暗殺者注意報 後編
拍手小話No.35 その3
異変前
双子終了
2人が吐息が絡むほどの至近距離で微笑み合っていたのは、どれだけの時間だっただろうか。張り詰めた空気のためか、ロータスには随分長く感じられたのだが、実際には分からない。
だが、息苦しく、瞬きすらも躊躇うその時間は、
「――ロータスッ!!」
聞き間違いかと思うほど悲鳴じみた声に遮られ、唐突に終わりを告げた。
■□■□■□■□
割り込んできた声にリビダが反応するより早く、黒い影が薄汚れた床を走り、重く鈍い音を響かせる。
「ぐ……っ」
ロータスの毒人形に侵された体で、咄嗟にその攻撃を防いだリビダは、さすがだった。
だが、それでも流しきれなかった衝撃が、リビダをロータスから引き剥がし、部屋の端まで弾き飛ばす。勢いを殺すために床に手をついた彼の口元が、忌々しげに歪んだ。
「あーあ。もう来ちゃったのか」
もう少し遊びたかった、と不満げに。
そんなリビダを射殺すような目で睨みつけたウィステリアは、しかし一瞬で顔を背けた。
首を開放され、軽く咽ているロータスに向き直り、腕を掴むと、大きく息を吸って。
「このっ、馬鹿女!!」
ビリビリと空気が震えるような声で怒鳴りつけた。ただでさえ切れ長の目が吊り上がり、眉間には深く皺を刻んで、その怒りを如実に伝えてくる。
だがロータスは自由になる手で片耳を塞ぎ、面倒臭そうに顔を顰めた。
「叫ぶな。うるさい。大体、お前が来るのが遅いんだ」
「な……っ」
「えぇ~? もっと遅くてもよかったよ? せっかくお楽しみだったのにさぁ」
「それはお前だけだろう」
顔を引き攣らせるウィステリアに、毒人形を踏みつけながら、リビダが茶々を入れてくる。
ロータスは冷たく事実のみを簡潔に返したが、リビダはさして堪える様子もなく、その笑みも復活しつつあった。毒の効果はどこへ行ったのやら。
唇に人差し指を当て、リビダが笑う。
「つれないなぁ。キスまでした仲なのに」
「?!」
その瞬間、ウィステリアから凄まじい殺気が噴き出し、ロータスの肩の傷がチリチリと痛みを訴えた。味方にダメージを与えてどうするのだ。
それにしても、リビダの言う『キス』とは、先ほどの頬の傷を舐めたあれのことだろうか。
あれくらいしか心当たりがないのだが、傷を思いっきり歯で抉っておいてキスだ、と。
熱をもって疼く頬の傷につい先ほどの出来事を思い出し、ロータスは憮然とした。
「痛いだけだったぞ。下手糞」
「うわ。傷つく!」
「勝手に傷だらけになってろ」
「……」
そうロータスが吐き捨てたのと同時に、ウィステリアが何やら限界を超えたらしい。
握り潰す気かというほどに強く握っていたロータスの腕から手を離し、代わりに愛用の短剣を持ち直すと、ゆらりとリビダの方に足を踏み出した。
「あれれ。もしかして妬けちゃった? 何なら、お裾分けしよっか?」
ニヤニヤ笑いのリビダが、ぺろりと舌を出す。
「それとも仲間に入る? 僕はいいよ、3人でも4人でも男でも女でも」
「お黙り。あんたもこの男女も断じてお断りだから。――もう、いいから……さっさと死んでっ」
死んで、と言い終わるよりも、短剣がリビダの顔に向かって飛ぶ方が早かった。
それを、やはり毒が効いているのか、今までよりも幾分緩慢な動作でどうにか避けたリビダは、それでも笑みを崩さない。
額に汗を浮かべながら、何がそんなに楽しいのか。
「あははっ。やっぱり嫉妬してるんだ! そういう顔してるよっ?」
「黙れって言ってんのよ!!」
意地でもからかうのをやめないのだ。
対するウィステリアはといえば、こちらはこちらで冷静さを欠いているようで、普段の動きの優雅さが欠片も見当たらない。
手負いのリビダと、怒り狂うウィステリアと、意外にもいい勝負なようだった。揶揄と罵声とが飛び交って、まるで子どもの喧嘩のように見え……るのはきっと気のせいだ。
しかし、これでは本当にどちらかが死ぬまで止まりそうになかった。
(やれやれ……)
壁に背を預け、どうにか立っている状態で、ロータスは首に手を当てた。
首を強く押さえられてから、違和感がある。リビダもそのつもりで手加減なくやったのだろう。
すぐには歌えそうにない。
それでも、絶えず続くリコリスからの援助のおかげで、怪我は回復しつつあった。
