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■プロローグ


 リリーは、自らの手に伝わってくる感触に戦慄した。

 生ぬるい液体が彼女の頬や腕に纏わりついてくる。小刻みにナイフを持つ手が振動し、歯がカチカチと音を立てた。

 目の前には、リリーよりも背丈がある男がいた。太陽の陽射しを生まれてこのかた浴びたことがないような白肌に生気は感じられない。

 男の胸元まである銀髪が、リリーの頬をくすぐる。彼はシャイニーバイオレットの美しい目を見開いたまま、動かない。

 リリーの顔から血の気が引いていく。

 男の首筋に這う大動脈から赤紫色の血が零れる。それはとどまることを知らず、あばら家の床に池を作った。

 リリーは握っていたナイフから手を放し、へたり込んだ。支えを喪った男もまた、大きな音を立てて崩れ込む。

 足もとに溜まった男の血液に服が汚れるが、今の彼女にそれを頓着する余裕はない。

 ――殺してしまった。

 そんなつもり、リリーには毛頭なかった。

 ただ、あばら家に侵入してきた者が剣を握っていたから、自己防衛のためにナイフを振るっただけだ。

 男が身につけている防具の質から、高い地位にある者だということは見て取れた。

 腕に自信があったのだろう。男は簡素な鈍色の鎧とブーツを身につけているだけの軽装だった。その上から顔がすっぽり隠れる外套を羽織っていたのだが、リリーがナイフを閃かしている最中にフードが外れてしまった。

 せめて首にも防具を当てていてくれれば……と男を怨んでみたところで、どうしようもない。男の目はガラスのように空虚で、何も映していない。

 外套の止め具として使われていたカメオがむなしく床に転がった。

 男の尖った耳にぶらさがっている紫色のダイヤ型ピアスが、さみしげに光る。

 リリーはあばら家の戸口に向かって、恐怖に竦んだ身を引きずった。腕の震えが止まらず、上手く這えない。

 何としてもこの場から逃げなければ、と本能的に思う。

 男を殺してしまったのがリリーだと知れた場合、間違いなく報復される。

 リリーは縋るように戸口から漏れる光を目指した。

「誰かいるのか……?」

 絶望が、リリーを襲った。

 半開きになった戸口から光が差す。

 戸口には数人の男が佇んでいた。身を防具で固めている――兵士だ。彼らはリリーを見て、眉をひそめた。何故、女がこんなところにいるのかとその顔は無言で語る。

 まだ人間に見つかっただけ良かった、とリリーは胸を撫で下ろした。

「おいっ。あれは――」

 上擦った声で兵士の一人が後ろを指差した。彼の指先は、リリーが殺してしまった男に向いている。

 沈黙が舞い降りる。

 重装備の兵士は、リリーの前に片膝をついた。

「お前が殺したのか」

 問いかけに、ただ首肯する。

 彼女が殺した男は魔族だ。尖った耳をしているから間違いない。

 現在、ここら一帯は人間と魔族のぶつかり合いが起こっていた。

 この場でリリーを発見したのが魔族だったら、自分達の仲間を殺した不届き者として、骨の一つ残らず灰にされていたことだろう。

「……キミ、この魔族をどうやって殺したの?」

 恐怖に満ちた顔をした兵士が訊いてくる。

 リリーは答えなかった。いや、答えられなかった。

 自身、どうやって殺したのか覚えていないのだ。がむしゃらにナイフを振るったら、男の首筋をナイフが大きく抉った。

「――――スティレット」

 答えられずに俯くリリーの耳に聞き慣れない単語が届く。

 リリーは小首を傾げて兵士の顔を見る。

 兵士は生唾を呑み込みながら口を開いた。

「この魔族の名前だ。魔王軍の第一将軍……その剛腕と魔力に並ぶ者はなく、極めて酷薄。これまで何人たりとも彼を倒すことは叶わなかった。それを、お前が殺したというのか」

 話がえらいことになっている。

 リリーは慌てて偶然の出来事だったのだと弁解しようとしたが、「英雄だ」と一人の兵士が放った言葉に身を凍らせた。

「キミは英雄だ! すぐに軍の指揮官に報告して、国王へ引き合わせてやるからな」

 力強く兵士がリリーの背中を叩いたので、体のバランスを崩して前のめりになってしまう。

 どうにか転ばずにすんだリリーは、スティレットと呼ばれる魔族の方を横目見た。

 魔族の体は、すっと風に乗って掻き消えた。

 ぎょっとした。他の者も同じく、飛び上がって驚く。

 あとに残ったのは魔族が羽織っていた外套と紫色のピアス、そして琥珀でできたカメオが嵌め込まれたブレスレットだけだった。



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