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■永遠の一瞬


 ピアグレス国のアリービーデ宮殿は慌ただしかった。

 いつも扇を口許に当てて優雅な微笑を見せている貴婦人達は、興奮気味に宮殿の大広間を覗き見ようとドレスをたくし上げてヒールのある靴で小走りしている。

 廷臣達も落ち着かない様子で大広間の扉前でうろうろしていた。扉の向こうを覗き見たいというのが見え見えだ。

 魔王軍との戦いから二年が経過した今、このアリービーデ宮殿で史上に残るだろう、極めて異例な盟約が交わされようとしている。

「えー、今この時より我々ピアグレス国と魔大陸……失礼、パーサジェット大陸との間に友好条約を締結する。これから先、もしもどちらかが危機に晒された折は必ず助けるものとし、貿易も行なうこととする。何か諍いが起こったとしても、戦争を起こすことなく平和的解決を望むものとし――」

 議長を務める国王の側近が、延々と条約の内容が紡ぐ。

 条約締結の席には、リリーとスティレットの姿があった。

 ピアグレス国側代表とパーサジェット大陸代表は長テーブルごしに顔を突き合わせている。

 ピアグレス国側は国王とリリー、そして側近一名に司令官と騎士団団長。パーサジェット大陸側はスティレットとその補佐、そしていつぞや生き証人として生かされた魔族が出席している。

 リリーは議長の述べることなど上の空で、用意された水を呷った。

 反対側にいるスティレットも暇そうに飲み物に口をつけている。スティレットは水ではなく、ベリージュースを飲んでいた。

 この条約締結に向けて一番奔走した者同士、内容は暗記するくらい読み込んでいる。

 スティレットが魔王を倒したその後、リリーはピアグレス国……ひいては人類全てを魔族から救った英雄として、国外からも表彰された。

 東の大国・プリング帝国からもぜひうちに来てくれと言われた。しかし、リリーはピアグレス国から動くことはせずに魔大陸と正面から向き合った。ピアグレス国が貧困に窮しているのは、パーサジェット大陸から魔族が襲ってくるためだ。それさえなければ、豊かな国となるはず。

 リリーは国王に懇願して、スティレットへ向けて手紙を出すことへの許可をとった。

 国王はリリーの熱意に負けてそれを承諾した。

 最初の頃、リリーが出した手紙の内容をスティレットは渋った。パーサジェット大陸と友好条約を締結したいと申し出たリリーに対し、パーサジェット大陸は魔王の交代によって混乱しており、それどころではない。というのが返答だった。

 しかし、リリーは粘った。

 何年かかってもいいからパーサジェット大陸が落ち着いたら条約を交わそうと書いた。

 そしたらどうだ。

 スティレットは一念発起して、ものの見事にたった二年で大陸全土を統治してみせた。

 彼は、ピアグレス国を攻めるという魔族達の楽しみを奪うことになるから、何か違う楽しみを提示出来ないか、と要求して来た。

 そこでリリーは、ピアグレス国に限って魔族を受け入れると条件を提示した。魔族達が堂々と人間の国に立ち入ることなど、今までどの国も許していなかったから、いい楽しみになるのではとリリーは考えたのだ。

 国王は泣きそうになりながらやめてくれと言ったが、リリーは冷たい目で「戦争になるよりマシです。大丈夫、安全は確保します」と言い切った。

 実際のところ、安全の保証は何もない。スティレットの采配を信じるしかなかった。魔族達は自分より強い者の言うことは聞くらしいから、スティレットが人間を殺すなと命令すれば取り敢えずは牽制になるだろう。