楽器を使う手さえ動けば、動く体力さえ戻れば、ロータスには奥の手がある。
ここまで消耗している状態でその最終手段を使うのは初めてで、その後が怖い気もしたが、仕方がない。
リビダが死ねばソニアが悲しむし、ウィステリアが死ぬのは……ロータスが嫌だった。どちらも困るから、彼女も無意識にだが、焦っていたかもしれない。それほど、暗殺者2人の殺し合いは白熱していた。
ロータスは目立たないようにそっと身を屈め、揉み合いの時に落としてしまったリュートを引き上げる。
傷がついていないことを確かめ、安堵しながら、絃に指を滑らせた。
「あっ」
「ロータス?!」
響き渡った澄んだ音。それを合図に一切の音が消える。
短剣をぶつけ合っていた2人が振り返るが、もう遅い。
一瞬の後、圧倒的な音が渦を巻くように、その場を支配した。
■□■□■□■□
「ごめんなさい、ロータスッ!」
半泣きの謝罪と共に、首に腕が回り、豊満な胸を押し付けられる。
「うちの馬鹿共が……本当に、本当に迷惑をかけて! しかもワタクシは助けに入らずに見てるだけとか! もうっ、もう……っ」
「いや、ソニアに助けに入られても……それは後々が面倒というか、悲惨というか……色々と……その……」
ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すソニアの、薄紫の髪を撫でて、ロータスは苦笑した。
最初に絶対ソニアを介入させるなと言ったのはロータス自身なのだ。この友人が、色々と、言葉にできないアレコレな目に遭うのが分かっていたから。
2人の後ろでは、リコリスがロータスと同じように苦笑いをしていて、全面的に同意だ、と視線で伝えていた。
更にそのリコリスの隣で、相変わらず仏頂面のライカリスが嫌悪も露に見つめる先、ボロボロになったリビダと鎖で縛られたビフィダが、リコリスのクイーンに抱えられている。双方共に気絶中だ。
双子が目を覚まして暴れ出した時に、クイーンでなければ対処が難しいという理由からだが、それにしてもお姫様抱っこなのは何故なのか。こんな状況でも穏やかに微笑む銀色の美女が、傷だらけの見た目(だけ)は、いい男を抱えている様というのは……何というか、ある意味倒錯的だった。ある意味。
「とりあえず治療も終わったし、私たちはこれで撤収かな。……えと。私も、あんまり手出しできなくてごめんね、ロータス」
「いや、本当に助かったんだが……」
リコリスがずっと回復魔法をかけてくれていなければ、今頃どうなっていたか分からない。それこそ死ぬより酷い目に遭っていた可能性が高いのだ。
それでもすすり泣くソニアと、申し訳なさそうに眉尻を下げているリコリスに、ロータスは悪戯っぽく微笑んだ。
「気になるなら、今度夕食にでも呼んでくれないか? もちろんリコリスの手作りで」
「ん。いいよー、いくらでも」
「ソニアの淹れたローズティーも飲みたいな」
「……えぇ、もちろん」
互い互いの顔を見合わせ、それでようやく空気が緩む。
謝罪を止めて顔を上げたソニアの背を、リコリスが軽く叩いた。
「そろそろ行こう、ソニア。双子が目を覚ます前に牧場に戻さないと、ここでこの面子揃ってるの見られたら、何言われるか」
むしろ、何をされるか、の方が心配だ。
「え、ええ……そうね。それじゃあ、ロータス、また」
「ああ、またな」
軽く青褪めたソニアが頷き、ロータスから離れ、クイーンに並ぶ。
傷だらけの双子を見る目に僅かに心配が滲むのは、仕方がないことなのだろうと、ロータスは思う。どれだけ性格が終わっていようと、性癖に問題があろうと、パートナーはパートナーなのだから。非常に難儀なことだけれども。
きっとソニアはこの後双子の、特に兄の機嫌を回復するのに苦労するのだろう。
自分も……、とロータスはウィステリアにそっと視線を向ける。
(もう一戦か……)
能面のような無表情で怒りのオーラを撒き散らす己のパートナーと、確実にぶつかるだろう。リコリスに全回復してもらったとはいえ、他が色々擦り減っている現状で、それはひどく億劫なことだった。
思わずため息をついた時、ライカリスを促していたリコリスがふと、こちらに顔を向ける。
