第1話 「弟子 はじめました」④
同時に、視線がひと方向に集まった。魔女たちの視線も、ニーロの視線も、ファーラの視線も。――床を思い切り踏みつけた、ブリジットに。揺れるロングスカートが、その衝撃の強さを語っている。
「ブ、ブリジット、さん……?」
俯いた状態のブリジットにファーラが恐る恐る声をかけると、ブリジットはぱっと顔を上げた。その顔には、先の乱暴な動作が嘘のような明るい笑みが浮かんでいる。
「お初にお目にかかります、魔女の皆様。このたび空間の魔女、ニーロ・リッドソンの弟子となりました、ブリジット・ベルと申します。師からは魔女になれば危険なことは多いとの注意も受けましたが、救われた恩に報いるためにも、弟子になることを、自ら、申し入れさせていただきました。皆様におかれましては、ご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
はっきりとした口調で言い切り丁寧に頭を下げると、ブリジットは再び背筋を伸ばした。その無礼なのか慇懃なのか分からない立ち居振る舞いに、すっかり魔女たちは言葉を無くしている。
奇妙な沈黙に、通信でつながる全ての空間が支配されていた。その様を見て、ファーラは「やるぅ」と言わんばかりに笑みをこぼし、ニーロも意外な状況に思わずといった様子で頬を僅かに緩める。
『ぷっ』
不意に水晶の向こうで噴き出す声がした。かと思うと、鏡の中央に少女が映し出される。
最初に目に入ったのは、何枚もの羽や宝石がついた、緑寄りの青緑を基調とした帽子。そこから零れる髪は、緑色の光沢がある灰色をしていた。特徴的なその色はブリジットに何かを思い出させる。
だが、それが何かを思い出す時間は与えられなかった。手を叩き合わせ、少女は大きな声で笑い出す。
『あっはっはっはっはっ、やだその子面白い! わたし好きよこういう子』
少女は満足するまで笑うと、大きな黒色の目の端に浮かんだ涙を指先で拭った。
『いいじゃない、自分で選んだんでしょ? だったら周りがとやかく言うことじゃないわ。弟子を取ること自体に規制はないんだから。なんならわたしが後見人やるわよ?』
後見人とは、年若い魔女やいずれ魔女になることが決まっている弟子の後ろ盾となる先輩魔女のことを言う。必ずしも必要というわけではないが、いると何かと融通してもらえることがあるため、後見人がいる魔女は多い。
――そのことをブリジットが知るのは、この魔女会義が終わってからになるため、今の彼女は鏡の少女が「自分の味方になる」と宣言したことだけが察せられた。
「それはありがた」
『あらあらあら、いやぁよぉイシュルカ』
明らかな味方宣言にニーロが素直に礼を述べようとしたのを、柔らかい声音の女性が発した非難の声が遮る。鏡に映ったのはニーロよりも十は年上そうな女性で、綺麗な灰色の髪は顔の右側で蔦によってまとめられていた。ふくよかな頬のラインと、非難している最中なのになお穏やかさを映す緑色の双眸が、その雰囲気を大変優しいものに変えている。
『ニーロの弟子の最初の後見人には私がなるってずぅぅっと前から決めてるんだから、取っちゃ嫌よ』
言葉は非難しているが、口調が柔らかいので責められているようには聞こえない。ブリジットは叔母が従妹に文句を言っている時の様子を思い出した。
『はいはい、ごめんねロージー。あなたの可愛い甥っ子の子育てをようやく手伝えるんだものね、邪魔しちゃ駄目ね』
両手を肩の高さに上げ、イシュルカと呼ばれた少女は大仰に肩を竦めて見せる。こちらも年若く見えるが、喋り方や呼び方はまるで友人のようだ。一方のロージーと呼ばれた初老の女性は、「そうなのよ、やっとこの時が来たわ」と嬉しそうに笑っていて、特別気にした様子を見せない。
『あんたら! 勝手なこと言ってんじゃないよ。外れ者が弟子を取るなんて許されるわけないだろう!』
『そうよ! 私は反対です。その男の契約は別の魔女の弟子に継がせるべきです。男の思考が入った魔女なんて、これ以上魔女を穢さないで欲しいわ』
『何馬鹿言ってんだか。あんたたちこそ勝手なこと言ってるんじゃない。ニーロ様は正式に魔女を継いだんだ。弟子を取る権利も義務もある』
『毎回否定派の方の意見聞くたびに思うのですけど~、本当にニーロ様のこと見てらっしゃいますか~? ニーロ様の思想は間違いなくあなた方より平和的ですわ~』
『そっすよねー。あたしもニーロ様が弟子を取っても何の問題もないと思うっす。だってニーロ様めちゃくちゃ真面目じゃないっすか』
『あんたたちの頭がお花畑過ぎんのよ! 男にどんな思いさせられたか忘れたの!? コイツだって本性暴かれれば似たようなもんよ』
『あら、そんな暴くような本性あればとっくの昔にばれてると思うわよ?』
再び会話が混乱してきた。鏡も影を映すだけとなり、ブリジットはちらりとファーラに視線を向ける。いつもこうなの? と小声で尋ねれば、同じく視線を返してきたファーラはこくりと頷いた。お父さんの話題になると、と。
『皆さん』
喧騒の隙間を縫うように声が放たれる。その声にブリジットは覚えがあった。この魔女会義で、最初に喋った金髪の魔女だ。ブリジットのように大きな音を出したわけではないのに、自然と魔女たちは静まり返る。
