暗殺者注意報 中編
拍手小話No.35 その2
異変前
双子兄注意
その報せが入った時、ロータスはいつも通りに楽器の手入れをしていた。
吟遊詩人であるロータスにとって、リュートはとても大切なものだ。これがなくては戦えないのだから。
いざという時のために、しっかりと準備しておかなくてはならない、と。
――結果、その直後にその『いざという時』が来たわけである。
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「何でそんな厄介なの引っ掛けたんだ、あの馬鹿……!」
リコリスからの通話が入り、用件を聞いた途端、ロータスは低く呻いて顔を覆った。
『んんー、ウィステリアが引っ掛けたっていうか、双子が絡みついたっていうか……』
「あぁ……」
なんて分かりやすい。
分かりやすく、面倒な事態だった。
『どうする? ソニアが止めにいくとか言ってるけど……』
友人の微妙な心境を如実に伝える音声が、別の友人のこれまた微妙な危機を伝えてくる。
これについては考えるまでもなかった。
「止めてくれ」
『うん、止めた』
このあたり、意思の疎通は完璧だ。
友人が得るもののない虎穴に飛び込もうとするのを、見過ごせるはずもないのだから。
非常にテンポのいいやり取りは一瞬で、リコリスが言葉を繋ぐ。
『それで? 私介入する?』
それは問いではなく、ただの確認だった。
ロータスがどうするのか、問うまでもないことと、リコリスもよく理解しているから。
「――いや、私が行くよ」
「そか。まぁ、大丈夫だとは思うけど、一応私たちも近くにいるから」
頼もしい情報と詳しい場所を告げ、通信が途切れる。
同時に、ロータスは行動を開始した。
相手は世界有数の実力者。特に兄の方は、性格の悪さも折り紙つきだ。
準備を怠れば悲惨な目に遭うのが分かりきっている。
むしろ怠らなくても、無事で済む保障のない相手だ。
まあ、リコリスたちが近くにいるというし、いざとなれば奥の手もあるから、負ける気はしないのだが。
「やれやれ……」
おそらく、戦う相手がより厄介な兄の方になるであろうこと。
そしてほぼ確実なのが、その後に待ち構えているであろうウィステリアのお小言。
いずれも想像だけでロータスの気力をゴリゴリと削いでくれる、……けれど。
――出向かないという選択肢は、存在しない。
ロータスは何度もため息をつきながら、大急ぎで準備を整え、早足で牧場を後にした。
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「ロータスちゃん、見っけ」
「……」
ロータスが現場に駆けつけ、近くの手頃な廃屋に身を隠してしばし、嬉々として彼女の元に現れたのは、やはり特に性格の悪い方だった。
ウィステリアは、ビフィダに足止めされているのだろう。
完璧な予想通りにして、予定通りである。
ロータスが直接あちらに合流して2対2になったとしても、平気な顔をして仲間を捨て石にできる分だけ、双子の方が有利だ。
ロータスはどうしても補助的な立ち位置になってしまうから、双子相手だとウィステリアの足を引っ張りかねない。
何より、彼女の奥の手は外で使うには目立ちすぎる。
だからこそ、恐らく率先して動くであろう兄を誘き寄せ、いなしている間に、ウィステリアには比較的扱いやすい弟を潰してもらうつもりだった。
案の定、リビダはロータスの方にやって来た。
ここまでは本当に予定通り。
問題はこの後、ロータスがどれだけ、リビダの攻撃を防ぎきれるかなのだ。それが、大問題だった。
そんなことはおくびにも出さず無表情を貫くロータスに、リビダがふわりと微笑んだ。
小首を傾げ、艶やかな黒髪がさらりと零れる。美しい容姿と相俟って、貴公子然として見える。
「すぐに壊れちゃったら楽しくないからさ、抵抗してね?」
……無論、黙っていればの話。
「ああ、そのつもりだよ」
「ふふっ。できたら、ウィステリア君来るまで粘ってほしいなぁ。彼の前で滅茶苦茶にしたら、きっと楽しいと思うんだよねぇ」
「それはお断り、だっ」
嫌な発言が終わる前に容赦なく振り下ろされた凶刃を、ロータスは避けた。
次々と繰り出される刃を紙一重でかわしながら、軽く舌打ちをする。
(ああ、もうっ。ソニアめ、こいつ強化しすぎだ!)
