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■魔王・スティレット


 深夜だというのに、プンハベウロは煌々とした明かりに包まれていた。

 魔王軍が攻めてくると兵士達が市街地で言い回り、家の地下倉庫へ逃げる者や、半狂乱で貴重品片手に近隣の町へ逃げようとする者が続出した。もう既に魔王軍はエディゴス湾から上陸している。プンハベウロ城の胸壁に備え付けられた砲で船の上陸を阻もうとしたが、頑丈な造りの船に、砲撃は全く効果がなかった。

 こんな事態になったのは、指揮官や軍師達がこの時期特有の風を考慮していなかったためだった。この季節、魔大陸付近の海域は風向きが不規則に変化する。追い風が魔王軍を手伝い、ピアグレス国上陸の予定日を早めた。船体が予定よりも大きく見えるため、どうにもおかしいと思ったドラム番が報告しなければ、もっと事態は深刻化していただろう。魔王軍が完璧に上陸してから気がついたかもしれない。

 プンハベウロ城の広間に騎士達は集結していた。広間の窓越しに魔族達を確認した騎士達は、沈黙する。この前とは比較にならない大軍だった。誰もが緊張していた。

 こんなに魔族はいたのかと思うくらい、たくさんの魔族がエディゴス湾から乗り込んでくる。重歩兵がどうにかそれを止めようとしているが、圧倒的に魔族の数が多かった。

 後方に控える砲兵が重歩兵の頭越しに砲弾を浴びせて敵を粉砕しようとする。しかし、魔族は砲など難なく掻い潜る。

 半数の砲兵は城に詰めており、いつ籠城戦となってもいいように準備を整えていた。

 リリーは肩を回して防具が邪魔にならないか、最終確認をする。

「気をつけろ」

 そうリリーに言ってきたのはパルだった。国王の身辺警護という名のもと、パルやモース達貴族の子息は安全な後方にいることとなった。彼らは居た堪れない表情で所在なさげだ。リリーや庶民出身の腕利きの騎士達は前線に出て戦う。

 パルの悔しそうな顔を見て、リリーは厭味など言えなかった。彼だって、騎士として前線で戦いたいはずだ。パルやモースは貴族にしては珍しく、腕が立つ。勇気もあるし、正義感も申し分ない。リリーより余程、騎士に相応しい。

「ああ……皆様、リリー様の影にお隠れになるということでございますか」

 スティレットの皮肉にリリーはギョッとした。パルは拳を握りしめて強く目を瞑った。

「違う! 俺だって、リリーと一緒に前線へ出向いて戦いたいと思ってるさ! けど……」

「お父上が許して下さらない」

 パルの言葉をスティレットが引き継いだ。スティレットの目には嘲りが宿っている。

「く……っ」

「それはそうだ。騎士と云ってもあなたの父上が望んでいるのは上辺の肩書きだけ。前線に出て戦い、大切な継承者に命を落とされては叶わないでしょう」

 リリーは焦ってスティレットの口を塞ごうとする。

「ブラウン、それ以上云わな――」

 皆までリリーが言おうとするのをモースが制止した。

 モースは口許を引き締める。

「レイ・ブラウン。キミの言うとおりだ。ボク達は家に縛られた馬鹿な男なんだから」

 モースも含め、パルや他の貴族の子息達は沈痛な面持ちをしている。

「あなたがたは、とても強い方だ。ぼくを殴ろうとしないから」

 スティレットは、にっこりと笑った。

「誰だって痛い腹をナイフで抉られればその相手を殺そうとするものです。しかし、あなたがたは敢えてその苦吟に耐えようとしている」

 騎士達は驚きの眼差しでスティレットを見る。まさか、スティレットの口から称賛が零れるとは思わなかったのだろう。スティレットは慇懃無礼に頭を下げた。

「どうか、リリー様が見事勝利を掴んだ暁には、この方をお守り下さい」

「あ、ああ」

 パルが思わず頷くと、スティレットはリリーの背を押した。

「さあ、リリー様。身支度が済んだのでしたら団長のもとへ行かないと」

 リリーは眉根を寄せる。

「スティレット……あんた……何考えてるの?」

 小声で尋ねる。先程の言い方だと、まるでスティレットがいなくなるように感じるではないか。

 リリーはじっとスティレットの返事を待ったが、彼はこちらを見ようとしない。


 ◆


 ピアグレス国軍は、非常に劣勢だった。他国から派遣された兵達を含めても数百の軍に対し、魔王軍側は千を超える軍だ。まともに渡り合えるわけがない。前と同じように、戦争が行なわれている証の旗が乱暴に地面に突き刺してあるが、混戦によってほとんど外れており、意味を成していなかった。

