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■海を挟んだ向こう側


「リリー様の従者として雇われました、レイ・ブラウンです」

 ブラックオニキスの髪目をした青年は、余裕の笑顔を浮かべて騎士達へ挨拶した。その場にいた騎士達は一斉にどよめいた。圧巻の美形に微笑まれ、男として敗北を感じているのだろう。顔が引き攣っている。野性味溢れる者が多い騎士の中にも、それなりに見目が整った者はいる。しかし、その誰もが青年の足許にも及ばない。

 リリーは、こめかみを押さえた。

 ……まさかあの彼が、朝の訓練のあとにこんな突拍子のない挨拶をするとは予想だにしていなかった。リリーは邸宅での出来事を回想する。

 滅多なことでは積極的にリリーの寝室へやって来ないメイド達が、寄ってたかって頬を紅潮させながら大きな音でノックして来た。まだ夢うつつだったリリーは、ふらふらしながらも鍵を開けた。そして、メイド達の爛々と輝く瞳を見て一気に目が覚めた。

 何事かと思えば……。

「リリー様、あんなお美しい方を従者に選ばれたのですかっ? 一体どこで出会ったのです」

「…………は?」

 リリーは眉根を寄せて、不愉快さを隠そうともせずにメイド達を見た。

 そんなリリーの様子に怯むことなく――いつもなら形式ばった笑顔で謝罪の言葉を述べる――彼女達は夢見る少女のように頬を押さえて目を輝かせた。

「まあ、しらばっくれるおつもりでございますか? 今頃、執事頭にもご挨拶されておられますわ」

「ちょっと、待って。状況がよく把握出来て……」

「ふふっ。リリー様がそんな風に動揺されるところ、わたくし初めて見ました」

 ねえ、とメイドは横にいた他のメイドに言う。メイド達の言うことがリリーには半分も理解出来なかった。彼女達は完全にリリーを置いて話を進めている。城下町の娘達のように、メイド達は年相応な顔をしてはしゃいでいた。

 リリーは朝っぱらからそんなテンション高く絡まれてうんざりする。

 メイド達の話を整理すると、誰かがリリーの従者になりたいとメイド達へ述べたということだった。しかも、かなり見目麗しい者が。

 従者と言えば、常に主とともに行動し、主が危機に瀕した時は自分の身を差し出してでも助けなければならない。騎士達の中に従者がついている者は少なからずいたが、ほとんどが自分の家から連れて来た従者であり、騎士となって以降についたわけではない。騎士や兵士には常に死が付き纏う。そんな者達の従者になろうと思う者はほとんどいない。

 騎士見習いとして騎士の従者となることもあるが、大半がリリーのような庶民の出ではない、良家の子息の従者となる。何故なら、良家の子息ならば前線には出ない。その分、自分に降りかかる危険が少ないのだ。

 また、リリーのように英雄と崇め奉られている者の従者になるなど、正常な神経をしていない。リリーは英雄として魔族と戦う時、必ず前線へ立たなければならない。リリーの従者になるということは、自らの命を投げ捨てるようなものだ。そこまでわかっていながらリリーの従者になりたいと名乗る危篤な者など、皆目見当がつかない。

 しかし、執事頭のところまでメイド達に連れて行ってもらって謎が解けた。

 リリーは青年を見た途端、一も二もなく彼の胸倉を掴んだ。すごんでみても、相手はリリーよりも背丈があるため全く迫力を出せない。ただ上目遣いに睨み上げるのが精いっぱいだった。

 青年は涼しげな面差しで小首を傾げて見せた。優雅にリリーの手を取り、彼は忠誠の証として手の甲にキスを落とす。背筋にぞわぞわしたものが駆け上がる。

 彼――スティレットは上唇を舐めた。かの魔族は、レイ・ブラウンという偽名を使って、堂々とリリーの従者を公言したのだった。


 ◆


 訓練の合間にある自由時間、いつもリリーは一人で城内を散策していた。十数人の庭師が丹精込めて整えた立派な前庭を歩いてみたり、行ったことがない塔へ立ち入ってみたり。プンハベウロ城の中で、リリーは行動に制限をかけられていなかった。立ち入り禁止されているところなど、ほとんどない。たまに使用人達が慌てて、その地下倉庫は出るからやめておいた方がいいと教えてくれたりした。幽霊など見たくもないので、そんな時は素直に回れ右をして別の場所へ行くことにしている。

