第12話「腐食の魔女の襲撃」①
この回から少し1話の文量を減らしてみています
ファーラの案内で来た金物屋の主人は老婆で、追憶の魔女とはまた別の溌溂さを持つ人物だ。
顔見知りらしいファーラがフライパンを持ってきた瞬間にやりと笑い、早速値切り交渉が始められた。ニーロからは十分な資金を貰っているのだが、値切れるところは値切るのがファーラの信条らしい。
しばらくは圧倒されながら聞いていたブリジットだが、先が長そうなのでそっと退散して店内を隅々まで見て回った。それから会計場横の交渉スペースに戻るが、二人はそろばんを間に妙に生き生きとした様子でまだ交渉を続けている。
どうしたものかと視線を巡らせたブリジットに気付いたファーラは、指を二本立てた手を店主にかざしたまま視線だけを彼女に投げた。
「すみませんブリジットさん。もう少しかかるので、良ければ近くのお店覗いててくれるですか?」
「あ、うん。分かった。頑張ってファーラちゃん」
ブリジットの応援にファーラは「絶対勝ちます」と気合を入れ直す。一瞬のクールタイムをよそに過熱する値切り合戦を背に外に出れば、天頂の快晴に恥じない熱気に再び包まれた。
どこに寄っても楽しそうだと、ブリジットは冒険を前にしたような気持ちで、まずは来た方向とは逆側に足を向ける。来た道は戻る際に言えば寄ってくれるだろうから、二度手間にならないようにそちらを選んだ。
鍛造の魔女の空間は店が多く立ち並ぶが、火を扱う店も多いためか、店と店の間には大なり小なり路地がある。一度軽く覗き込んで人が来ていないのを確認してから、ブリジットは店と店の間にある細い路地の前を通り過ぎ――
「――え」
――ようとした瞬間、周囲の環境が一変したことに思わず足を止めた。
直前まで確かにあった店が消えた。人が消えた。活気が消えた。今ブリジットが立つのは、荒涼とした空間。枯れ朽ちやせ細った木々、水気の一切ないひび割れた大地。生命の気配をまるで感じない静寂さは、一拍空けてブリジットの背筋を凍らせる。
間違いなく魔法だ。それだけは分かった。だが誰が? 何の目的で? ここはどこ?
恐怖と混乱で体の動きが完全に止まってしまったブリジット。するとその背後から、枯れ草を踏む音がする。ようやく自身の体の動かし方を思い出したブリジットは、すぐさま身構え背後を振り返った。
そこに立っていたのは、一人の女性。
魔女らしい黒い帽子からは、薄い群青のヴェールが提げられている。身に着けている紫と黒を基調としたドレスは、所々が擦り切れ汚れていた。ヴェールの下からこちらを見つめる眼差しに光はなく、恐ろしいほどの無表情がブリジットに向けられている。
声が出せずにいると、女性の方が先に口を開いた。
「あの男の弟子をやめなさい」
およそ、ブリジットが受け入れられない言葉を乗せて。
「ああ、可哀想な子。ブリジット・ベル、あなたは騙されているのよ。男なんて汚らわしくて傲慢で乱暴で愚かな存在なの。そんな存在から継承される魔女なんて、最早魔女ではないわ。魔女になりたいのであれば他の魔女の弟子になりなさい。女神の清らかな契約は、あの男に魔女が渡った時点で潰えたの。あの男が汚した魔女なんて、これ以上必要ないわ」
表情が浮かび上がらないままなのに、ヴェールの下の両目だけが見開かれていく。狂気じみたその様にまた背筋がぞくりと冷えた。
「ああ本当に、どうして男なんかが貴き魔女を継いでしまったのかしら。汚らわしい汚らわしい汚らわしい。きっとおぞましい手段を使ったのだわ。だって男なんて、女をモノのようにしか思っていない、知性ではなく獣性でしか行動できない、その程度の低俗な生き物なんだもの。ブリジット・ベル。あなたにも覚えがあるはずよ。魔女だと騒ぎあなたを殺そうとしたのは、男でしょう?」
問われた内容は、確かに事実だ。
ブリジットが魔女裁判を受け、魔女と断定された後、町の女たちは同情的になるか恐れて一切姿を見せないかのどちらかだったが、男たちからは憎々しい視線を向けられ罵られた。――戸惑う目も、確かにあったかもしれないが。
だが、それとニーロとは話が違う。恐怖に染まっていたブリジットの心が怒りで染め直された。凍えていた口が感情の炎に溶かされる。
「お初にお目にかかります魔女様! 本来は丁寧にご挨拶すべきでしょうが、我が師を理不尽に侮辱されてまで払う礼儀はございません。なのではっきり申し上げます。魔女と分かって傷付けてくる男性がいるのは事実です。でも、それらとお師匠様は全然違う。全くの無関係です! あの方は魔女を、魔女と呼ばれた女性たちを救う方。私は、魔女をどうしても継ぎたいわけじゃない。お師匠様の――私を助けてくれた恩人であるニーロ・リッドソンの魔女だから、私は継ぎたいのです。あなたにとやかく言われる筋合いはありません!」
ただただ、感情のままにブリジットは叫んだ。後先も相手の感情も何一つ頭にはない。だってその存在を侮辱するなんて、許されるわけがないのだから。
ブリジットの声が寂寥の空間に響き、飲み込まれ消えていくまでの間、魔女は一言も言葉を発しなかった。焦点の合わない目が、それでもずっとブリジットを見据えている。それを睨み返していると、不意にその口がぽつりと動いた。
「――やっぱり男の弟子になる子なんて駄目ね」
言下、ぎょろりとした目に魔力が帯びたことに気付き、ブリジットは身構える。だが、その時点ですでに行動は遅かった。
「痛っ!?」
突然頬に痛みを感じる。切ったぶつけたという痛みではない。熱い、が一番近い気がするが、それも何か違う気がした。
形容しがたい痛みに思わず手を頬に当てると、ぐちゃり、とおよそ人間の皮膚が出した音とは思えない音がする。頬から外した手には、変色した腐った肉と血と思しき濁った赤色が付着していた。
それは明確な殺意。先程までの怒りが霧散し、再びブリジットの心と頭を恐怖が支配する。この女性は、何の前触れも感慨もなく、ブリジットを殺しに来ている。この恐怖は、森で魔女狩りを受けていた時とあまりにも酷似していた。
「っやめてっっ!!」
それでどうにかなる訳がない。分かっているはずなのに、ブリジットは自分を庇うように腕を振り上げ叫んだ。
死ぬのだろうか、自分は、こんな所で。師と姉弟子の顔が、ここまでに出会った魔女たちの姿が、浮かんでは消えていく。
ぎゅっと目を瞑り体を強張らせるブリジット。だが、不意に気付いた。痛みが、増えていない、と。
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