第9話「豊穣の魔女」③
移動した先でまず目に入ったのは、眼下に広がる区画整理された沢山の畑と沢山の果樹林。
畑や林の先、右側には豚、牛、羊、山羊、ニワトリがそれぞれ柵で囲われた大きな区画の中で自由に闊歩している。
その逆側には海なのか巨大な湖なのか判別のつかない水辺があり、何隻か船が浮かんでいた。
視界の正面には緑の山が数峰連なっており、一部が伐採済みなのか、黄土色が見えている。
立っている場所から左右を見渡すと、段々に作られたまた別の畑があり、農作業をする人々の姿が多く見受けられた。
何人かがニーロ達に気付き手を振ってくる。それにニーロが頭を下げファーラが手を振り返している横では、ブリジットとユリウスが目を見開き絶句していた。
「な……んだ、この馬鹿でけぇ農業地帯は……っ!」
「な、何で寒冷地向きのブドウと温暖地向きのブドウが同じ場所で栽培出来てるの……??」
ようやく少し正気が戻ってきた二人は左右前後をきょろきょろと見回す。ブリジットもユリウスも、過去に巨大な農村を見たことはあった。だがこれは規模があまりにも違いすぎる。
「ブリジットには朝説明したが、ここは魔女の空間全ての食糧を担う重要な場所だ。基本的には栽培物は季節に合わせているが、需要があるので区画ごとに気候や気温を変えて対応しているそうだ。グレース様の居住空間は『町』としての機能が強かったが、ここは『生産地』としての機能が強い。もちろん、そのために必要な人材は揃っている」
「足らない部分は魔道具で補ってるですよ。ほら、今下を歩いてるのは農作業用のゴーレムですよ」
促されて下の道を見下ろすと、丸みを帯びた体をした短い手足の土色の小さな何かが、体にそぐわぬ大荷物を持って列をなしていた。ちまっとした体で機敏に動く姿は思いのほか可愛らしく、ブリジットの口からは自然と愛でる言葉がこぼれる。
「あれは土から出来たゴーレムですね。他にも石、木、金属、水なんかで出来たゴーレムもいます」
ファーラ曰はく、ゴーレムとは素体に魔力を流すことで決められた作業をさせる魔道具だという。素体の精度には特に制限はないが、あまり複雑な形をしていると使用する魔力が非常に多くなるため、基本的にはあのように簡素な形になる。
簡単な喜怒哀楽を表す疑似人格を植え付けることも可能だが、これも複雑な思考を与えることは難しい。こちらは魔力というより技術的な問題だ。魔法は万能のように見えるが万能ではない。ゼロから「ヒト」は作れない。
「あの、そのもっと下に人が沢山いるみたいなんですけど、あれは?」
先程のゴーレムたちが歩いていた場所より更に下、平地の部分には家が立ち並び、所狭しと人が行き交っているように見えた。あの場所だけが、以前訪れたグレースの居住空間のような雰囲気がある。
「ああ、あそこは大市場だ。ここで取れた各種の食糧などはあそこでやり取りされる。本来の目的地はあそこだな」
「じゃあ最初からあそこに出りゃあ良かったじゃねぇか。ここから降りてくのかよ」
体力的な問題ではなく単純な面倒くささでユリウスがぼやくと、ニーロは軽く笑った。彼の元の立場からすれば、敵の食糧生産地を一望出来るこの場所は千金に値するだろうに。
(……根本的な性分は『悪』ではないのだろうな、彼は)
魔力を供給されなくては動けなくなると言われ、誓約を定められ、ユリウスは大人しく従っている。だが、悪知恵を働かせれば魔女たちに反抗することは出来るだろう。まだ魔女たちに嫌悪感を抱いている彼なら、それを考えてもおかしくはない。
それでもこの数日、憎まれ口こそ叩くが、ユリウスは危害を加えよう、出し抜こう、という意思すら見せない。誓約で制限出来るのはあくまで行動だけなので、これは彼自身の思考の結果だ。
もしかしたらいつか皆のわだかまりが解け、穏やかに過ごせる日が来るかもしれない。そんな期待が、ついつい高まってしまうニーロである。
「何笑ってやがんだジジイ」
睨まれ、ニーロは何でもないと軽く首を振った。
「さて、ではそろそろジェシカの元に向かおう――」
「あっ、みなさーん! いらっしゃーーい!」
出発を促す言葉尻に被された元気な少女の声。坂の下を見やれば、大きく手を振り農作業用の服を纏ったそばかすの少女が駆けて来ていた。作業の途中だったのか、顔や服はすっかり泥で汚れている。その中でも輝く無邪気で屈託のない笑みに、つられたブリジットも自然と明るい気分になった。
「こんにちは、お邪魔します」
近くまで来た少女に、ブリジットは年上然とした笑顔で対応する。体力があるのか息切れする様子も見せない少女は、そんな彼女に一層表情を明るくさせてブリジットの手を取った。
「こんにちは! あなたがブリジットちゃんだね。お顔を見るのは初めてだけど、噂はみんなから聞いてるよ! 私もニーロ様大好き派なんで、仲良くしましょうね!」
満面の笑みを浮かべて手を上下に大きく振られる。ニーロ肯定派を全力で主張され、ブリジットは安堵と嬉しさに思わず少女の手を握り返した。
「うんっ、こちらこそよろしくね」
少女に負けないほど親し気に返すブリジット。その背後ではニーロとファーラが「おや」という顔をする。そしてすぐに、ファーラが何かに気付いた様子を見せるが、それよりもブリジットたちの会話が進む方が早かった。
「ところで、あなたのお名前は?」
仲良くなるなら第一に知りたいところだ。手を握り合ったままブリジットが尋ねると、少女は満面の笑みを咲かせる。
「ジェシカ・フォスター。豊穣の魔女だよ。よろしくね、ブリジットちゃん!」
ぴしり、とブリジットが固まる音がした。
「ジェ……シカ様……? ご本人、ですか……?」
引きつった声と顔で、ブリジットはぶわっと噴き出した冷や汗まみれで恐る恐る尋ねる。眼前のジェシカは、変わらぬ屈託ない笑顔で「ご本人です!」と返してきた。途端に、ブリジットの顔からは血の気が引く。
「もっ、申し訳ございません! 純朴でのどかな雰囲気でいらっしゃったのでてっきり農家の、年下の子かと思ってしまい」
「泥まみれのガキ面で威厳のいの字もねぇから分からなかったってよ」
謝るブリジットの背後から、小馬鹿にした様子でユリウスが茶々を入れた。
「ちょっと黙ってて!」
「ユリウス失礼吐かすんじゃねーですよ!」
同時に怒鳴られるも、ユリウスは堪えた様子もなく皮肉気に笑い「事実だろ」とさらりと答える。これまで会った魔女たちに大抵やり込められてきたせいだろうか、無害そうなジェシカに先制攻撃といわんばかりの対応を取っていた。
しかしニーロは思う。甘いな、と。




