
雪の上に落ちて消えたのは、呪われた名前。
目の前には何もいない。視界には雪景色しか映らない。
しかし雪の上には、何かの存在を知らせるように跡が残っていた。
既に踏み荒らされた雪に、更に新しく痕跡は増える。
さくりさくり、と雪が陥没し、それが私に近づいた。
「――ひどいな」
泣きながら笑う声がした。
笑いながら、声は私を詰る。
「まず自分の所業を振り返ったらどうですか」
派手に突き飛ばしてくれたくせに、と冷たく私は言って、それでもそっと手を伸ばす。
指の先に人の肌が触れると、それを頼りに温もりを引き寄せた。
頭の中では、相変わらず非現実を訴える警鐘が響いている。
おかしい、と。あり得ない、と。
それなのに、素直に引き寄せられたそれが逆に私を抱きしめてきて、安堵にも似た吐息が漏れた。
馬鹿みたいに素直にこの現実に馴染んでしまった体が頭に伝える。
ここは私のよく知っている世界で、私のよく知っている牧場で。
この男は私のよく知っている……透明人間だ。
呪いを受けて透明になり、それを見つけた私についてきた透明人間。
そして、私は。その透明人間がランタナと呼ぶ『私』は――……。
だが、そこで思考はふつりと途切れた。
不意に、甘く妖しい吐息が耳元に落ちたから。
「――ランが悪いんだろう。俺はランがいないと狂ってしまうのに」
なぁ、俺のランタナ。もう絶対逃がさない。
そう低く囁かれた私はうっかり、……そう、ついうっかり、
……2度目の頭突きをお見舞いしてしまった。
雪の上に何かが転がる跡ができるのを眺めながら、私は耳を擦る。
仕方ない。擽ったかったから、仕方ないのだ。
恨みがましい視線を感じたが、私は知らないフリをした。




