第10話「神の教えの伝道者」⑤
その後、手を引かれ長椅子に座らされたユリウスは、チャールズが淹れてくれたユグの茶を飲みながら少しずつ落ち着きを取り戻していく。
ユグの葉は祭事にも使用される宗教的に意味のある茶葉で、教会や教会が経営している孤児院などでもよく飲まれているものだ。
教会傘下の孤児院で育ったユリウスも例外ではない。普通の茶葉よりも少し苦いが、慣れた今では何より落ち着く味になっていた。
そのまましばらくぽつりぽつりと会話をしていると、元気なノックの後、音を立てて扉が開かれる。
「神父様お邪魔しまーす、ユリウス君まだいますかー?」
「お邪魔しますですよー」
元気よく入ってきたのはジェシカとファーラ。後ろにはニーロとブリジットが並んでいた。扉側に背を向けていたユリウスは振り向きかけて目元を気にする。泣いた跡など見えたら何を言われるか知れたものではない。
短い逡巡を、しかし先んじて立ち上がった神父は見逃さなかった。小さく「大丈夫ですよ」と声をかけられ、ユリウスはすぐに振り向く。
「いらっしゃいジェシカ、ファーラ。こちらにいますよ」
「うるせぇな。教会に入る時は静かに入れよ田舎もん」
悪態をつくも、声自体はどこか穏やかだ。おや、という顔をしたのはファーラと奥のニーロ。ブリジットは無表情で別の方向を向いていた。
「ああよかった。結構長くひとりにしちゃったから他の所行ってたらどうしようって思っちゃった。うるさかったのはごめんね。ほらこの空間の人間は元気なのがルールだから」
「その言い訳が通ると思った勇気だけは認めてやるよ」
親指を立て、てへ、とふざけた様子で返すジェシカに、ユリウスは視線を落としてふっと笑う。
ジェシカに微笑んだわけではなく自分の心境が穏やかなことに零れたものだったが、目を見開いたファーラは早足で近付いてきた。直後、背伸びをしつつユリウスの腕を引き、彼を屈ませ額に手を当てる。
「何だよ」
身を引きながら手をどかすユリウスが軽く睨むも、驚いている様子のファーラからはいつもの軽口は出なかった。
「びっくりした。熱があるわけじゃないですよね? 躾のなってない犬がいい子になって戻ってきたような気分ですよ」
しかし零れた言葉は軽口じゃない分たちが悪い。
本気で驚いているらしい、認めがたいが主となった少女を非難じみた目で睨み「てめぇ……」と低い声をこぼす。
しかし視線を寄こしもしないファーラは、気にせずにチャールズに笑みを向けた。このクソガキ、とユリウスの顔はまた歪む。
「チャールズさん、僕の下僕お任せしちゃってごめんなさいですよ。ご迷惑おかけしませんでしたか?」
「ええファーラ。非常に敬虔な良い青年です。ところで、ふざけているだけなのは分かりますが、人を『下僕』などと言ってはいけませんよ。貶める言葉はあなたの心を汚します」
流れで説教を受け、ファーラは少し唇を尖らせて「はぁい」と返事をした。ざまぁみろと後ろで笑ったユリウスの足は、静かにかつ確実に踏みつけておく。
「っだぁ! 痛ぇっつーの! 何しに来たんだよお前ら。帰んのか?」
じわりと来る痛みに耐えきれず、ユリウスは怒鳴りながら立ち上がった。そのついでにファーラの服の肩甲骨当たりを掴み、猫の子を持つように抱えて足からどかす。すぐに解放されたファーラは服を整えながら問いかけを否定した。
「終わったのはご挨拶だけですよ。これから本番です。お前は荷物持ちなんだからとっとと来るですよ」
そういえば来る前にそんなことを言われた。ユリウスが思い出したように声をこぼすと、ファーラは「ほら、早く早く」と指をちょいちょい動かし先に歩き出す。
仕方なしに続こうとしたユリウスだが、すぐにその足は止まり、くるりとチャールズに向き直った。
「ありがとうございました、チャールズ神父。――また――」