 ならば何とかしよう、とスティレットは前向きな返答をしてくれた。

 こうして、今に至る。

 スティレットは少し疲れた顔をしていた。魔族達の説得にかなりの労力を費やしたに違いない。リリーもまた、人々の説得にかなり労力を割いた。

 スティレットの顔を見たのは、実に二年ぶりだ。手紙のやりとりはしていたが、それは全て国交絡みである。私信は一通も来ないし、出さなかった。

「して、リリー殿とスティレット殿。何か言うことは?」

 議長の言葉にリリーは首を横に振る。

 スティレットは頬杖をついたまま、部屋全体に目を向ける。一同は背筋を張った。

「この条約が成就したのは、全てリリーのおかげだ。せいぜい彼女に感謝するんだな」

 彼は、それだけ述べる。

 ピアグレス国側に座っていた人々は、誇らしげにリリーに頷く。

 リリーとスティレットはその一度だけ視線を合わせただけで、何も言葉を交わさなかった。

 ただ、リリーの手首にはカメオ・ブレスレットがあった。

 それを見た瞬間、スティレットは満足げに口の片端を上げた。


 ◆


 それから更に十年。

 ピアグレス国は見事なまでに発展していた。

 砂漠地帯も多いが、それ以外の地域は比較的豊かな土壌があるため、瞬く間に国土は潤っていった。特産物もベリージュースを筆頭にたくさん出来た。

 豊かな土があれば作物は大きな実をつける。

 海に面しているプンハベウロは、魚料理はもちろんのこと、安定した気候を使ってまるまると育て上げた、栄養素たっぷりの野菜の産地としても有名になった。

 魔族を受け入れたことは、結果的にピアグレス国にとって大きな利益をもたらした。彼らは魔大陸にある技術をそのままピアグレス国に持ってきてくれたのだ。魔族達は総じて退屈を嫌う。だから、いつもそこかしこで魔法を使って大道芸をしたり、祭りを率先して盛り上げたりしてくれていた。彼らは争いが好きなのではなく、自らが楽しめる環境があればそれでいいのだと人々もようやく理解し始めた。

 確執の根は深い。

 やはり、まだ魔族を受け入れられない人間も多くいるし、それと同じくらい人間を嫌う魔族も多くいる。また、これだけ豊かになったピアグレス国を狙う大国はたくんさんある。だが、魔族達に目をつけられては敵わないと今のところ、大国は静観していた。

「魔族のお兄ちゃん、これあげる」

「おう、ありがとよ」

 幼い男の子が魔族の青年に林檎を渡している。魔族の青年が魔法で見せた大道芸のお礼だろう。

 リリーは微笑ましげにその光景を見ていた。

 魔族の青年はリリーに気付き、にっと笑って気さくに手を振ってくる。それにリリーは手を振り返した。

「おう、リリー。今日も視察か?」

「うん。ここは相変わらずにぎやかだね」

 かつては魔族と人がぶつかった、エディゴス河の近くにある町は喧騒の最中にある。簡素な造りで建てられていた住宅は、もう魔族が攻めて来ないということでしっかりしたものに様変わりし、いっきに人口密度が増えた。そのために、商人達も頻繁にこの町へ訪れるようになった。今は一番魔族と人が一緒に暮らしている地域である。

 エディゴス河の流れに沿って、戦の犠牲になった者達の墓は所狭しと並んでいる。しかし、それ以上に生命の活気が町には溢れていた。

「俺さあ、リリー」

 そっと魔族の青年が囁きかける。

「人間って弱いから、俺が守ってやろうって思ってるんだ」

 リリーは目を丸くした。魔族の青年は神妙な表情をして頭を掻く。

「何度もここへ攻め込んできた俺が言えた口じゃないかもしれねぇけど、ほら……さっき林檎くれた坊主の親もさ、俺達魔族が殺したんだと。けど、あいつは俺と仲良くしてくれる。こうやって、関わって初めて人間の気持ちとか、色んなことに気付いたぜ。俺……ここに来れて良かった。パーサジェット大陸を平定したスティレット様にも感謝してるけど、お前にも同じくらい感謝してる。俺達をこの国に来れるきっかけを作ってくれて……ありがとう、リリー! お前のためにも絶対ピアグレス国の奴らに何かあったら、俺達魔族が守ってやるからな」