 魔法が飛び交っている。

 国王お抱えの魔術師達もいるが、ほとんど役に立っていない。魔術師達は魔族に対抗して巨大な火の玉や氷の飛礫などを発現させていたが、下級魔族が削れるだけだった。防戦一方だ。

「これは……」

 馬に騎乗したリリーの頬に冷や汗が伝う。もう戦場はすぐそこに迫っている。

「逃げるか?」

 リリーの乗っている馬の手綱を引くスティレットの言葉に、リリーは首を横に振った。拳に力を入れる。

「スティレット、あんた言ったじゃないか。逃げても魔族は私を追ってくるって。それなら、倒すしかない。お願い、力を貸して」

 スティレットは無言で髪を泳がせた。彼の目が遥か彼方を見て、細まる。彼は、何かを感じ取っていた。

「リリー、来るぞ」

 そう言ってスティレットは姿をくらます。どん、と弾かれたような感触と共にスティレットがリリーの中に入って来る。リリーはよろめきながら、馬の横腹を蹴って戦場に突っ込んだ。女と思えない剛腕で、次々と敵をなぎ倒して行く。魔法を使う相手を素早くかわし、リリーは必死にスティレットの動きを邪魔せぬよう手足を赴くままに動かした。スティレットは上手くリリーの体を動かしてくれる。無理に力を入れない方が賢明だ。

『前より随分と腕力が上がったな。訓練の賜物だ』

『あんまり嬉しくない』

 男だったら嬉しいだろうが、リリーは一応女である。そんな賛辞は嬉しくない。

 どんどんリリーは斬り込んで行った。味方の数が明らかに減っている。青いマントの騎士は一人として見当たらない。ここいらは魔族の本陣なのかもしれない。

 いきなり、スティレットの動きが止まった。リリーと剣を合わせていた魔族も制止する。人間達も、何か良からぬ気配を感じて立ち止まる。動いているのは、知恵なき下級魔族と下っ端の人間歩兵だけだった。

 うっとリリーは吐き気を覚えた。思わず口を押さえる。リリーは毒や異物に敏感だった。臭いや味がしただけで吐いてしまう。そんなに強い刺激臭ではない。しかし、皿にこびりついた垢のような、決して落ちることがない慢性的な臭いがする。

 一人の男が音もなくリリーの前に現れた。リリーと対峙していた魔族は一目散に逃げ去る。

 ぎらついた目に、白っぽい唇。その隙間から見え隠れする黄ばんだ歯。魔族の証である尖った耳に、青い血管が透けて見える肌。ほぼ白に近い銀の縦長な目は、見る者全てを恐怖に陥れる。男の後ろには黒い重厚な棺を担いだ魔族が数人いた。リリーの歯がガチガチと鳴った。それはスティレットの反応ではなく、リリーの生理的な反応だった。

 スティレットを殺してしまった時とは比較にならない程の恐怖が目前にある。男から発せられる、凶悪な殺気が身を切る。目の前にいる人物は危険だと、リリーの本能が警鐘を鳴らす。

「魔王様!」

「なに、魔王だとっ?」

「そんな馬鹿な……。魔王が人間の国へ立ち入るなんて聞いたことも――」

「ああ、魔王様! そいつです。スティレット様を倒したのはその女でございます!」

 ざわりとリリーの周りが拓けた。魔王はリリーを睥睨する。凍えるような魔王の目は、スティレットが時折見せる目に酷似している。魔王もまた、スティレットと同じように長い年月を生きているとすぐにわかった。全てが退屈で退屈で仕方がなくなっている、虚無の瞳。

「そなたが、スティレットを討ち破ったのか?」

 低く濁った声に、リリーは果敢にも頷いた。魔王はすっと瞳孔を開く。

「スティレットは私のお気に入りだったのだよ。魔族には珍しく、主君の寝首を掻こうとせず、上昇志向もない貴重な男だった。知恵もあるし、魔力もわたしを上回るかもしれぬのに、従順に仕えてくれていた」

 魔王の手がリリーの首筋に伸びる。

「それを、そなたが……」

 ぐっとの頤を掴まれる。スティレットの手加減した手とは違う。非常に苦しく、ショック死してしまいそうだ。リリーは死に物狂いでその手からのがれ、距離を取った。

 その拍子にスティレットからもらった髪飾りが滑り落ちる。あっと思ったが、リリーはぐっと拾おうとする自分の気持ちを抑えた。それを魔王が踏みつぶす。髪飾りは無惨にも粉砕した。

