暗殺者注意報 オマケ
拍手小話No.44
その後の2人
額に冷たく湿ったものが乗せられ、ロータスの意識は浮上した。スッキリと気持ちのいい目覚めとは程遠い、のったりとした覚醒。
それでもどうにかはっきりしてきた頭は、どうやらどこかの布団の上に寝かされているらしいこと、何者かが近くにいるらしいこと、そして額に乗っている濡れ布巾が、目まで覆っていることに気がついた。当然だが、何も見えない。
冷たさは気持ちいいが視界不良はいただけない。
少し布をずらそうと、気だるく手を持ち上げるが、その手が顔に届くより先に、そっと目を上から押さえられた。
これでは布を退けられない。
一応と思って端を引っ張ってみても、やはり動かすことはできなかった。そんな体力も気力もないのだから。
「……ウィステリア」
見えなくても分かる。
その慣れ親しんだ気配に、隣にいる人物を確信して、ロータスは掠れた声で不満を訴えた。
「…………」
「ウィステリア?」
どうして何も言わないのだろう。
状況的に、嫌みと説教が雨あられと降ってきてもおかしくないというのに。もちろん、説教されたいわけでは決してないが。
ある方が自然なものがないのは、それだけで不安を煽られる。
(何なんだ……)
どうにかして身を捩ろうとしたロータスが、布団についた腕に力を入れかける。と、同時に深い深いため息が耳に届いた。
「おとなしくしてなさいよ」
ようやく聞けた声は、怒りも不機嫌さもなく、静かだった。
不思議に思いつつも、相手が喋ってくれたことにロータスは安堵した。
「手、退けてくれ」
「それは嫌」
応えがあったことに励まされ、続けて口にした望みは、しかしあっさりと拒否されてしまった。
ロータスをからかったり弄ったりという目的ならば、まだ抵抗もできただろう。だが、「嫌だ」と告げた声にはそのどちらもなく。
普段と違って取りつく島もない空気に、とうとうロータスは諦めて体の力を抜いた。正直なところ、こんな様子の相手に追い縋る気力など、今はないから。
そうして無抵抗を主張してみても、目の上の手が退けられることはなかった。
「――何か欲しい物はある?」
もう寝てしまおう。体力もまだ回復していないし。
そんなことを思った時だった。このままだんまりかと思われた男が、予想外に語りかけてきたのは。
しかも内容が、普段は絶対見せないような気遣いとあって、うっかり固まってしまったロータスに罪はないはずだ。
「……何よ」
「いや、別に……」
珍しいを通り越して気持ち悪い、とか。
そんなことを考えたのがバレたら、さすがに怒るだろうか。いっそその方がいつものウィステリアに戻っていいかも、なんて。
少々失礼な考えを慌てて振り払い、ロータスは問いかけの答えをかざすことにした。
「欲しい物、欲しい物……あ、そうだ」
思いついたそれは、実は前から頼んでみたかったこと。そして、いつも通りなら必ず断られるはずの。
「ウィステリア、歌ってくれ」
「はあ?」
ウィステリアの声がひっくり返った。
「歌、って……本職の前で?」
何言ってんの。あんた馬鹿?
そんな言葉すら聞こえた気がした。
だが、ロータスも承知の上で頼んだのだ。
彼女の前では絶対に見せてはくれないが、1人の時たまに何か口ずさんでいるのを知っているから。それがまたいい声で、できたらきちんと聴いてみたいと、常々思っていたから。
「そう。私の前で」
「あのねぇ」
「……聴きたい」
呆れ返った声に重ねて請う。まるで、駄々をこねる幼子のように。
いよいよ黙ってしまったウィステリアに、もう一押しか、と頑張りかけたところで、舌打ちが聞こえた。
折れてくれたらしい。
「1曲だけだからね。あと、私がいいって言うまでおとなしく寝てなさいよ?」
「ああ、約束する」
言われなくても、本当は既に眠い。
この男が歌ってくれるという高揚感で起きているようなものだ。
素直に応じると、ため息。
更に一拍置いて、静かで優しい旋律が響き始めた。
聞き覚えのある歌詞を、深みのある男の声がゆっくりと辿っていく。言葉のひとつひとつを丁寧に、語りかけるように。
(なんでこのチョイス…………あぁ、でもやっぱりいいな、こいつの声……)
男が女に、「おやすみ、また夢で」と。眠りについている時間すら離れたくないと、だから夢の中でも逢いたいと愛を請う歌。
まあ確かに、曲調や歌詞から子守唄と言えなくもないか。
納得して、聴き入る。
もう二度とこんな機会はないかもしれないのだから、堪能しなければ。この睡魔に身を任せてしまう前に。
(でも……またいつか……)
また歌ってくれないだろうか。
その時には、ロータスがリュートを弾いて、一緒に歌って……。
ロータスの口元に笑みが浮かぶ。
穏やかな、幸せな心地で、彼女は意識を溶かしていった。