疲れた顔のロータスを見、ウィステリアを見て、どこか迷う素振りを見せてから、ライカリスに一言言い置いて戻ってきた。
「ウィステリア」
その視線はロータスではなく、その隣に。
黙りこくっていた男はリコリスにじっと、真っ直ぐに見つめられ、やや置いて目を細めた。
「………………何よ」
「ウィステリアが双子に絡まれたって、連絡したの私だから。ロータスが、ウィステリアを見捨てられないって、分かってて知らせたの。ごめん。……ロータスを怒らないで、お願い」
「……」
「――それじゃ」
また黙り込んでしまったウィステリアから視線を外し、リコリスはロータスに小さく手を振ると、ロータスの言葉を待たず背を向けた。
小走りに駆け戻ったリコリスと一言二言交わしたライカリスからは、「リコリスの言葉を無下にしたら許さない」と語るひんやりとした目線が送られてくる。あの男も大概無愛想だが、あれで意外と過保護なようだ。もちろんリコリスに対してだけ。
一行を見送って、今度こそ沈黙が降りた。それは重苦しく、ロータスの気力を容易に削り取っていく。
今までは意地もあって平然としていたロータスだったが、正直なところ立っているのがやっとの状態だった。
それに加え、隣からの無言の圧力に耐え切れず、彼女はとうとうその場に座り込んだ。
元々、万全の体調でないのに使った奥の手が、ロータスの体に相当な負担をかけたのだ。
この世界で使うスキルは、使用者の体調、あるいは精神状態に大きく影響を受ける。強力であればあるほどに。
先ほどから酷い倦怠感がロータスに圧し掛かっていた。例えで言うなれば、低血糖と二日酔いの症状を混ぜた感じだろうか。
怪我は全て治っても、こればかりは手の打ちようがなかった。
「! ロータス」
息を呑む気配があり、伸ばされた無遠慮な手がロータスの頬を掴む。
力ずくで顔を上向けられて、くらりと眩暈がした。
「やめてくれ……揺れる……」
「アンタ、顔色最悪じゃないの」
「……気のせいだ」
「何が気のせいなのよ。輪をかけてブサイクになってるのに」
言うに事欠いてそれか。
言い返す気力もないロータスの眉間に、縦皺が刻まれる。
「大体、アンタはもう余計なことばっかりして」
「……」
「その、何でも首突っ込むの、何とかしてくれない? 身の程を知ってほしいわ」
ぶちぶちと落とされる言葉は、意外にも静かだった。
ただ、怒鳴りつけたいのを我慢して、抑え込んでいる、そんな声だ。
だが、それでも不愉快なことには変わりなく、ロータスは眉間の皺を深くして、ゆっくりと口を開いた。いつものように勢いよく言い返せないのは、今は仕方がないけれど、それでも。
「……はっ。双子に手篭めにされかかってた奴が何を言うんだか」
吐き捨てるように。
「気色悪いこと言わないでよっ」
ウィステリアの声が高くなる。
それは心の底からの悲鳴だと思われた。
「大体! それを言うならアンタの方が――」
「……私が?」
「……っ」
言いさして、しかしウィステリアは唇を噛むと、更に不機嫌な顔になってロータスから手を離した。下りた手が悔しげに握り締められる。
「……何でもないわ」
ウィステリアは呟き、
「――あぁ、もうっ。イライラするわね! ほら、帰るわよっ」
続けて叫んでから、勢いをつけて立ち上がった。黒いブーツが床を踏み鳴らす音が響く。
「カマのヒステリー……」
「誰がカマよ!」
ぼんやりと見上げるついでに、思ったことをそのまま口にしたロータスの腕を、ウィステリアが掴み、体ごと引き上げた。
米俵の要領で肩に担ぎ上げられ、一際大きな眩暈と頭痛がロータスを襲う。
ご丁寧に連れ帰ってくれるらしいが、こうも手荒くされるのなら、いっそここに捨て置いてほしいと、本気で思った。実際にはそんな文句も言えず、呻くだけで終わったのだが。
「……うぅ。覚えてろ……このカマ野郎……」
「それはこっちの台詞よ、この男女。ていうか、カマカマしつこいわ」
そんな普段よりテンポの悪い言い争いは、ウィステリアが窓枠に足をかけ、2階から飛び降りたところで終了となった。着地の衝撃で、ロータスが力尽きたのだ。
そのことにウィステリアが大いに慌てたりもしたのだが、残念ながら目を回していたロータスが気がつくことはなかった。