聖職者に敬意を表す礼をするユリウス。止まってしまった言葉を正確に受け取り、チャールズは穏やかな笑みを浮かべる。
「ええ、またお会いしましょう。キルコリーネン執行人。礼拝はいつでも。燦礼は毎週水の日。拝霊祭は三の倍数の月の27日です」
燦礼とは太陽神以外を祀っている教会が行う太陽神への週一の礼拝で、行う日は教会ごとに違い、やらない所もある。この教会では太陽、月、火、水、土、風、人の日で回す一週間の中日である水の日に行うようだ。
拝霊祭は祀っている神に信者たちが感謝と信心を捧げる大きな祭事のことである。
お好きな時にいらしてください、と改めて誘われ、ユリウスも穏やかに笑みを浮かべ「はい」返事をした。それから思い出したように言葉を続ける。
「今後はどうぞ、ユリウス、と。俺は――もう執行人ではありませんので」
先程と同じ言葉を口にする時、ユリウスは確かに怯えていた。
けれど、痛みを伴う事実は彼が思っていたよりもすんなりと音に乗る。苦しさはまだあるが、あの、世界が全て塗りつぶされるような感覚に襲われることはなかった。
少し前に話していた時よりもだいぶ表情の強張りが少ない。ユリウスの内心を詳細には理解出来ていないが、そのことには確かに気付いたチャールズは、見守るように優しい眼差しを彼に注ぐ。
「ええ、ユリウス。神の愛の降り注がんことを」
ユリウスの額に揃えた指先を当て、チャールズは逆の手の人差し指を真っ直ぐに伸ばし、自身の額、左肩口、胸を順番に軽く叩いていく。これは分類が東に属する神の祝福を祈る巡り手という動作だ。
ムルテウス教において、神々は方角で分類されている。細かくは十六方位で分かれるが、東西南北の四方向で分類されるのが基本だ。
分類が北の場合は右肩、額、左肩の順で、南の場合は左肩、胸、右肩、西の場合は胸、右肩、額という順になる。
豊穣の女神は東に分類される女神なので、先程のチャールズの動作がそれとなった。なお、ユリウスが信仰する太陽神は中央に坐するとされているので、額から始まり左肩、胸、右肩と全てを回り、最後に再び額に戻る。
もう一度頭を下げると、ユリウスは入ってくるニーロと入れ替わりにファーラたちが待つ外へと出た。背後からは、久しぶりに会った挨拶を交わし、最後に会った時の話を始める二人の会話が聞こえてくる。
「それじゃあ早速市場に――」
「ジェシカ・フォスター」
ジェシカが誘い掛ける言下、ユリウスが彼女をフルネームで呼び止めた。
何か変なことをしないだろうな、とファーラとブリジットから疑いの目を向けられながら、ユリウスは振り向いたジェシカと向き合う。
「――またこの教会に来たい。許可をくれ」
恥ずかしい、という気持ちがないわけではない。しかしこの場所に再び来るとなれば、その許しをこの空間の主に請わないわけにはいかない。
真面目な顔で見下ろしていると、ジェシカは最初から変わらない屈託ない笑顔を浮かべる。
「いいよー、いつでもおいで。何ならここに直接来られるようにニーロ様にルート作ってもらったら? 来た時に私に許可取りに来るのも大変だもんね。直通なら好きな時に来て好きな時に帰れるお得さがあるよ。あ、でも一個条件!」
びしっ、と立てた指を突き付けられ、一度それに視線を向けてから、ユリウスは再びジェシカに視線を戻した。
そんな彼に、ジェシカはいたずらっ子の笑顔を閃かせる。
「ここで出来たもの、最低一個は食べてってね」
美味しいんだから、と自信満々な笑顔を浮かべるジェシカ。
毒気を抜かれるその言動に、ユリウスは自然と笑みを浮かべて了承を唱えた。様子を見守っていた彼の主がチャールズの手腕に改めて感激することになるのだが、それは別の話である。
「よーっし、じゃあ改めて。しゅっぱーつ!」
「「おー(っ)」」
改めて拳を振り上げたジェシカの号令に、ファーラとブリジットが応えた。元気よく歩き出す三人に続こうとして、ユリウスは改めて教会を見上げる。




