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■さすらう心の終焉



 半開きのカーテンの隙間より、強烈な朝陽がリリーの瞼を刺激した。彼女は反射的に腕で顔を覆い、眉根を寄せて薄く目を開く。いつもなら誰かに部屋の中を見られないように、カーテンがぴっちり閉まっているのを確認してから眠るのだが、昨夜はそれを怠ってしまった。夜半、スティレットに縋って眠ったのだということを思い出したリリーは一人顔を赤くし、次いで蒼くした。

 これが良いところのお嬢様だったら「ああどうしよう。殿方の腕に抱かれて眠ってしまったわ」と大慌てするだろうが、リリーは違う。

 リリーは、自分の失態をスティレットに見せてしまったことへの羞恥心が強かった。そのため、羞恥に顔を赤くして弱みを見せてしまったことに対して顔を蒼くするという変化を見せたのだ。

 年相応の女性らしい思考など、リリーは持ち合わせていなかった。リリーは無防備に眠っているスティレットの腕の中から抜け出した。まじまじとスティレットの寝顔を見て、精神体も眠るのだなと半ば興味を引かれる。数多いる魔族の中でもずば抜けて端麗な顔をしたスティレットは、寝顔さえ綺麗だった。長い睫毛が、彼の小さな寝息に合わせて微かに振動している。耳さえ尖っていなかったら人間に見えるかも、とリリーは一人思う。神に愛でられたのだと言ってもおかしくないくらい、スティレットの容貌は浮世離れしていた。

 久々に泣いたのが原因なのか、頭と目の奥が痛い。リリーはだるい体を無理矢理奮い立たせ、両腕をぐっと伸ばす。いくらきつくても、騎士団の訓練は毎朝あるのだ。

 リリーは無理を押してブレスレットにとどまって自分を慰めてくれたスティレットに感謝し、微笑をもらす。

 しかし。

 リリーはスティレットの腕に輝くカメオ・ブレスレットにヒビ一つ入っていないことに気がついた。

「…………」

 ――ブレスレットに留まり過ぎると、この美しい琥珀にヒビが入ってしまう。

 彼はそう言っていたはずだ。

 同時に、魔族は騙すのが上手いと自ら公言していたスティレットを思い出し、リリーのこめかみに青筋が立った。


 ◆


 無理矢理叩き起こされたスティレットはふて腐れている。彼は眠そうに目を何度も瞬かせた。

「これの中に留まりすぎたら、割れるんじゃなかった?」

 リリーは光り輝くカメオ・ブレスレットを彼の目前に突き出して、詰め寄った。すごむリリーにスティレットは観念したのか、しぶしぶ認める。

「魂は移行できる。……何にでも」

「な、ん、に、で、も?」

 強調して言うリリーの眉が、きつく吊り上がる。スティレットの顔が、若干引き攣った。

「いや、だが……こうして俺を宿していても壊れないのは、このカメオ・ブレスレットだけだ。俺の魔力を込めてあるから壊れずにあるが、他のものだったら魂を移行したところで、一瞬で決壊してしまう」

「……じゃあ、ずっとこれに入っていれば良かったじゃないか。私の中などに入らなければ良かったのに」

 冷めた視線でリリーが呟くと、

「それじゃ面白くないだろ」

と言ってスティレットは口角を上げた。

「お前は意外にしぶとかったな。生命力に満ち溢れていた。最初の頃、気がついていなかったとは言え……あんなに長時間俺を体内に宿していたら発狂するぞ、普通」

 含み笑うスティレットを前にして、リリーの眉間に深くシワが刻まれた。


 ◆


 太陽が地平から昇りきった頃、騎士達は互いに剣を合わせて規則正しく整列していた。プンハベウロ城の一角には騎士団専用の訓練場が備えられており、王立軍との共同訓練もここで行なわれる。一般兵達は城壁周りの狭いスペースを使って訓練を行なっている。それと騎士団の待遇を比べると破格の差がある。それだけ待遇に差があるということは、それだけ期待を背負っているという証拠でもある。負けることは許されない。

 たとえ魔族にでも、決して逃げずに立ち向かわなければならないのだ。

 しかし、騎士団の半数は貴族の子息や要人の子息で構成されているため、彼らは前線には出されない。リリーのように庶民から騎士団になり上がった者が真の騎士と言える。あとの騎士達はお飾り騎士だ。パレードの先頭に立ち、民衆の賛辞を浴びる日なたの存在。リリー達が血を吐くように掴み取った勝利を我が物顔で物にする存在。