 城の歴史が古いと、いわくつきの場所も多い。一度、ノーゴ塔の使われていない部屋を覗いた時は胆が冷えた。真っ赤なドレスを着た貴婦人が、じっと窓辺から前庭を眺めていた。昔は国王の妃や一族もここに住んでいたから、城に招かれた貴婦人がいてもおかしくなかっただろうが、今は違う。兵士達しかいないはずだ。リリーは貴婦人を目撃した時、勢いよくその場から逃げ出した。目の錯覚だったかもしれないとも思ったが、再びあの部屋を訪れて確認する勇気は湧いて来ない。

 そんな恐怖体験もしていたが、リリーはこの散策を密かな楽しみにしていた。スティレットが耳の奥でよくからかってきたが、実体化していない彼は無視出来る。

 だが、そんな楽しみも最近はとんと味わえないでいた。従者として何も咎められない位置を確保したスティレットは、のびのびとリリーの横を歩いている。石の螺旋階段を下りながら、リリーは仏頂面をしていた。

「……ステ……いや、ブラウン」

「はい」

「何してるんだ」

 毎日毎日、飽きもせずリリーについて来る。ついて来るなと言っても聞かない。従者だから、とその地位を利用してついて来る。

 スティレットは良い意味で目立つ。リリーは良い意味と悪い意味の両方で目立っている。その二人が一緒に行動することほど、凶悪なことはなかった。終始、四方八方から視線を感じる。

 リリー一人だったらこっそり行動して色んな場所を散策出来るだろうが、二人だったらそうもいかない。調理場から菓子をくすねることも出来ない。

「何って、リリー様に付き従っているんですが。ああ、リリー様にお仕え出来てぼくは果報者だ」

 ぞぞっとリリーの全身に鳥肌が立つ。スティレットがリリーのことを様付けして呼んでいる。螺旋階段では誰とすれ違うかわからない。それがわかっているから、彼はかしこまっているのだろう。

 すっと、スティレットはリリーの耳元に唇を寄せた。

「退屈なんだ。これぐらい許せ」

 退屈だからと従者になられたリリーは、たまったものではない。リリーは怨みがましい目でスティレットの顔を見やった。

 その時、「ん?」とリリーは眉をひそめた。リリーの双眸はスティレットの耳朶に輝くものに向いている。

「……そのピアス……」

 紫色のピアスがスティレットの耳に煌めいていたことにリリーは驚いた。それはスティレットの遺品として長髪の騎士がつけていたものだ。

「ああ、これか」

 髪を耳にかけ、スティレットは爽やかに笑ってみせた。リリー達は螺旋階段を下り終える。前方の物陰から黄色い声がした。大方、使用人達だろう。

「譲ってもらった」

 明け透けに彼は言い放った。脅したのではなかろうかとリリーは不安になる。

「あ……」

 ちょうどいいタイミングで、噂の騎士が前方より現れた。いつもと変わりない長髪に気障ったらしい顔。騎士はぎこちなく片手を上げて親しみ込めた挨拶をしてきた。

「や、やあ。リリー。こんにちは」

 少し前までピアスを所有していたはずの騎士は、何だかよそよそしい。しかも、ちらちらとスティレットを警戒するように窺い見て、「じゃあ、俺用事あるから」と足早に去って行く。いつもなら酒場で出会った娘達からのアプローチを受けたという話や、どれだけ自分が強いかと言った話を延々してくるにも関わらず。あまりの変わりようにリリーはやっぱり脅してピアスを回収したんだと溜め息を吐く。スティレットは悪びれもせずに言った。

「もとは俺の所有物だ。返してもらって何が悪い」

 脅さなくても他に方法があるだろうと言いたかったが、言うだけ無駄だとわかっているリリーは何も言わずに肩を落とした。

 ――ああ、ちょっと……押さないでよ!

 ――後ろに行けばいいでしょう? あたし達だってブラウン様みたいの!

