第10話「神の教えの伝道者」⑥
東の果てに居を構え、西向きに扉を取り付けたそれは、原典主義の教会の作り方。育った孤児院の方針でユリウスが長く遠ざけ、受け入れていることを口に出来なかった場所。
ムルテウス教には、先程チャールズが口にした三種の教典がある。
一つは原典。遥か昔から伝わるもので、ムルテウス教の根本はこの教典から作られた。
二つ目は600年ほど前に原典を元に編纂された新典。現在の教典として広く知られているのはこちらである。
そして三つめは、ユリウスがいた孤児院を設立したアーモス・ウッドロックが200年前に編纂したウッドロック教典。新典を元に編纂者の悪意を被せて作られたもので、今では新典に迫る勢いで勢力を強めている。
勢力図で言えば新典、ウッドロック教典、原典の順で信仰者が多いのだが、原典主義者には昔ながらの権威を持つ家柄の者が多く、また王都の大聖堂も原典教会のため、勢力のバランスは取られた状態だ。
根本は同じ宗教なので教典の中身に致命的な齟齬は生じていない。だが、これら三教典は、供物の髪や魔女の件も含め、解釈が大いに異なる部分がある。この教会の作り方もそのひとつだ。
原典において、人の世界は空で区切られその内側に人間が暮らしている。神々はその淵に立ち人々を守り、また中央に座す主神が悪しきに落ちぬよう見張っているとされている。
例えば東に分類される豊穣の女神の教会であれば、この教会のように建屋自体は東の果てに作られ、神像は西を向き人々を見守る、という考え方だ。
一方新典においては主神の格を上げて考えているので、主神を見張る、という点が「不敬」「不遜」とし、神々の座す位置が変わった。彼らは中央に背を向け、それぞれの守護方位を見守る、と解釈されている。そのため、新典信仰の教会は町の中央近くに建てられ、中央とは逆側に扉がつけられるのだ。
ユリウスがいた孤児院は新典を元にしたウッドロック教典を主の教典にしているので、建て方は当然新典側。そして、過激派急先鋒とも言える孤児院は、院の子供たちに原典教会に足を踏み入れることを禁じていた。
しかしユリウスは、幼い頃ひょんなことから原典を読む機会を得ている。もちろんすぐ忘れればいい話だったのだが、孤児院での生活により「教典の内容は覚えるもの」と刷り込まれていたユリウスは、その内容をしっかりと頭に叩き込んでしまった。
結果、ユリウスの環境では口には出せない原典の魅力を知ってしまったのだ。このことは友人一人二人に話した程度の、正真正銘ユリウスの秘密である 。
最初に語り合った宗教譚。ユリウスは無意識に原典の話もしていたようだが、新典の話を多く振っている。それでもチャールズはしっかりとそれについてきていた。つまり、彼は原典派でも新典に拒絶を持っているタイプではない。
(――そっか。あの人がいれば、教典主義に固まらずに話せるのか)
これまで出来なかったことが出来るかもしれない、という希望に、自然とユリウスの口元は緩んでしまう。
「ユリウスー! 早く来るですよー!」
離れた場所からファーラに呼ばれた。ユリウスはやる気なさげに返事をしてから、少しだけ早足でそちらに向かう。
(そういや)
ちらりと首だけ振り返り後ろを向き、視界に教会のシンボルを映した。思い出されるのは、魔女の空間に入る前に分かれたリーヌス。自分が育った孤児院を守るため、長いものには巻かれる主義で日々を生きる少年は、その後どうしただろうか。
元気で過ごしていたらいい。願いにも似た期待を、ユリウスは心の中で唱える。
賑やかな声が遠ざかる中、それを確認したニーロはつい先程まで交わしていた雑談を切り上げた。心得ているチャールズも口を閉ざす。
「チャールズ殿、この度は来たばかりの者を突然お任せしてしまって申し訳ない。私や娘たちがいない方が、彼も素直に話が出来るかと思いまして」
「ええ、どうぞお気になさらず、ニーロ殿。ファーラにも言いましたが、育ち元の影響が多分に出ておりますが、心根は神を正しく愛する良い青年ですよ」
大丈夫、と繰り返され、ニーロは軽く唇を持ち上げ礼を述べて頷き返した。
「本当は弟子にも挨拶をさせたかったのですが……まだ教会に対する忌避感が拭えないようでして」
外へと視線を投げ、ニーロは困ったように軽く眉根を寄せる。ユリウスを迎えに行く、となった時、ニーロはブリジットにチャールズとの面通しをさせるつもりでいた。
しかし、教会に近付くにつれ彼女の顔からは表情が抜け、とても言い出せない空気になってしまっていた。その空気の重さときたら、ファーラどころかジェシカですら気を遣って水を向けないようにしていたほどである。
師としては注意すべきなのだろうが、弟子である以前に、彼女は未だ傷を負って間もない被害者だ。許嫁や友人たちが味方だった、という事実を得ていても、教会や家族から見捨てられた事実は変わらず彼女の心に居座り続けている。
そんな彼女に、神の教えの伝道者たる神父に我慢して笑顔で話せ、とはニーロには言えない。
そちらの件でも謝ると、チャールズはすぐさま首を振った。
「ええ、よいのです。それは、仕方のないことでしょう。ニーロ殿もよくお分かりの通り、彼女のみならず、魔女裁判にあった者たちは皆神の名の下に傷を負わされた。無理に向き合えというのは酷です。もちろん、憎しみ、恨みは抱き続けてよいものではありません。ですが、無理に押さえつけて心が死んでしまうのもよろしくない。今彼女の心は大怪我をしているようなものだ。折れた心を無理に動かすものでありません。今は、時が癒すのを待ちましょう」
揺るがないチャールズの視線に、ニーロは改めて彼の強さを感じた。
この空間でこそ人々に尊敬され尊重されるチャールズだが、一歩外に出れば彼は「神父」であるからこそ冷たい視線にさらされる。
以前別の空間に出かけた際には、どこからか石を投げられたこともあるそうだ。知らない女性たちに囲まれ罵倒され続けたこともあるそうだ。
それでも彼は、どこにいる時でも「神に仕えるもの」「神の教えの伝道者」としての姿勢を貫き続けていた。
その姿勢に、態度を軟化させる者も少なくない。本人の精神状態も関わっているだろうが、この短時間で表れたユリウスの変化もその一例だろう。
ユリウスの態度が軟化したことを受け、いつかはブリジットも受け入れられるようになるだろうか、と期待が膨らんだ。
いつかは、かつては敬虔な信者であったブリジットも、穏やかな気持ちで礼拝に来られたらいい。
そんなことを思いながら、ニーロは深々とチャールズに頭を下げる。それを受け、同等の敬意をニーロに抱く神父は同じように彼に頭を下げ返した。
「慈悲なる魔女よ。どうぞお心はそのままに。あなたが弟子にと迎えた少女です。いつか必ず心底の恨みを晴らし、あなたの望む通りの立派な後継になることでしょう」
それまでは見守りましょう。促され、ニーロはもう一度笑みを浮かべる。
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