貧乏街道一直線
拍手小話No.28
異変の直前
明るい森の中、ひっそりと佇む小さな家の前に立って、わくわくしながら扉を軽く叩く。
中にいる人物にはリコリスの来訪は既に知られているだろうから、あまり意味のない行為だ。返事がないのもいつものこと。
それなのに普段と違って気が逸るのは、とても伝えたい、大切な出来事があったからだ。
「お邪魔しまーす」
のんびりを装って声をかけながら、覗き込めばそこは魔窟。怪しげな薬品瓶や薬草、古い書物が散乱している。
その中に埋もれたソファに、リコリスの目当ての人物が座って、本を読んでいた。チラリと寄越された視線はわざとらしいため息と共に。
「……やっと来ましたか」
「やっとって言っても、いつも通りだけどねぇ」
嫌味な口調に、そんなに待ち遠しかったのかと言ってやりたいのを我慢して、リコリスは無難に返事をする。
うっかり口に出してしまえば、倍以上の口撃になって返ってくるのが分かりきっているからだった。
「さっさと入ったらどうです?」
この捻くれ者め、などと戸口で考えていると、顔も上げないでライカリスが言う。
その、なんとも素っ気ない声に素直に従って、リコリスは乱雑に散らばったあれやこれやを避けると、ライカリスの隣、何故か一人分だけ綺麗に空いていたスペースに腰を下ろした。
「……」
相変わらず本を読んでいる横顔を少し見つめてみる。
いつもなら、こうして並んでいても、お互い本を読んだり考え事をして過ごす。ライカリスの気が向けば、お喋りに興じることもあるけれども。
しかし今日は特別で、視線が勝手に気難しい相棒に向いた。
「…………何です」
10分もそうされていればさすがに我慢できなくなったのか、ライカリスが本を閉じた。
少しだけ、勝った、と思ったのは内緒である。
呆れ混じりの不機嫌を装っていても、出会った当初とは違う優しい目を、リコリスは見つめ返した。
「あのね、お金貯まったんだ」
「は?」
「土地代。スィエルの土地、買うことにしたから」
ずっとこれが言いたかったのだ。
この世界に馴染んでからは、ずっとずっとこれを目標にしてきた。スィエルの優しい人々の近くにいたい。この捻くれた、それでいていつもそっと気遣ってくれる相棒の近くにいたい、と。
やっと叶う、と顔が緩むのが自分でも分かった。
しかし、肝心の相棒の反応はといえば、どうにも芳しくない。むしろ、今度は心からため息をつかれてしまった。
「またそんな無理をして……」
「ずっと目標にしてたし……別に、無理はしてないよ?」
「へぇ? では残金はおいくらで?」
「……む」
言葉に詰まったリコリスに対して、ライカリスの口調は小さな子どもに諭すよう。
「あなたがそれを目標にしていたことはもちろん知っていますけどね。そのために切り詰められるだけ切り詰めていたことも知っているんですよ。例えば食費とか」
「う」
「今までだって相当無茶をしていたのに、この上残高いくらの貧乏生活ですか?」
そこで一旦口を閉ざしたライカリスが、リコリスの顔に手を触れる。柔らかい頬の肉を軽く抓って、彼は目を細めた。
「……これでも心配しているんですけどね」
伝わっていませんか、と落とされた声に、リコリスはしょんぼりと俯いた。
正論だ。しかも、滅多に見せないストレートな優しさまで大盤振る舞いされてしまっては、意地を張るに張れないではないか。
「ごめん……」
「もう少し余裕をもってお金を貯めてからでもいいんじゃありませんか? それとも、何か急ぐ理由でも?」
「急ぐっていうか」
問いかけに言葉を選んで。
その間にも、頬の肉はむにむにと、引っ張られたり戻されたりしていて、擽ったさが考えの邪魔をした。それで結局、思っていたこと、そのままが口から零れ落ちる。
「――私が土地を買った方が、ライカが来やすくなるかと思って」
今現在、リコリスの牧場に行こうとするなら、町の中央付近にあるゲートを通らなければならない。リコリスがこちらに来ない日はライカリスの方から会いに来てくれるが、町を突破するのは人間嫌いにはさぞ辛いだろうと思ったのだ。
しかし、土地を買って町の南に牧場を移せば、ライカリスの家から直接の訪問が可能になる。いつも牧場に着いた時に疲れた顔をしている相棒を、少しでも楽にできたらと考えていたのだが。
「え、あぁ……そういう……」
当惑にか、もしかしたら照れているのか、ライカリスの目が泳ぐ。
遊ばれすぎて赤くなったリコリスの頬を、指先がそっと撫でて離れていった。
「ライカ?」
「いえ、その……私のためというのが、予想外に嬉し……いや、えぇと」
もごもごもご。口の中で不明瞭に言葉を転がして、ライカリスが口を押さえる。
それから何事か考えて、ゆっくりとリコリスに視線を戻した。
「分かりました。買った後のことは、私が何とかします」
「えっ?!」
「いくらでも養ってあげますよ」
「いやいやいやいや」
いきなり何を言い出すのか。
リコリスは慌てて首を振ろうとしたが、それは叶わなかった。
先ほどの優しげな空気は何処へやら、意地悪な笑みのライカリスが、リコリスの頭を左右からしっかり掴んだからだ。
「そっ、んな、のっ」
横に振らせないどころか、無理矢理にでも頷かせようとする力に対抗する。
といっても、この相棒が相手では勝負にもならないわけで。
「嫌なんでしょう? 私もあなたが絶対断ると思って言わなかったんですけど。でも、よく考えたらそんな遠慮必要ないですよね。あなたは私のために、自分の意志を通すんです。私が同じようにしてはいけないはずがない。ね、だから安心して貧乏になってくれていいですよ?」
「ちょ、まっ」
「そうと決まれば引越しは早い方がいいですね。土地購入の申請は王都でしょう? 一緒に行きますから」
「やーもーっ、ぎゃー!」
「あはははは」
一息に喋ったライカリスは、リコリスの首を強引に縦に振らせながら、珍しい満面の笑みを浮かべていた。