思わず心の中で恨み言を吐いてしまった。
リビダの纏う装備の全てが、恐ろしく希少で、高性能なものばかりなのだ。
こんな厄介な性格の男を、ここまで手間と金をかけて強化して……ソニアは真性のMなのではないだろうか。
今のところ、どうにか体勢は崩さずに済んでいるが、やはり限度がある。
広いとは言えない廃屋の一室、壁際に追い詰められないよう気を遣いながら、ロータスは追い縋る刃に向かい、大きく息を吸い込んだ。
――途端、発生した、音の壁。
「わっ」
短剣どころか、体ごと弾かれたリビダが、小さく声を上げ大きく後退した。
黒ずんだ壁を大きく震わせるその音――声は、全力で叩きつけるようでありながら、しかし同時に歌としても存在している。
防御を目的とした、吟遊詩人のスキルのひとつだった。
ちなみに攻撃力はない。
音の壁に押され、後退した先で、器用に短剣を受け止めたリビダは、それを構え直すでもなくクルクルと弄んでみせる。悠々と、意地の悪い笑みを浮かべて。
「ふぅん? でもそれ、そんなに長いこともたないでしょ。連発もできなかったよねぇ」
(ご明察っ)
歌っているせいで、返答はできない。できたとしてもする気もないけれども。
ロータスはリビダを睨み据えて歌い続け――やがて、終わりが来る。
圧力が消えたのを確認して、ぱしっと短剣を掴み直したリビダが、にっこりと笑った。
「おしまいかな? じゃあ、今度は僕の番ってことで……」
「だが断る」
1つスキルが使えなくなれば、他のスキルを使えばいい。
ロータスの目的は、ウィステリア到着までの時間稼ぎで、そのための方法ならいくらでもあった。
重要なのは、とにかくひたすら油断しないことだけだ。
鋭く踏み込んできたリビダの短剣を避け、ロータスはまた息を吸い込んだ。
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しかし、疲労は蓄積するもので。
避け損ねて作られた小さな傷はすぐに治しているから、HPが減ることはない。更にこっそりと、リコリスの援助も入っている。
それでも、長引き繰り返されるギリギリの攻防に、精神が磨耗していくのが分かった。
対するリビダの方は、小さいながら確実に傷を増やして、しかし楽しげな表情を僅かも崩さない。
(ウィステリアの奴、いつまで足止めされてるんだ……っ)
弟は性癖を逆手にとって、縛るなり絞め落とすなり、蹴飛ばして踏みつけるなりして、戦闘意欲を殺ぐのが定石だというのに。まさかまともに相手をしているのだろうか。
苛々が募り、ロータスの眉が微かに寄せられ。
――悪魔には、それで十分だった。
「……隙ができてるよ?」
「?!」
囁く声が、唐突に耳元に。わざわざ、ふっと息を吹きかけてくれた。
いつの間に後ろを取られたのか、目を離したつもりはなかったというのに。
咄嗟に距離を取ろうとしたロータスの肩に、鋭い痛みが走った。
(くそ! 油断したっ)
歯を食いしばり、それでもなお勢いよく飛び退る……けれど。
「――――……」
追ってくる刃の向こう側から、ひどく楽しげなリビダの声が、微かに聞こえた気がした。
「! しま……っ」
それが呪文の詠唱なのだと気づいて、ロータスが思わず焦りの声を漏らす。
それと全くの同時、対照的ににんまりと笑みを浮かべたリビダが、最後に魔法の名を唇に乗せた。
「【アイス・シェード】」
呪文の完成と共に、何もなかったはずのロータスの足元が一瞬にして凍りつく。そこから形を成した氷の刃は重力に逆らって床を離れ、細く尖った切っ先が、革製のロングブーツごとロータスのふくらはぎを深々と抉っていった。
「くっ」
即座に治療を、と思い、しかしその傷口に違和感があった。
まだ、終わっていないのだ。まるで、内側から肉が凍り、裂けていくかのような感覚。
(持続、魔法……!)
一定時間効果を持ち続ける魔法。これはただの回復魔法では解除できない。
解除するためのスキルはロータスにはないし、リコリスも……解除魔法はここまでは届かない。
「僕って魔術師でもあるんだよね~。忘れてたでしょ?」
悪戯が成功した子どものように「あはっ」と見た目ばかり可愛らしく笑ったリビダは、次の瞬間にはもうロータスの目の前に立っていた。
痛いのか冷たいのかもう分からなくなっている足を引きずるように、ロータスが後ろへ下がりかける。だが、それを許す相手ではなく。
短剣を握っていない方の手が、素早くロータスの肩へと伸びる。長い指は先の傷を抉るように爪を立て、肩を掴んだ手は抗いがたい力でロータスを壁に叩きつけた。
「……っ」
痛みと衝撃に息が詰まり、ロータスの顔が歪む。
それを互いの吐息のかかる距離で見つめたリビダが、うっとりと笑み、頬を染めた。
「……そういう顔、素敵だ。もっと見せてほしいなぁ」
「ぐ、ぅ」
手にしていたリュートが床に落ちて、カランと乾いた音を立てた。
治療はもはや無理だ。武器は手から離れ、首に食い込ませるようにして腕を押し付けられて、歌どころか呼吸すらままならない。
リビダが呻くロータスの頬に短剣を滑らせれば、その刃は切れ味の良さを示してみせた。よく日に焼けているが滑らかな肌の上、ぱっくりと開いた傷にリビダが唇を寄せ、引っ掛けるように、歯を当てる。
いよいよロータスがぐったりと動きを止めると、リビダが首を傾げた。
「…………」
「あれぇ? もう抵抗しないの?」
告げた言葉は、心から残念そうに。それでいて締め上げる力は全く緩まない。
どこまでも性格の悪い男に問われ、ロータスは一度息を吐き出した。ゆっくりと俯けていた顔を上げ……そして。
――何故か、薄らと微笑んでみせた。
「……お前も、忘れてる、みたいだが」
厳しい呼吸の中、途切れ途切れになる声。
けれど、決して敗者のそれではなかった。
「!」
「私も、呪術師でも、あるんだぞ?」
「あぁ……そう、だったねぇ。そういえば」
忘れてたよ、とリビダが呟き、体勢はそのままに、視線だけが落ちる。
その脇腹には、奇妙な緑の牙を食い込ませ齧りつく、不気味なつぎはぎの人形が存在を主張していた。
ギリギリと脇腹を締め付けられる痛みのためか、余裕たっぷりだった悪魔の呼吸が、ここにきて僅かに乱れを見せた。