 胸に何かが去来し、詰まる。

 魔族の青年は屈託なく笑むと、先程彼に林檎を渡していた少年にせっつかれて再び大道芸をし始めた。魔族の青年と人間の少年は、仲が良い兄弟のようにも見えた。

「良かったな」

 リリーの後ろに控えていた騎士が言った。

 パルだ。もちろんその横にはモースの姿もあった。彼らはスティレットの最後に残した言葉に従い、リリーをいつも守ってくれている。

 パル達には、レイ・ブラウンは戦場で殺されたのだと説明した。彼らは泣いて彼を惜しんでくれ、墓まで立ててくれた。

 本当のところレイ・ブラウンはスティレットで、魔王となってパーサジェット大陸を治めているなどとは口が裂けても言えない。

 パル達がレイ・ブラウンの墓に祈りを捧げている横で、リリーは罪悪感に苛まれていた。十年経った今でも、パルやモースは彼の墓に毎月花を供えている。

 パルは五年前、貴族の子息という地位を自ら棄てて副騎士団団長にまで上り詰めた。

 モースはアリービーデ公爵長子のため、パルのように思い切ったことは出来なかったようだが、親を説得して、いまだ家督を継がずに騎士として働いていた。

 リリーはパルやモースの上司に当たる騎士団団長を務めている。

 前団長は、自らその座をリリーに譲った。未熟な自分がその地位を受け取ることは出来ないと当初突っぱねていたリリーだが、前団長の強い押しに根負けしてしまった。

 しかし、昔と違うことが一つある。

 根負けしたにしろ何にしろ、リリーは団長になったことを後悔していない。英雄だと祀り上げられることに怖気づいていない。月日の流れは、確実にリリーを成長させた。

 団長に着任の儀にて、金の刺繍が入ったマントを前団長から貰い受ける時、彼に言われた。

『騎士団団長ってのはな、強さじゃないんだ。皆を導くことが出来る強い意志と魅力があればいい。お前は……いい意志を持ってると俺は思う。絶対に死なないって。それが一番戦う上で大切な意志だ』

 前団長の言葉は今もリリーの胸に刻まれている。

「あ、リリー様!」

「リリー様、最近ようやく木々が根ざすようになって来たんですよ」

「リリー様だあ!」

「ちょっとリリー、聞いて。パン屋があたしのこと雇ってくれるって! 魔族だけどいいのって訊いたら、一生懸命働くならいいよって!」

 わっと人々がリリーの周りに集まってくる。

 人間も魔族も関係ない。皆がリリーを囲んだ。

 リリーは笑った。

「良かった……皆、元気そうで」

 名実ともに英雄となったリリーの腕にブレスレットが輝く。

「ねえ、リリー様」

 小さな子供がブレスレットを指差す。

「それ、綺麗」

「ああ、このブレスレット?」

 うん、と子供は頷く。引っ込み思案そうだ。勇気を持ってリリーに喋りかけてきたのだろう。顔が真っ赤になっている。

「ちょうだい」

「これ、マーム。厚かましいこと言うんじゃない! すみません、リリー様。まだ幼いもので」

 母親が愛想笑いを向ける。子供の目は真剣だ。

 リリーは迷った。基本的にリリーは人々へ自分のものを与えることに抵抗はない。

 しかし――。

 リリーは子供の目線に合わせて腰をかがめた。

「このブレスレットは、大切な人からもらったんだ。……私が英雄になれたのも全て、その人のおかげだから、あげられない。ごめんね」

 真剣にブレスレットを欲しがっている少年に誠意を持って答える。

「そうなんだ。うん、わかった。それはリリー様の宝物なんだね」

「うん」

 頷くと、子供は笑った。

「ちゃんと教えてくれてありがとう」

 リリーも少年に笑いかけた。

「いつか、このカメオ・ブレスレットをくれた人に会えたら――その人がこれを譲っていいって言ってくれたら、その時はマームにこれをあげる」

「ほんとっ?」

 パッと少年の顔が明るくなる。

「僕、それをもらえたら、リリー様みたいに皆を笑顔にするよ! ううん、もらえなくても、きっと!」

 少年の素直さが眩しい。

 リリーは立ち上がる。

 琥珀色の、底知れない記憶を内包したカメオを見つめる。

 永遠の一瞬。

 人間であるリリーと魔族であるスティレットの道が交錯した証。

 リリーはカメオに口づけを落とした。

 いつかまた二人の道が交わることを信じ、リリーは掌を天へ掲げた。




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