「リリー!」

 訓練が終わった途端、リリー目がけて駆けてくるパルやモースもお飾り騎士だ。そう心の中で坦々と考えている自分に吐き気がする。パル達は昨日のことで、リリーを心配して声をかけてくれたのだろう。なのに、リリーは凍えた思考で彼らを見ている。

「ああ……目が腫れてるじゃないか」

 パルはリリーの顔を覗き込んで悔しそうに拳を握る。

「スピアのことはこいつに任せとけよ。俺達、あいつ絶対許さねぇぜ」

 モースはパルの言葉に頷き、にっこりと笑う。

「ちゃんと始末つけるから」

 二人共とても思いやりに溢れており、優しい。いつものリリーだったら、少しは感動を覚えていたかもしれない。しかし、この時リリーはすこぶる機嫌が悪かった。

「……ありがとう」

 パルとモースは顔を見合わせて、心配そうにリリーを見た。

「どうかしたのか?」

 感情の機微に対する配慮がどちらかと言うと薄いパルに問われるくらい、リリーの顔は無表情だった。

 リリーは無理に口角を上げて笑顔を繕ったが、目が全く笑っていない。

 彼女は腕につけたカメオに右手で触れる。わざと引っ掻き傷でも作ろうかと爪を立てようとしたが、売値が下がってしまうと思い直して指を引っ込める。

「このカメオ、売ろうと思って」

 リリーが答えると、へぇ、とパルはカメオをまじまじ見る。

「それってスティレットの遺品だろ。兵士達が噂してたぜ。スティレットが遺したブレスレットをリリーが持ってるって。……そんないわくつきのカメオ・ブレス、売れないんじゃねぇの? 俺なら絶対買わないぜ?」

「言わなければわからない」

「リリーも人が悪いね」

 事もなげに言うリリーに、モースは苦笑した。


 ◆


 リリーは午後の休憩時間を使って市場に足を運んでいた。

「――まさか、本気か? 本気でそれを売る気か?」

 スティレットはリリーの横を歩きながら訊く。彼は深々と外套のフードで顔を隠して、気だるげに――しかし颯爽とした足取りでリリーの横に並んで歩いている。

「答える義理はない」

 取りつく島もなく一刀両断すると、スティレットは肩を竦めた。

「全く」

 はあ、とスティレットは大げさに嘆息する。

「せっかくいい暇つぶしになると思ったのに。残念だ」

 心底残念がっているスティレットを、リリーはちらりと横目見た。彼は嘘を吐いていない。スティレットは嘘を吐く時、微細ながら右目を細める。今、リリーは彼の右側にいるが、彼は右目を全く細めていない。スティレットは、変に繕った言葉でリリーを納得させようとはしなかった。アクセサリーをもらった女主人に囁いた甘い言葉も吐かなければ、嘘を吐いたことに対する言い訳もしない。

 暇つぶし、とは失礼な奴だ。歯に衣を着せぬ云い様である。もっと優しい言葉の一つや二つ吐けないのかと言おうとして、リリーはやめた。魔族に――しかも、魔王に次ぐ地位にある魔王軍第一将軍・スティレットに、何を望むというのか。殺されていないだけでも奇跡に近いというのに。

(……この気持ちは気のせい)

 リリーは睫毛を伏せる。ここまで距離が近いと、スティレットを普通の人だと錯覚してしまいそうになる。スティレットの腕の中で、リリーは孤独を感じなかった。

 リリーは、人々を騙すスティレットのかりそめの姿を見つめる。ブラックオニキスの美しい髪と瞳。至高の宝石と同じ深い色が色素の薄い肌と対比して、危うい色気を醸し出している。今の姿も十分美しいが、本来の彼は銀髪に底の見えない菫色の瞳をした、恐ろしい程の魅力を持つ魔性の男だ。上手く人間に化けているが、それでも内面から滲み出す魔族の血に皆が振り返る。

 リリーは胸を押さえた。とても痛かった。


 ◆


「ほうぉぉぉ」

 宝石商は唸った。城下町に名を連ねる宝石店の中でも、大型の店へリリーはブレスレットを持ち込んだ。モースにどこの宝石店が一番高値で買い取ってくれるか訊いて良かったと、リリーは息を吐いた。思いのほか、宝石店の数が多かったのだ。最近、近隣の国がこぞって宝石を発掘しており、それで作ったアクセサリーが流行しているのが原因だろう。こうして宝石商にカメオ・ブレスレットを見てもらっている間にも、年頃の娘達がひっきりなしに店へ入って来る。

