■エピローグ
視察に付き合ってくれているパル達に、ちょっと一人で回りたいと告げ、リリーは町を散策することにした。
町の外れはまだ復興作業の最中にある。魔族との戦いは十年前を最後に終わったが、ずっと続いてきた戦の傷痕は、生々しく各地に残っている。
復興活動は順調に行なわれていた。エディゴス河の近辺に居をかまえる民衆が一丸となって、戦によって荒れた土地をもとに戻そうと努力している。
人々が懸命に手を入れ、町の外れは再び息を吹き返そうとしていた。瓦礫の山と化した町外れで、子供達は元気に駆けずり回っている。枯れてしまった土地に魔族達が緑を植えていた。人間達は汗水垂らしながら希望に満ちた目で新しい木材や石を使って家を建てている。
リリーはそんな彼らをこっそり窺い見ながら、覚束ない足取りで目的地を目指した。
(たしか……この辺りだったはず……)
十年の間に随分と復興した町外れは、リリーの記憶をブレさせる。
彼女は初めてスティレットと出会ったあばら家を探していた。おぼろげながら、この辺りだったろうと当たりをつけて、ぐるりと周囲を見回した。
あ、とリリーは声を上げる。
リリーがスティレットと出会ったあばら家は、壊されもせずにそこに佇んでいた。廃墟となった家を取り崩したりする作業までは、まだ至っていないらしい。躊躇いがちに、あばら家へ踏み込んだ。
あの時、空腹に死にそうになりながら侵入したあばら家の中身は何も変わっていなかった。ざらついた床に、ガラスや木の板で覆われていない窓、そして備え付けられたキッチン。埃のかぶったテーブルに置いてある食べ物は腐敗しており、カラカラに干乾びていた。
そっと、赤黒く変色した石床を撫でる。ここでスティレットを傷つけたのだと懐かしく思い出す。
「リリー」
聞き覚えのある声がした。
リリーの鼓動が大きく跳ねる。唇が震え、石床を撫でていた手にも震えが走る。
泣きそうになった。ゆっくりと、リリーは背後を振り返った。
入り口に、外套を着た男が佇んでいる。彼はフードを目深に被っており、顔が全く見えない。男の口の端が上がった。フードがあばら家を通り過ぎる強風に煽られ、外れる。
肩に零れた銀色の髪、つり目がちな涼しげなシャイニーバイオレットの双眸。出会った時から、全く変わらない男。
リリーは、男の顔貌が露わになった瞬間、迷わず男の胸に飛び込んだ。
「迎えに来た」
外套の男――スティレットは告げた。
「うん……うんっ」
リリーは滂沱の涙を流した。
スティレットは喉で笑う。彼はリリーの涙を拭い、片膝をついて彼女の手を取る。リリーの中で、どこかで同じことをされたような既視感が生まれる。遥か彼方の記憶の果てに、ぽつんとある、小さな思い出が揺り動かされる。
「あなたはパーサジェット大陸にあるどんな毒花さえも清浄化するような可憐さで、ぼくの心を奪った。どうか、ぼくにあなたの愛を一欠けらでも良いから下さいませんか。この憐れな下僕に、ご慈悲を……」
リリーは口をポカンと開けて、目を丸くした。スティレットは片眉を上げる。
「早く返事くれ。十年待ってやったんだから。色良い返事しか受け取る気はないがな」
リリーは何が何だかわからない。いきなりスティレットにはまず似合わない気障な科白に寒気さえする。
(そう言えば、昔云われたことあるような……)
スティレットは面白くなさそうに軽く眉根を寄せた。
「あいにく、俺はこの国の結婚を申し出る時に使う正式な言い回しを知らない。だから、パーサジェット大陸流に言わせてもらった」
「あ……」
リリーは耳元まで真っ赤に染めた。止まっていた涙がまた流れ始める。
「私……あんたよりも寿命短い」
「そんなこと今更気にしていられるか」
「パーサジェット大陸って、瘴気があるんでしょ? 暮らせないよ」
「お前のことだから、絶対そう言ってくると思って、瘴気を無毒化する魔法薬を開発した。……どうだ、完璧だろ?」
スティレットは熱っぽい眼差しを送ってくる。強い引力を内包するその視線から、リリーは目を逸らした。
握られたままの手を引っ込めようとしたが、スティレットはそれを許してくれない。彼は強い力でリリーの手を握りしめてくる。
「……あ……私、まだこの国を離れるわけには……」
「馬鹿な。俺の腹心までこちらの国へ遣わしてるんだ。もうそろそろお前が引退しても何の問題もないだろ」
「でも……私……」
言い訳は底をつく。
リリーは、ずっと、ずっと彼だけを思い続けてきた。英雄と崇め立てられている自分が彼と共に生きることを、皆許してくれるだろうか。騎士団団長としての地位をパルに託し、全てを投げ打ち、自分の幸せを掴んでもいいだろうか。
リリーは無意識にカメオ・ブレスレットを触った。
「約束する。ピアグレス国に何かあったら、俺が絶対に守ってやる」
スティレットの目が優しい。
怒涛のように駆け巡る記憶は甘いだけでなく苦くもある。
「……はい……」
リリーは小さく呟いた。
答えた途端、スティレットはリリーを持ち上げて嬉しそうに破顔した。初めて見る、彼の本当の笑顔だった。弾けるような笑みは、淡く甘く、そして少しだけ途方もない闇を感じさせる。
「絶対、幸せにしてやるから」
「……うん!」
スティレットにリリーは抱きついた。
自分も、彼を幸せにしてやりたいと思いながら、万感の想いでリリーはスティレットを抱きしめた。
リリーのつけていたブレスレットが外れて床に落ちる。
それは眩く、輝いた。
《了》
突発的に書きたくなった、王道ファンタジー(これは王道なのか?)
もっと話を膨らませてパルやモースを出張らせる予定でしたが、四月から他作品の更新予定があるのでサクサク進めてしまいました;
ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございます!
では、また他作品でお会いお目にかかれることを願って……。
2011.03.31 藍村 泰