古き因習の神
帝国の砂漠地帯で信仰されている神は人を、とりわけ男を知らぬ女を好んで喰らうと伝承されている。
人喰いの神に娘を捧げる狂信者でも無い限りは娘が初潮を迎える前に婚姻を済ませる家庭がほとんどだった。
識字率が低い為に口伝で信仰が語られて来た結果、娘を早婚させる理由は忘れ去られた。
婚約者や婚家から生家に戻される娘は一族の汚点として神の祀られる神殿へと連れて行かれる。
砂漠の民は心臓と首さえ無事ならば生存可能な頑健な肉体を持っている。
神殿に入る前に家族の手で腹を裂かれ、心臓以外の臓腑は抜き取られて神殿の外に生息している肉食獣の糧として捨てられる。
娘は祭壇の上に横たわり、3日後に無事であるなら「罪はあらじ」として生家に戻る事になる、とされてはいるが、長い歴史において神殿に足を踏み入れた娘が生きて戻った事は1度たりともない。
亡骸から家畜にそうする様に皮を剥ぎ、肉を削ぎ落とす。
皮と骨、そして心臓を使って非礼を詫びる為の贈答品を作成する。
娘の嘆きが強ければ強い程、それは見事な細工が出来上がるのだと砂漠の民は語る。
皇子ベルナールと皇子妃セレニカの婚礼祝いの品として贈られたのは見事な太刀と盃、サンドラ嬢の遺髪だった。
盃には兄の婚約者であったサンドラ嬢の面影が僅かに残っていた。
帝国の法において贈答品を送り返す事は出来ず、皇宮の宝物庫に保管される事となった。
サンドラ嬢の頭部を使用して造られた盃は、当時の皇后アレキサンドラによる勅命を受けた復元師ベロニカの技術によってサンドラ嬢の顔立ちを取り戻した。
人喰いの神が喰い荒らしたのであろう顔は、サンドラ嬢の身体的特徴であるほくろと、砂漠の民の成人の象徴である犬歯の欠損が無ければ本人である、との確認も難しい状態だった。
第2皇子フランシスの元婚約者であり、皇太后アレキサンドラの末の娘、第4皇女となったリシュリュー嬢は幼い頃にこの儀式において母モルディアナを喪っている。
とはいえ、モルディアナが死亡した経緯は特殊なものである。
モルディアナには双子の姉妹であるリュシアンナがいた。
婚礼の頃、60歳を超えた老爺に嫁ぐのは嫌だと泣いたリュシアンナはモルディアナに入れ替わって欲しいと懇願した。
モルディアナは幼少期、リュシアンナを庇って負った背中の傷が元でなかなか夫となると言ってくれる人物はいなかった。
生まれ持った名を捨てるとはいえ、子供を持つ事が出来るかもしれないわよ、と言われてモルディアナはリュシアンナとして老爺の元に嫁いだのである。
砂漠の民に生まれた女にとって、石女として生きる事は自害するに等しい事実であったからだ。
モルディアナが老爺の元に嫁いで間もなく、モルディアナはリュシアンナが婚礼を挙げたと聞いた。
リュシアンナの夫となった男は、ふたりの幼馴染だった男である。
その男はリュシアンナを手に入れる為にふたりの入れ替わりを提案し、モルディアナとリュシアンナの両親はそれを了承したのである。
リュシアンナは遠い先祖の血が色濃く現れた美しいストレートの黒髪で、モルディアナは癖の強い縮れ毛の黒髪。
両親がリュシアンナを「女神の生まれ変わり」と呼んで溺愛している事は知っていたが、そこまでだとは思わなかった。
耐え切れずに真実を伝えたモルディアナを、老爺は「私が妻に望んだのはお前の家系の娘。姉妹が入れ替わっていようと問題は無い」と言って大切に扱ってくれた。
モルディアナがリシュリューを出産して直ぐに夫である老爺は病没してしまったが、遺される妻と娘が生活に困らない様に充分な金銭を遺してくれた。
リシュリューが3つになったある日、リュシアンナが父母を伴ってモルディアナの家にやって来た。
幼馴染の男は酒が入ると手が付けられない男で、リュシアンナに度々暴力を振るうのだと言う。
暴力が原因で、リュシアンナは四度の流産を経験し、それを哀れんだ男の家で働く使用人がリュシアンナを慰めた。
それを見た幼馴染の男は不貞行為だと騒ぎ、リュシアンナを生家に送り返した。
「見事な細工を期待している」
男はそう吐き捨てたと言う。
暴力を振るわれたのは可哀想だとは思うが、それが不貞を働いて良い理由にはならない、と言うモルディアナをリュシアンナと両親は非難した。
「貴女に名前を返してあげる。私はこの家で暮らすわ」
抵抗するモルディアナに薬を飲ませ、モルディアナが意識を失っている間にリュシアンナは強引な入れ替わりを実行したのである。
入れ替わりは直ぐに露見した。
「私の妻に、ある筈のない傷痕がある。この細工の元となったのは誰だ」
リュシアンナはモルディアナの背中に砂漠の獣に襲われた時の傷痕がある事は知っていたが、豪商の女主人となったモルディアナはその傷痕を治療している筈だと考えていた。
モルディアナの嫁ぎ先である老爺の息子達は傷痕を治療してはどうか、と言っていたが、「名誉の傷痕であるから」とモルディアナは断っていた。
極め付けは、リシュリューの証言である。
「お母様はお祖父さまとお祖母様、それからおば様に連れられて家を出て、それから家に帰って来ていない」
3つの子供の証言など証言にならない、とリュシアンナは最後まで抵抗したが、老爺の妹である女性から
「あのこは背中の傷痕を誇りに思っていたわ。貴女があのこだと言うのなら、背中の傷痕を見せて頂戴」
と言われて諦めた。
リュシアンナと両親は無実の娘を身代わりとして細工したと言う不敬行為が咎められ、身動きの取れない状態で飢えた肉食獣が跋扈する谷に落とされた。
砂漠の民は何故、人喰いの神を崇めるのか。
調査している文官の前に現れた神はこう言った。
「実りが欲しいと祈ったから授けた。その時に美しい娘が供物として捧げられた。
―――供物として捧げるくらいだから、人間の好物は男を知らぬ若く美しい娘ではないのか?」
因習の神、実は人間は別に好物じゃない。用意されたから戴いてるだけ。




