第9話「豊穣の魔女」②
空間の再構築が周知されたのと同時に、同紙ではユリウスのことも取り上げられていた。
『現在ファーラの魔法人形となっており、誓約がかけられているため他者を害することは出来ない。至って安全』
そんな風に記事には書かれていたが、ニーロ否定派がそんな内容で納得するはずもなかった。
空間の再構築についての問い合わせが増えた傍らでは、「執行人を空間に入れるなんて!」という苦情も増えている。前例はあれど極少人数 。ましてユリウスは襲撃者だ。この件に関しての苦情はニーロもファーラも「甘んじて受けるべき」と考えていた。
とはいえ、それはブリジットの心境とは関係がない。
あまりニーロの負担を増やしたくない、という思いから反対するブリジットに、ファーラとニーロは互いに視線を向け合った 。ややあって、「やっぱりそうですかねぇ」とファーラはトレイを頭の後ろに持っていき、まるで被るような動作をして唸る。
「――そうだな。悪いが、ユリウスには留守番をしていてもらおう」
結論を出すと、見計らったかのようにキッチンからユリウスが顔を出す。
「おいチビ、煮えたぞ」
「じゃあお皿に盛ってこっち持ってくるですよ」
それぐらいやれですよ、と憎まれ口を叩きながら、ファーラはキッチンに戻った。それを見送ってから、ブリジットはテーブルの横に置かれているティーカートの上のジュースをグラスに注ぎ始める。
そんな弟子の横顔を見つめ、ニーロは詳細が定かではない彼女の異常 について思案した。ファーラも気付いている。ユリウスはどうかは分からないが、当の本人は気付いていないように見える、その〝異常〟。
何故起こっているのか、どのタイミングで起こっているのかは正直ニーロ自身もまだ分かっていない。ただ、確実にどこかのタイミングでそれは起こる。
指摘してやるのでもいいかもしれないが、今のニーロに出来るのはそれが起こっている、という事実の指摘のみ。原因と解決策が出ていない今、下手に藪をつつくと逆に混乱しかねない。今は様子を見るのが最良だろう。そんな風に思考を巡らせている内に朝食が並べられ、ニーロの思案はそこで区切りを迎えた。
しばらくして、食事を終わらせたニーロは通信の小部屋に入り、本日訪問の予定の魔女に呼びかける。ただ食糧を買うだけなら特段連絡の必要はないのだが、本日は初弟子の顔見せもあるので、予定の確認が必要だった。
『はーい。豊穣の魔女の家でございますー』
水晶に顔が映し出されたのはニーロと年の近そうな女性だ。にこにこして通信に出た彼女は、ニーロを確認すると「あらぁ」と明るい声を上げる。
『ニーロさんじゃない、お久しぶりねぇ。お元気? 先日は大変だったそうじゃないの。何事もなくてよかったわねぇ』
まるで近所の住民、あるいは親戚に話しかけるような親し気な様子の女性に、ニーロも気を緩ませ少し頬を柔らかくした。
「ええ、お久しぶりですカレンさん。騒ぎはありましたが、こちらは変わりありません。そちらも、お元気そうで何よりです。……早速で申し訳ありませんが、お嬢さんは今通信に出られますか?」
『ええ、大丈夫ですよ。少々お待ちくださいね』
問いかけると、女性――カレンは通信に使用している魔道具・『伝達の水晶』から顔を離す。そして、大声で娘の名を呼び、ニーロからの通信だと伝えた。
すぐに通信の向こうから伸びた返事が聞こえ、ややあって、ひとりの少女が水晶に映し出される。ぱっちりちと丸いオリーブ色の双眸は、ニーロを認めると母に負けず劣らずな明るさと親しみを込めて細められた。
『おはようございますニーロ様。いい朝ですね。何がいいって、今朝生ったお野菜を収穫したんですけど、凄く美味しくて。あ、ご連絡くださってことは今日来ます? 取っておきますよ。トマトもナスもトウモロコシも唐辛子もいい出来なんです。そのまま食べてもちょっと茹でただけでも美味しいですから!』
それでそれで、と話を続けようとした少女を、まだ近くにいたらしい母が叱りつける。
『ジェシカ! ニーロさんのお話がまだでしょう』
『あっ、そうだった。ごめんなさいニーロ様。何でしょう?』
素直に母の注意を受け入れ、少女――豊穣の魔女・ジェシカは改めてニーロに視線を向けた。
ニーロは軽く咳払いをしてから、本日食糧を買いに行く旨、また、都合がよければ弟子に挨拶をさせたい、という旨を伝える。ジェシカは一瞬の逡巡もなく「はい、どうぞ。お待ちしてますね!」と明るく笑った。
『あ、例の人も来ます? ニーロ様の所に来たっていう執行人の』
後から伝えるつもりだった内容を先んじて問われ、少しニーロは面食らう。ジェシカは人を悪く言うことはないし、物事を悪く捉えることがない少女だ。そんな彼女でも執行人はやはり危険と思うのだろうか。
「いや、無駄に怯えさせては申し訳ないからな。今回は留守番を――」
『え、怯える? 何で? だってファーラちゃんの魔法人形になっちゃったんですよね? 襲えないし……怖くないですよ?』
心底疑問を浮かべているジェシカに、ニーロは一、二回目をぱちくりとさせた。予想とは違うが、これほどあっさり受け入れるとは。
「……ああ、いや、しかし、空間にいる他の者たちもすぐに受け入れるのは難しいのではないだろうか?」
『えー? 大丈夫だと思いますよ。むしろローレンスさんの後輩がどんな人なのか見たいねー、って話出てましたし。ねー、お父さーんお母さーん、ニーロ様が新しい執行人の人連れてくるの悪いんじゃないかってー。別にいいよねー?』
水晶から顔を逸らし、ジェシカは少し離れた場所にいるらしい両親に声をかけた。すると、水晶の向こうからは
「あら別にいいんじゃないのー? 危ないことは出来ないようになってるんでしょー?」
「大丈夫だよー。うちのおいしいご飯を食べたらきっと悪いことしようなんて思わなくなるよー」
と大声が返ってくる。
『いいって言ってますよ』
にこにこと、ジェシカは歓迎の意を笑顔に変えた。朝は相手を慮ってユリウスは留守番、と結論を出したが、これは逆に連れて行かねばならなくなったようだ。ニーロは軽く笑うように息を吐き出し、連れて行くことをジェシカに告げる。
その話の顛末と変わった予定を聞いて、娘と弟子と居候がそれぞれ複雑な表情を浮かべるのは、これから十分ほど後の話だ。