 リリーは顔を引き締める。リリーの表情が変わったのを見て、魔王は腰に携えた大ぶりの剣を引き抜いた。魔王とリリーの戦いが始まった。それに後押しされて他の者達も戦い始める。

「う……っ」

 リリーは執拗に魔王が放ってくる魔法を弾くが、段々と体力を消耗していく。魔王はその場から一歩も動かずに攻撃をしかけてくる。

 わざと嬲って楽しんでいるとしか思えない。魔王はうすら笑いを浮かべて剣を合わせている。

 いくらスティレットの力を借りて戦おうが、体はリリーのものだ。体力には限界があるし、腕力だって身体能力だって、スティレット本来のものとは比べ物にならないくらいお粗末だろう。しかも、具合の悪いことに相手は魔法を使える。剣を交えている最中にも魔法を仕掛けてくる魔王を前に、助力してくれる魔術師もいたがすぐに魔族達によって阻止されてしまう。とうとう、リリーは倒れ込んでしまった。リリーを救おうと兵士達が駆け寄ってくるが、魔王がそれを弾く。

「とくと見るがいい。我が種族に盾ついた者の末路を! これまで通り、大人しく遊びに付き合っていれば良かったものを!」

 魔王の頭上に巨大な黒い火の玉が現れる。

 リリーは諦めなかった。咥内に溜まった血を吐き出して、唇の端を拭う。

『リリー、お前……』

『私は、生きる』

 リリーの目は絶望に染まっていなかった。ただひたすら、明日の光を見つめていた。

 スティレットがいてくれる。信じる者が傍にいてくれることが、これ程までに力となるとは思っていなかった。

 リリーは剣を手にして立ち上がる。魔王は果敢に挑もうとするリリーを見て、いびつに笑んだ。

 スッと、リリーの中からスティレットが抜け出した。

「――!」

 いきなりのことにリリーは目を剥いた。思わず前のめりになる。

 ガタッと魔王の後ろから大きな音がした。

「陛下、お待ち下さい」

 魔王の後ろに控えていた者達が持っていた棺から、ぬっと白く繊細な手が出てくる。魔王は攻撃をやめて棺を凝視する。その隙をついてリリーは後方へ下がった。

 兵士達がリリーの前に躍り出る。その中にはリリーを邪険にしていた者の姿もあった。彼らの誰もがリリーを守ろうとしてくれていた。

「俺達だって、国を担った兵士なんだ! 魔王なんかにゃ怯まねぇぞ! そうだろ、リリー」

「リリー、大丈夫かっ?」

 兵士達がリリーを庇いながら、訊いてくる。

「うん……」

 言いながらも、リリーは棺から目が剥がせない。

 魔族達が地面に棺を置くと、そのふたが外れた。そして、中から男は現れた。銀髪の髪がさらりと男の肩に流れる。深紅のマントは煌びやかで、彼にふさわしい。病的なまでに白い肌、髪の隙間から覗く長い睫毛とシャイニーバイオレットの酷薄な瞳。たった今、眠りから醒めたような顔をして、男は空を仰いだ。美しい顔貌は冴え冴えとしており、鈍色の甲冑がよく似合っている。

 男は立ち上がった。

 棺を担いでいた魔族達はむせび泣いている。それを一通り見回し、男は魔王やリリーに目を向けた。

「スティレット……」

 リリーの前に立ち塞がっていた兵士は、足を震わせながらその名を口にした。

「まさか、あいつはリリーに殺されたはずじゃ……」

「ひゃっほおおおおい! スティレット将軍のお戻りだぞー!」

 魔族達は雄叫びを上げて体中で喜んだ。リリーは握っていた剣を取り落とした。スティレットは本来の体へ戻り、魔王軍側へついたのだ。リリーを始め、周囲にいた兵士達はスティレットの復活に絶望する。反対に魔族達は狂喜乱舞した。

