第9話「豊穣の魔女」⑦
空いている扉から姿を現せたのは、すっかり泥が落とされ身支度を整えたジェシカだ。
ふたつに縛り直された髪は白と黄の花の髪留めで止められ、左の側頭部には黄色とオレンジの花の髪飾りが差されている。身につけているのは、肘の辺りで袖を絞られた薄い緑のブラウス、紺を基調としたコルセットに、ややくすんだ緑色のロングスカートだ。
「ジェシカ! もっと丁寧に挨拶しなさい!」
娘のざっくばらんな登場に母からは怒りの声が上がるが、当のジェシカは「まあまあ」と自分で宥めながら空いていた席――ブリジットの前に腰を下ろす。
「お母さんそんなに怒ってばっかりいるとブリジットちゃんに『怖いおばさん』って覚えられちゃうよ」
「まっ! それはダメね! ブリジットちゃん大丈夫よ、おばさんは優しいおばさんだから」
からかわれたカレンは重ねて怒ることはなく、逆に両頬を手で覆い冗談を重ねてきた。仲良しな親子だな、とブリジットは堪えきれずに笑いを零す。
「ふふふっ、大丈夫ですよ。カレンさんがお優しいのは先ほどからお話しさせていただいて分かってますから」
ジェシカよりもキビキビした印象だが、明るさと人懐っこさは彼女と変わらない――いや、娘に引き継がれている通りだ。ブリジットが否定すると、カレンはジェシカを肘でつつきにやにやと笑った。
「ほーらお母さんお優しいですって。あんたこそそんなのほほんとしてる所ばっかり見せてたら『威厳のない魔女ね』って思われちゃうわよ」
「えっ、大変! ダメだよブリジットちゃん、ちゃんと頑張ってる魔女だよ私」
同じくふざけた調子で重ねてくるジェシカに、ブリジットは今度は慌てて否定する。
「もっ、もちろん承知しております! これだけの空間を維持して管理するなんて、相当な魔力消費とご苦労がありますよね」
一瞬で緊張した面持ちになったブリジットは、しかし直後「失敗した」と言いたげな顔をした。あまりに強張った表情に、ジェシカは盛大にショックを受けた様子を見せる。
「ええーっ、何でお母さんには笑顔で返すのに私にはそんな緊張するのー? 私の方がブリジットちゃんと年近いんだからむしろ友達感覚でもいいぐらいじゃない?」
「あー、ジェシカったら上からの圧力かけてるー」
「かけてないもん! えっ、嘘嘘、ブリジットちゃん私怖い?」
からかう母を押しのけジェシカは机に手をつきブリジットに顔を近付ける。責めるというより驚きが強い眼差しに真正面から見つめられ、ブリジットは、視線を泳がせ「あのー、そのー」と口ごもった。いつも以上に恐縮してしまっている理由は、話したいけど話せない。
すると、弟子の心を知ってか知らずか、ニーロが代わりに口を開く。
「最初に会った時に君を子供と間違えただろう? それを気にしているから、これ以上失礼を重ねられないと思っているのだろう。少々空回ってしまったようだが、弟子なりの気遣いだと思ってほしい」
師が出した助け舟に、ブリジットはありがたいような恥ずかしいような複雑な気持ちを抱いた。結果として表情を固めてしまったブリジットとニーロを交互に見て、ジェシカは「本当に気にしてないよー?」と驚きを隠せない様子を見せる。
「ご――不快にさせてしまい、申し訳ありません、ジェシカ様。お師匠様の仰る通り、これ以上ご無礼を重ねたくなくて逆に失礼な態度になってしまっていました。……折角お師匠様に味方してくださる方を、私の行動で離れさせるような真似をしたくない、と思いあのような態度に……」
再度頭を下げ謝罪を繰り返すブリジット。やけに重苦しい空気を醸す彼女の頭を、ジェシカは片手を机についたまま軽く撫でた。反射のように顔を上げたブリジットに、ジェシカは変わらず屈託ない笑みを咲かせる。
「んふふー、ブリジットちゃん本当にニーロ様大好きなんだね。分かる分かる。優しくて頼もしくていい人だもんね。まあ私も生半可なことじゃニーロ様を嫌いになるなんてぜーーったいないけど――うん、分かった。無理強いしたいわけじゃないし、これ以上は言わないでおくね」
私は分かっているよと言わんばかりにジェシカは何度も頷いた。ほっとしたブリジットが緊張を解くと、突然ジェシカのいたずらっ子のような笑みが目の前に迫る。
「でも、ブリジットちゃんが私にも『うふふ、大丈夫ですよ』って言ってくれるようになるのは、いつでもお待ちしておりますので」
眼前まで来たオリーブ色の双眸は、出会った時から変わらない朗らかな光を宿していた。緊張が解けた後、ということもあり、今度はブリジットも自然に微笑む。
それに満足したらしく、ジェシカは改めて体を起こして椅子に座り直した。
「それじゃあ、改めてレッツ魔女トーク! どこから話す? やっぱりシグル村大逃亡編から?」
「あらまずはその前のジェシカ魔女判明事件からじゃない?」
「いやうちの村の穏やかさから話した方が緊迫感が伝わるんじゃないかな」
ジェシカが口火を切ると、それまで黙って様子を見ていた両親も話に加わってくる。明るい家族だ。今は失くしてしまったそれを眩しそうに見つめ、ブリジットはいつでもどうぞとばかりに居住まいを正した。
そんな彼女の様子に、見守っていたファーラは小さく安堵の息を吐く。そして、爽やかな風を運んでくる窓の外に視線をやった。
思い浮かべるのは、難しい顔で教会を見上げていたユリウスの横顔。ジェシカは大丈夫だと言っていたが、本当に大丈夫だろうか。誓約があるとはいえ、ファーラの心配は尽きない。