 ――はあ、リリー様。

 ――この前、リリー様とブラウン様が談笑していたところを偶然見かけたんだけど、まるで絵画を見ているようだったわ。お二人が並んでいるだけで心が洗われる。

 ――まあ、羨ましい。

 物陰に潜んでいる女達の声は丸聴こえである。

(女の人は、どうしてこう……ひそひそ話が下手なんだ)

 むしろ、わざと聞こえるように言っているとしかリリーには思えない。皆、色男のスティレットがリリーの従者になってからというもの、色めき立っている。こうした女達の囁き合いも珍しい光景ではなかった。城に仕える女達はいつもスティレットを目で追っていたし、男達はスティレットの優雅な物腰を盗んで自分も人気者になろうと躍起になっていた。

 スティレットは自らに恋心を抱いていない者には親切だったが、下心ある者には非常に冷淡だった。

 何故かと問えば、

「何が火種になるかわからないから」

という曖昧な答えが返って来た。

 彼が何を考えているかはリリーにもわからない。

 もしかしたら、リリーが他の者からやっかみを受けて傷付くのを回避するために従者となってくれたのかとも思ったが、尋ねたところで明確な答えがスティレットから返って来るわけもない。もし違ったら、恥ずかしいので黙っておいた。スティレットに対して何を期待しているのだ、とリリーは、彼の優しさを信じている自分にいつも言い聞かせていた。

 彼は魔族だ。簡単に人を騙して自分の楽しみを最優先させる、魔族だ。

 言い聞かせてみても、一向にスティレットに対する期待感は低くならなかった。


 ◆


 リリーはよく城壁の上層部に足を運ぶ。スティレットが従者として四六時中付きまとうようになってからは、彼が女達に捕まる度に息抜きをするためこっそり来ていた。

 緊急時にドラムを叩く見張り番の兵士は無口だった。ここは、とても居心地が良かった。爽やかな風がリリーを通り抜けて行く。最近は気温が下がって来たために鼻の頭がつんとするが、高く澄んだ空を見ていると心が洗われるので、足を運ぶのをやめられない。

 リリーは胸元あたりまである花崗岩で出来た塀に寄りかかって、ぼんやりとしていた。

「ここにいたのか」

 はっとして城壁にもたれていた体を硬直させる。スティレットの手が、いつの間にかリリーを囲うように置かれていた。振り向いた先にあるスティレットの顔には、わざとらしい微笑など浮かんでいない。ほの暗い目をして、つまらなそうに空を眺めている。

「ちょっと、兵士が――」

 こんな状況を見られてはいけないと瞬時に判断したリリーは慌てたが、スティレットは目だけ兵士がいる後ろ側へ動かした。

「安心しろ。俺がヘマをするわけないだろ。眠らせてる。……やれやれ、ずっと笑っていると表情筋が引き攣ってしまうな」

 魔法を使ったのだろう。職務に忠実な真面目一徹の兵士が口を開けて爆睡している。それを見て、リリーは安堵の溜め息を吐いた。

「何を見ていたんだ?」

 問われて、リリーは城の片隅にある墓地を指差した。

「墓地を見てた」

 スティレットは首を伸ばしてその小さな墓地の集まりを見る。

「城内に墓を作るんだな、人間は」

「人間の墓じゃないけどね。ペットの墓」

「ペット?」

 訊き慣れない単語だったらしく、スティレットにしては珍しく目を丸くする。

「犬とか猫とかを飼っている兵士が多いの。プンハベウロ城に詰めている兵士達は家族と離れて暮らしているから、寂しさが募った時にペットがいると安らぐんだって騎士の一人が言ってた」

 駐留している兵達が孤独を感じないで済むようにとの配慮から、ここではペットの飼育が許可されていた。ペットのために小さな専用墓地まであるのだから、国王も意外と細やかな神経をしているものだと思う。

 スティレットは渋い顔をした。

「犬や猫を飼育する、ね。……魔族には、ペットという概念はないな」

「へえ……。あ、魔大陸には動物がいないとか?」

「いや、いるにはいるが。下僕として扱うか、儀式の生贄に捧げたりするものという認識がある。何だか、動物をペットにというのは……不思議な気がするな」

「生贄?」

 リリーの驚愕した表情を見て、スティレットはにやりと笑った。

「ああ、食べることもある。俺は食べないが。鳴き声がうるさいから、下僕として扱うのも鬱陶しい」

 リリーは開いた口が塞がらなかった。文化や種族の違いは、動物の扱い一つとっても違ってくるのだと実感する。

「……私にとっては、あんた達魔族の方が不思議」

「お互い様だ」

 ざあっと風が吹く。潮の匂いがする。ふと、この風はどこからやって来たのだろうかとリリーは思った。目線の先には水平線がある。

 海の向こう側にある、紫の靄がかかった魔大陸。もしかしたら今吹いている風は、魔大陸も通ったかもしれない。リリーの知らない、スティレットの故郷を。手を、伸ばしてみた。