 魔族達と戦っていた人々は、石のように固まって動けない。恐怖と云うのは形がないものだ。魔王の登場でも恐怖を感じたが、それとは異種の恐怖がスティレットにはあった。

 スティレットがいるだけで場は凍る。魔王のような圧迫感はない。しかし、冷たい空気が人々を支配している。

 ――魔族は嘘を吐く。

「……なんで?」

 リリーの呟きに、スティレットは静かに答えた。

「上級魔族は致命傷を受けても死なない。体は砂となってパーサジェット大陸にある自らの棺に戻る。勇者が倒した魔王や強い魔族が何度も復活するのは、そのためだ」

 スティレットの横で魔王は、くつくつと嗤う。

「ついでにもう一つ教えてやろう。魔族を本当に殺せるのは魔族か――もしくは寿命のみ」

 スティレットはそう言葉を付け加えると、リリーの目を真っ直ぐ見つめる。

「魂に負った傷が癒えると魔族は復活するのだ!」

 魔王は高笑いして、叫んだ。

「そなたごときの弱い力でスティレットが半年も眠っていたことが奇跡ぞ! もっと早く目覚めることも可能だったはずだが。やれやれ、そなたを騙すのがよほど面白かったのだろう。真実を知った時の希望を失った瞳……ぞくぞくする」

「陛下、お戯れを」

 スティレットは微笑する。険呑な光を宿した菫色の瞳はまるで笑っていない。

「さあ、今日は宴だ! さっさとこの娘を片付けろ、スティレット」

 リリーを守るように囲み込む兵士達を、スティレットは片手一本で魔法を使って吹き飛ばす。

「う……っ」

「ぐあっ」

「あ……」

 リリーは彼らに駆け寄った。息はある。リリーは胸を撫で下ろす。皆、気を失ってしまっているだけだ。

「久しぶりの己が肉体はどうだ? 上手く魂と結合出来ているか?」

 魔王の問いかけにスティレットは喉の奥で笑った。

「ええ。魔法も自在に操れますし……上々です」

「…………馬鹿な」

 リリーはスティレットに向き直ると、吐き捨てるように言った。初めて絶望というものを知った。嘘だ、と呆れたように笑う彼はいない。全てが嘘だったのだ。あの、リリーと共に過ごしたことが全部、嘘だったのだ。

 冷たい瞳が、目の前にあった。リリーの目前にスティレットが迫る。何の感情も浮かんでいない瞳を見ても、恐怖は浮かばない。

「スティレット」

 呼びかけてもスティレットは反応しない。

「さあ、スティレット! 存分に甚振ってやるがいい」

 魔王の、勝利を確信した声がリリーの耳に反響する。リリーは、もはや指一本動かす気力もなかった。精神的にも肉体的にも限界だった。

 リリーはぽろぽろと流れる涙を乱雑に拭い、スティレットを睨んだ。スティレットの表情は暗くて見えない。彼の背にはやがてくる明日の光が射していた。

 神々しく、禍々しい。彼は全てを魅了し、全てを絶望に突き落とす。リリーへの優しい言葉も、温かな腕も、全てこうしてリリーを絶望するために仕組んでいた罠だったのだろう。

「……楽しかった?」

 リリーは血走った目で自嘲の笑みを洩らす。

「私を騙して、いい退屈しのぎになった?」

 スティレットは、暇つぶしだといつも言っていた。ならば、こんな結末を予想しても良かったのに、リリーはそれを考えてもいなかった。どうして彼を信じてしまったのだと、自らを呪わずにいられない。

 今まで、誰も信じてこなかった。だから、こんな裏切りにも合わなかった。なのに何故、一番信用してはいけない魔族などを信じたのだろう。問い掛けても、リリーの心の殻は固く閉じて返答しない。スティレットは嗤った。それが彼の答えなのだ。リリーは目を瞑った。

(こんなふうに裏切られるくらいなら、いっそ最初に殺されていれば良かった)

 リリーらしくもない後ろ向きな考えが過ぎる。生きることを放棄したのは初めてだった。

「…………お前らしくもない」

 スティレットの声は、存外優しかった。

「生きたい、といつも願っていたじゃないか」

 甘い毒のようなスティレットの声がした。

 こんなに傷付いているリリーに、彼は追い打ちをかけてくる。脳裏を横切るのはスティレットと過ごした奇妙な共同生活で。

 リリーは嗚咽を抑えきれず、血が染みついた地面にべったりと座った。そんなリリーの頤をスティレットは掴み、強引にスティレットの方を向かせる。その動作はキスされた時とよく似ていた。一度とらわれたら離れられない、シャイニーバイオレットの双眸が細まる。