「ひょおぉぉぉぉ」

 変な声を上げながら、ひとしきり宝石商はブレスレットについたカメオを検分している。彼の目は爛々と輝いていた。彼は眼鏡を外したりつけたりして、遠くから近くからカメオを様々な角度から眺める。

「どうですか?」

 リリーは唸ってばかりの宝石商に尋ねた。陸橋の地下にある闇市場で捌くことも考えたが、こういった宝石類は表の方がいい値がつくことをリリーは知っている。闇に潜む人々は、いかに客を騙くらかそうかとばかり考える。闇市場に宝石商の知り合いがいれば話は別だが、あいにくこれまで身を飾る機会もなく暮らして来たリリーには宝石商の知人はいない。恋しい人でも見るような眼差しで、宝石商は口許を緩めてカメオを見つめる。

「細部まで美しく……精巧な作りだ……。琥珀の輝き具合まで緻密に計算されているな。これを作ったのは生半可な職人じゃない。こりゃあ、滅多にお目にかかれない代物だぜ、嬢ちゃん。どこで手に入れたんだ?」

「私はプンハベウロ城で働いています。宝物庫でこれを見つけました。他国からの賜り物だとか」

 宝石商はギョッと目を剥く。

「ま、まさか盗んできたものじゃないだろうな……?」

 そんな、とリリーは爽やかな笑顔を浮かべる。

「盗んではいません。ちゃんと許可は取ってます。要らないからともらったのですが、私はあまり装飾具に興味がなくて。だから、この店をモースに教えてもらって足を運んだんです」

 嘘だ。

 このブレスレットは、武器庫で無理矢理スティレットに掴まされた、魔力のこもった不穏な一品だ。しれっと嘘を吐くリリーに、宝石商は見事に騙された。

「そうかそうか、これは失礼。モース坊ちゃんのお知り合いなら間違いないな」

 彼はあからさまにホッと胸を撫で下ろす。スティレットがリリーをじと目で見た。彼は自分よりもリリーの方が、詭弁が立つじゃないかと言いたげだ。リリーは涼しげにスティレットの存在を無視していた。宝石商は大粒の汗を拭きながら、何やら紙に書きつけると、それをリリーに突き出した。

「これでどうだっ! 今まで俺が買い取った中で一番の高値だ!」

 その額を見た瞬間、リリーはざっと身を引いた。提示された額は、一生のうち半分くらい遊んで暮らせる程だった。リリーは戸惑い気味に、商談書を受け取る。

「こんなに……?」

「ああ」

 宝石商は深く頷いた。

「このカメオにはその価値がある」

「……当たり前だ。俺が特注で作らせたんだぞ」

 小さな声でスティレットが不機嫌そうに呟く。

 リリーは考え込んだ。頭の中にスティレットとの記憶が巡る。出会ってからほんの数ヶ月しか経っていない。しかし、彼は魔族との交戦時に力を貸してくれたり、髪飾りを贈ってくれたり、慰めてくれた。常に、一緒に行動していた。生まれ落ちてから初めて、リリーはこんなにも他人と共にいた。

 リリーは宝石商が握りしめているカメオを取って、代わりに彼がリリーに突き出した紙を渡した。あっと宝石商が残念そうに叫ぶ。

「売るかどうか、もう少し考えてみます」

「ま、待ってくれ! あと一〇〇〇エディ払ってもいいから!」

 必死に追いすがる宝石商の手をスティレットが優しく押し返した。

「彼女はようやく、あのカメオが金に変えられないくらいの価値あるものだと気がついたらしい。すまないが、諦めてくれ」

 その声は弾んでいて、たいそう嬉しそうだった。先に宝石店から出たリリーの横に、スティレットが並ぶ。

「別に、価値に気がついたとかじゃないから」

 スティレットの方を見ることなく、リリーは言った。

「ああ」

「ただの気まぐれ」

「そうか」

「飽きたら、売る」

「お前は魔族みたいな性格してるな」

 ハッとスティレットが鼻で笑う。リリーはそっと彼を見上げた。太陽の光に透けるスティレットの白い顔に浮かぶ、溶けそうな笑顔。心に染みるようなその笑みが、リリーの胸を疼かせる。

 誰も信じていなかったリリーの心に、スティレットが入り込んだ。




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