「こうして見てると、魔大陸って随分近くにあるように感じる」

「ああ。魔大陸から見るピアグレス国もまた、こんな感じだぞ」

 リリーはスティレットを見た。スティレットもまた、リリーを見返す。

「魔大陸と人間達は呼んでいるが、本来の名はパーサジェット大陸というんだ。覚えておけ」

「パーサ、ジェット大陸。……上手く言えない」

 リリーは復唱する。ピアグレス国の公用語にはない発音に、舌が絡まりようになる。スティレットは髪を掻き上げた。

「ああ……お前達ピアグレス国人には発音が難しいかもな。俺達の言語はここの言語とアクセントが違うし」

「あ……言語違うの?」

 当り前だろう、とスティレットは呆れた眼差しでリリーを見た。

「だって……あんた、この国の言葉流暢に話してたから。あっちも同じなのかと」

 よく考えてみれば、違うということはわかる。同じ国ではないのに、同じ言語を使うなど――ましてや魔族が人間と同じ言語を使っているなど有り得ない話だ。

「魔族は、子供の頃から世界言語のほとんどを覚えさせられるんだ。どこに行っても困らないようにという理由と、攻め込んだ際に言語がわからなかったら要求も伝わらないだろ。ベリージュースを樽千個分用意しろとか」

 その例えはどうかと思うが、世界言語を自在に扱えるのはすごいことだ。

「あんたの暮らしてたところは、教育関係も整ってたんだ。魔大陸なんて呼ばれてるけど、良いところなんだね」

 教育を受けられるのは、国が豊かな証拠だ。もしくは、富裕層に身を置いているか。スティレットの話では、魔族全員が教育を受けるらしいから、大陸自体が潤っているのだろう。

「まあ、魔大陸と呼ばれても仕方ないところはあるかな。俺達魔族が住む大陸は濃い瘴気で満ちている。人間が一歩足を踏み入れば、たちまち毒に侵され死んでしまう」

「……パーサ……ジェット大陸って、どんなところ?」

 なれない名をリリーは口にして尋ねた。

「なに、こことあまり変わらないさ。毒花が咲き乱れていて、常にどんよりとした光しか射し込まないこと以外は。ああ、建造技術はあちらの方が上かな。魔族は皆、野心家だ。上の者を殺して自分がその地位に就こうとする者が後を絶たないせいで、身を守るための術は発達している」

「ねえ、ピアグレス国に攻めてくる時以外はあんた達って何をしてるの?」

 何故、こんなにも魔大陸や魔族のことが気になるのかリリーは薄々気がついていた。スティレットのことをもっと知りたい。その思いが胸を占めていた。

「魔族同士の殺し合い、もしくは眠っているか。俺みたいに顔貌を変えられる者は各国を放浪している」

「あんたも、他国にいたの?」

 いいや、とスティレットは目を細めた。瞳の輝きが鈍くなる。

「俺は眠っていた。人間の国など見ていても退屈だと思っていたから」

「そう」

 胸が痛んだ。スティレットは淡く微笑んだ。

「いつも、ピアグレス国に出向く時は後方にいたんだがな。今回だけは前方に出てみた」

「どうして?」

 スティレットの目が底知れない輝きを放つ。

「……さあな」

 ふいと視線を剥がして、スティレットは喉の奥で笑った。

「そういえば、パーサジェット大陸には幽霊がうようよいたぞ」

「ひっ」

 リリーはいきなりの幽霊話に恐れおののいて後ずさる。

「メイド達に教えてもらったが、この城にはいたるところに幽霊目撃談があるみたいじゃないか。お前も幾度か見ただろ? 昔、地下牢があったらしいぞ。そこで死んだ者達が夜な夜な呪いの言葉を吐きながら血みどろの剣片手に――」

「やめてよ!」

 スティレットは面白げにリリーの後ろを指差した。

「あ、リリー。お前の後ろにも……」

「お願いだから、そういうのやめてっ!」

 涙声でリリーがスティレットの胸を力いっぱい叩く。彼はびくともしない。優男のくせに、と暴言を吐いてみても、スティレットは動じる素振りも見せず、人の悪い笑みを浮かべた。

「この城壁の上にも一人いるぞ。百年くらい前、ドラムを叩く役割を担っていた青年が魔王軍の船を見つけたんだが、あまりの恐怖に失神して報せが遅れてしまった。それでプンハベウロ城は壊滅した。青年は生き残ったんだが、深い自責の念に駆られて自殺したんだ。それから、魔王軍が攻め込んでくるのが近づくと、一人でにドラムが音を立てる――」

 リリーは両耳を塞いで悲鳴を上げた。



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