こんな日の定番は
ちょっとした用事で、町長宅に出向いた、その帰り道のことだった。
それまで明るく照らされていた町並みが微かに陰り、ライカリスが足を止める。
「曇ってきましたね。珍しい」
「ホントだ」
倣って空を見上げたリコリスも、相棒の言葉を認めて、同じように珍しいと思った。
この夏の季節に、日差しが遮られるほど雲が出ることはほとんどない。雨はもっと少ない。
だというのに、つい先ほどまでカラリと晴れていたはず青空には、いつの間にか白い雲が増え始めている。2人の進行方向の空から、色を濃くしながら。
「降るかなぁ」
「少し急ぎましょうか」
牧場まではさほどの距離もないが、今降られればやはり多少は濡れるだろう。
とはいえ、この町中をスキルで突っ切るわけにもいかない。誰かを轢いたら大惨事だ。
そうして足を早めてみたのだが、町の半ばを過ぎた頃、不意に落ちてきた水滴が目の前の石畳に小さな染みを作った。
「あー……」
「間に合いませんでしたね……。とりあえず、そこの軒下に」
パラパラと落ち始めた雨粒から庇うように、ライカリスがリコリスの肩を抱いて、道の脇の小屋の方へ促す。
遠くで慌てて走る人影を見ている僅かな時間に、うるさいくらいだった蝉の鳴き声が雨音に取って代わられていた。
「これ傘…………いりそうだね」
最初、弱々しく屋根を叩くだけだった雨粒に、傘は不要だろうかと思えたのは一瞬だけ。
あっという間に勢いを増した雨にリコリスはため息をつき、腰に手を伸ばす。
望むのはもちろん傘、だが。
「傘……えーと、蝙蝠様? もっとなかったっけ?」
ぺっと1本だけ吐き出された傘を掴んで、リコリスは当惑の眼差しを蝙蝠ポーチに向けた。
確か、リコリスがゲーム時代に集めたファッション素材の傘が、数本あったと記憶している。
しかし、その傘を保管しているはずの蝙蝠ポーチは、くたりと羽を垂らして。
(ま~た死んだフリ)
どうあってもこれ以上の傘を提供するつもりはない、と。
(いや、相合い傘くらい別に平気なんだけどさ)
普段が普段だけに。そして最近が最近なだけに、並んで傘の下程度がどうしたという感じだが。
問題は――2人の身長差である。
リコリスに合わせればライカリスが入らないし、逆だとリコリスが濡れるだろうし……。
リコリスは顔を顰めて手の中の傘を見、それから隣の相棒を見上げた。目が合うと同じように困惑の視線が返ってくる。
さてどうしたものかと首を捻った彼女の頭に、控えめなため息が降ってきた。
「リコさん、傘を広げて。持っていてください」
「え? あ、うん」
慌てて傘を持ち直し、リコリスは言われた通りそれを開いた。
外側が黒地に薄らと蝙蝠柄の傘は、ゲーム中では開くことはできなかったが、実際に使ってみれば内側は白い線で描かれた小さな魔女やミイラ男などが、縁を一周ぐるりと飾っている。
好みも好みなそのデザインにうっかり目を奪われていると、
「失礼」
「ん? ――わっ」
腕を掴まれたと思ったら、ほぼ同時に膝裏を掬われ、リコリスの上半身が大きく傾ぐ。
掴まれた腕が支えになっていなかったら、あるいは手が放されでもしたら後ろにひっくり返っていただろう。
とはいえ、それをしたのが他でもない相棒であるから、そんな間違いは起こりようもないのだけれども。
「……えっと」
「これで何とかなると思うんですけど」
瞬きをしている間に片腕に座らされ、目線が相棒よりも僅かに高くなった。
その状態でライカリスが顔を上向けるものだから、互いの顔は先ほどよりも更に近くに。
思わず体に少しばかり力が入ってしまったのが、自分でも分かった。
先日の自覚や諸々がまだ後を引いているらしい。情けないやら、格好悪いやら。
「私が持ちましょうか?」
リコリスの様子に苦笑したライカリスが、持ち主の動揺を表すようにふらふらと安定しない傘を示す。
手を伸ばされそうになり、リコリスは慌てて首を振ると、持ち手を握り直した。
「だ、大丈夫」
「そうですか……では、お願いします」
しっかりと差された傘を確認して、ライカリスが雨の中に足を踏み出す。
こんな状態で傘を差すのは初めてで、リコリスはなんとなく、安定を求めるように空いた手でライカリスの頭を抱き込んだ。視界を奪わないよう気をつけつつ、ぴたりと身を寄せる。
途端、それまで微塵の揺らぎもなかった腕が僅かに揺れた。
「……っ」
「ライカ?」
「い、いえ、何でも……ない、です」