「ああ……俺のために流す涙も、いいものだな」

 いつまで経ってもリリーを殺そうとしないスティレットに業を煮やしたのか、魔王が近寄って来た。

「どうした。情でも移ったのか」

「いいえ、陛下」

 歌うようにスティレットは答える。ほとほと優雅な魔族だと思う。

 横にいる魔王とは対照的と言ってもいい。猛禽類のように残酷な魔王と、柔らかく見えても実は最も非情なスティレットのどちらが恐ろしいかは、おのおのの判断によるだろう。

「……そなたがあまりに悠長にしていると、他の魔族が娘を殺す役目をくれとうるさい。早くやれ」

 リリーはぼんやりとした目で周囲にいる魔族達を見た。皆、舌舐めずりしている。

「……陛下」

 スティレットはぞっとする笑みを魔王に向けた。

 ……次の瞬間。

 油断していた魔王をスティレットは細身の剣で貫いた。魔王は声さえ発せず地表に叩きつけられた。何が起こったのか、リリーはわからなかった。それくらい、突然の出来事だった。魔王の喉元と心臓に刺さった二本の剣には魔法や呪いでもこもっているのか、傷口が次第に広がっていき、魔王を侵蝕していく。魔王は苦しげに呻いた。魔族も人間も、リリーの近くにいた者達はあまりの凄惨で唐突なスティレットの行動に唖然とした。

 スティレットは両腕を水平にする。息の詰まるほどの熱がリリーを襲う。光が目に飛び込んできて、リリーは思わず目を閉じた。次に目を開いた時には、周囲に焼け野原が広がっていた。リリーと倒れ伏し気絶している兵士――そして一人の魔族以外、近くにいた者達は跡形もなく消し飛んでいた。

「ひっ」

 首を絞められた鳥のような声を出して一人の魔族が尻餅をついて後ずさった。スティレットは彼だけ生かした。格好からして下級魔族ではないだろう。しっかりとした防具を身につけており、聡明そうな面差しをしている。

 スティレットは彼に、

「お前は生き証人として生かしておいてやる」

と言った。

 ――拒否すれば殺す。

 スティレットの目は暗にそう語っていた。魔族は金魚のように口をパクパクさせて首肯する。頷く以外の選択肢は彼に与えられていない。

 スティレットは魔族が頷くと同時に、艶然と嗤った。そして、声を張り上げる。

「皆の者、魔王は滅んだ! ここにいる英雄が葬ってしまった!」

 大きな光が起こったため、何事かと思っていたのだろう。いつの間にか遠くにいる者達も動きを止めていた。動揺はゆっくりと戦場中を駆け巡り、やがてしんと静まりかえる。

「この時より、俺が魔王を名乗る! さあ、ここは一旦引き揚げるぞっ」

 スティレットは高らかに宣言した。

 スティレットの魔力は魔王と同等。それを魔族達は知っている。彼らは魔王が滅んだのならばとスティレットの言うとおり、引き揚げ始めた。

 リリーは口を手で塞いだ。

 スティレットは、自らが魔王となることで命令系統を執って戦争を終わらせた。彼はリリーを裏切ったわけではなかった。いや、もしかしたら魔王になりたかったから、この場を利用したのかもしれないが、助けられたことに変わりない。

 魔王との戦いの中で、リリーの体力が限界だとわかっていたから、彼女の体を抜け出して本来の体に戻ったのかもしれない。

 スティレットに尋ねても、答えてはくれないだろう。だから、リリーは勝手にそう思うことにした。

 朝陽の訪れと共に、魔族が去って行く。

 スティレットはへたり込んでいるリリーの手を引っ張り起こした。そして、体中についた砂を払ってくれる。スティレットの指先がリリーの頬に触れた時、少しだけ体温を感じた。

「魔王を倒したのはお前ということにしておく。なあに、俺が倒したのを見た者は一人を除いて全て殺したから妙な噂は立たない。……そうだろ?」

 スティレットはジロッと魔族の青年を睨んだ。魔族は「おっしゃるとおりに」と言って平伏す。可哀想に、顔を伏せて震えていた。

 スティレットは笑った。彼は外套を払い、つけていたカメオ・ブレスレットを外すと腰をかがめてリリーと目線を合わせる。

 スティレットはリリーの左手首にさも当たり前のようにカメオ・ブレスレットをつけた。彼は彼女の腕に光るブレスレットを指で軽く叩いた。

「リリー」

 スティレットはリリーに口づけた。甘い花の香りが鼻孔を擽る。最後に優しくリリーの髪を撫で、スティレットは身を翻した。

「忘れるなよ、お前は俺のものだ」

 そう言い残し、スティレットは外套をはためかせて魔族の大軍と共に去って行った。



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