『それぞれ思うこともあるかと思いますが、ニーロは正式な魔女であり、魔女が弟子を取るのは当然のこと。そこを否定することは出来ません。そうですね?』
穏やかな声音が問いかければ、先程まで大騒ぎしていた面々は、悪戯がばれた子供のように小さな声で「そうですが……」と返した。それを受け、鏡の中で金髪の女性が微笑む。
『では、生命の魔女、グレース・アディソンの名において、今この時より、ブリジット・ベルをニーロ・リッドソンの正式な弟子に認定します。――ニーロ』
宣言を受けると、水晶の向こうからは喜ぶ声や悔しがる声がいくつか聞こえてきた。それに安堵していると、金髪の女性こと生命の魔女、グレースがニーロに呼びかける。ニーロが返事をすると、グレースはにこりと優しく微笑んだ。
『後日ブリジットを連れて顔を見せに来てちょうだい。ああ、もちろん、ファーラも連れてきてくれていいですからね』
「承知しました。ありがとうございます、グレース様」
ニーロがゆっくりと頭を下げると、グレースは「楽しみにしていますよ」と軽く手を振る。
「――私の不徳の致すところで、会議を騒がせてしまって申し訳ない。本日の用件はこれで終了です。何か他に用件がある者は――」
問いかける言下、魔女たちの言葉が一斉に放たれた。言葉の詳細はそれぞれ違うが、示すところはただひとつ。「自分たちもブリジットに直接会わせろ」、だ。純粋に会いたいからという者。新たな弟子を歓迎したい者。ニーロのことがまだ信じられなくて直接確認したい者。
自分が先だ、と主張する者が多くいたが、自然と争われたのは四番目以降だった。その理由は、三番目までが確定しているため。一番目に名乗り上げたのは、ロージーと呼ばれた魔女だ。
『明日! 明日の午前中に行くわ。いいでしょうニーロ?』
神速を尊ぶにもほどがある彼女の要求に、それでもニーロが頷いたため、一番目はすぐに決まった。この二人の関係性では仕方ない、と皆が納得したためでもある。
『ニーロ様、ブリジットさんのことを記録しなくてはいけませんので、わたくしも明日伺ってよろしいでしょうか?』
二番目に主張したのは紫陽花色の長い髪の女性で、つぶっているかのような細目のため目の色は見えない。代わりに額で輝く、鮮やかな碧玉の宝石がついた金色のサークレットが印象的だった。
「ああ、君は仕事だからな。迅速な対応に感謝する」
『とんでもございません。それでは、明日お伺いしますね。……ロザリア様とお時間ずらした方がよろしいでしょうか?』
頬に手を当ててサークレットの女性が首を傾げるが、ニーロは「別に構わん」と軽く返し、ロージーことロザリアは「やだわ、むしろいてくれないと」と手首を縦に振る。ロザリアの言葉にブリジットは疑問を抱いたが、言われたサークレットの女性は納得したように頷いた。
『そうですか、では、わたくしも午前中にお伺いさせていただきますね』
口元に優雅な笑みを浮かべてサークレットの女性が頭を下げる。これで二番目が決まった。最初に主張したグレースは「私はふたりの後でいいですよ」と自ら許可したので三番目になっている。
四番目はしばらく決まりそうにないので、結局魔女会儀はそれから十分ほどで解散となった。映像も音も消えて室内がしんとなると、ブリジットは大きく息を吐き出す。
「…………やっちゃいました……ごめんなさい……」
この世の終わりかというほどの絶望感を撒き散らし、ブリジットは顔を隠してしゃがみ込んだ。反省しているのは、もちろん先ほどの暴挙である。
「初対面で、あんな喧嘩を売るなんて、私は何てことを……お師匠様の立場も考えないで……」
「まあまあ、言っちゃったもんはしょーがないですよ! むしろ僕は『よく言ってくれた』と拍手喝采を送りたい気分です」
飛び込むように抱きついてきたファーラに視線をやると、この上なく嬉しそうな表情で親指を立てられた。彼女には大好評のようだが、師はそうはいくまい……と恐る恐る視線を上げる。あちらもブリジットを見下ろしていたので、視線はすぐにぶつかった。が、心配していた怒りは、そのラズベリーの双眸に灯っていない。むしろ――どこか、面白そうだ。
「もう少し大人しい娘だと思っていたが……なるほど、私が見つけられなかったわけだ」
「え?」
「あはは、そりゃそうですよねー、死刑の前に自力で逃げ出してきちゃうような人ですもんねー。大人しいわきゃないですよねー」
ひとりごちるニーロの言葉の意味を問おうとするが、抱きついたままのファーラの楽しげな声にさらわれてしまった。気にはなったが、それは後日にしようとブリジットは思考を切り替える。
今はただ喜ぼう。無事に弟子として認められたことを。魔女たちに喧嘩を売ったことを怒られないことを。
そして嘆こう、一定数確実に師を理屈抜きで嫌っている者たちがいることを。その者たちによくない目で見られている現実を。
世界で唯一の男の魔女、ニーロ・リッドソン。その弟子となったブリジットの前途は多難である。
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