第9話「豊穣の魔女」①
眩い朝に、ユリウスは一人庭先に立っていた。昇る太陽と向かい合い、片足をついた姿勢で跪こうとする。
だが、しばし中途半端な姿勢で逡巡してから、結局彼は両膝を地面についた。
そして、人差し指から小指までを軽く曲げ、人差し指と親指の先端を付ける緩い拳を作ると、その左手を額に、その右手を胸に当てる。双眸は瞼の下に隠され、頭は太陽に向かって深々と下げられた 。
その様子を、昏い目が物陰より睨みつけている。
数秒後、視線の主 は踵を返した。歯はきつく食いしばられ、眼差しは目に見えない何かを睨みつけるように鋭い。
追憶の魔女、伝達の魔女の訪問を受けてから4日。現三大魔女の了承を早々に取り付けたアレッタが、空間再構築を新聞で大きく宣言してから3日。あちこちからの問い合わせでニーロが忙しくなった以外は何も変わらない、平和な日常にそれは訪れる。
「あと一食くらいで食料の貯蓄が切れそうですよ」
朝食をトレイに乗せて運んできながら、ファーラはさらりと告げた。
「今回は随分早いな……いや、そうか、人が増えているし、来客も多かったし、ソフィ様たちにも分けたのだから、当たり前だな」
一瞬軽く驚いたニーロだが、すぐに理由を察して納得を示す。
「なら、今日はジェシカの所に行くとしよう。生活する上で一番世話になるのは彼女だろうし、挨拶は早めにしておいた方がいいだろう。ブリジット、朝食の後出かける準備をしなさい」
「はい、お師匠様。――あの、ジェシカ様とは?」
ファーラの持っているトレイからサラダを机に移していたブリジットがニーロと向き直り姿勢を正した。軽く手を挙げてそれを解かせてから、ニーロは名を挙げたばかりの魔女の説明をする。
「豊穣の魔女、ジェシカ・フォスターだ。空間で農業や林業、畜産、水産業を行っていて、私たち魔女の空間で生きる者たち全ての食糧を担っていると言っても過言ではない。もちろんうちも、彼女の所から食料は買っている。4年ほど前に魔女になった娘で、確か今年で――19歳になるはずだったかな。朗らかで穏やかな性格をしているから、お前もすぐに仲良くなれるだろう」
魔女の空間に生きる者たちの食糧を担っている。つまり、ブリジットたちにとっては生命線と言える存在ということだ。
そんな人物が若干19歳とは、驚かざるを得ない。しかも、今年19歳で、4年ほど前に魔女になった。つまり、14歳あるいは15歳の時に魔女になった、ということだ。
空間の件と言い、「ジェシカ」とは本当に優秀な魔女なのだろう。その素直な感心を口にすると、ニーロは「あそこの師弟は少々特殊な状況だったからな」と当時を思って眉をひそめた。
「ジェシカの師は、彼女を弟子にしてから3年ほどで重い病にかかってしまった 。本当は一番弟子が継ぐはずだったのだが、師とは別の病気にかかってしまい、彼女は早くに亡くなってしまったんだ。ジェシカの師にはジェシカと一番弟子を含め5人しか弟子がいなかったから、残った弟子の中で一番魔力が強かったジェシカが魔女を継ぐことになった」
ニーロは語る。ジェシカの住まう空間は彼女の師の代から生命の魔女の空間に次ぐ大きさで、維持には一定値以上の魔力を必要とする、と。件の魔女の弟子で、それが可能だったのがジェシカだけだった、と。
「空間の主になった魔女は、自分が住む空間との間に魔力の経路を持ちます。ここから、毎日必要な量の魔力が自動的に空間維持のために供給される仕組みなのです。ただ、まあ、空間が大きければ大きいほど必要になる魔力は多くなります。もしこれが足らなくなると、空間が維持出来なくなってしまいます」
そうなった場合、空間は小さくせざるを得なくなる。過去にそう言った事例も実際にあるのだ、と小さく賢いアリクアンドは補足する。
「もちろん他の魔力持ちの方達から魔力を分けてもらう方法はあるのですが、ジェシカ様の空間の場合、大地に根差した生産物が多いので、出来ればおひとりの魔力の方が安定するそうなのです。さっきお父さんが言った通り、ジェシカ様の空間は僕たちにとって食糧庫。これが小さくなると、各地で食糧不足が起こることが懸念されるですよ。なので、一番若いながらも一番魔力が強いジェシカ様が継ぐことに、異論はなかったそうです」
三大魔女には今のところ含まれていませんが、とっても重要な魔女様なのです。補足を付け足し終わると、ファーラは空になったトレイを胸に抱き、真剣な目をニーロに向ける。
「で、相談なのですが、ユリウス連れて行っても大丈夫だと思いますか?」
今はキッチンで豆のスープを煮ている元執行人。誓約があるため誰かを害することは決して出来ないのだが、まだ魔女や魔女の空間に住む者たち対して「悪魔の手先」という考えが捨てきれていない。
そんな彼を、果たしてこの空間から出して別の魔女やそこに住む者たちに会わせていいものか。ファーラが悩んでいるのはそこだ。
この先ずっと彼をニーロの空間に閉じ込めておくのは不可能だし、いつかは外に出る時は来る。だが、それを今とするのは早急な気もしていた。
「今までユリウスが会ったことがある魔女様は、ソフィ様とアレッタ様、それと、三日前に来た蔦の魔女様、変身の魔女様。皆さん普通に受け入れてくださいましたけど、正直、魔女様の中でも変わった方々ばかりですからねぇ」
ニーロの師を姉と慕いニーロを甥のように可愛がる蔦の魔女ロザリアがニーロの空間を訪ねてきたのは、三日前の午前――のさらに早い時間だ。
アレッタの記事を読んで即座に飛んできた彼女は大泣きで、しばらくの間宥めるのにニーロが非常に苦労をしていた。
最終的に落ち着いたロザリアはユリウスに「今は気持ち的に難しいでしょうけど、ニーロたちと仲良く過ごすのよ」と告げて帰っていった。やけに穏やかに話しかけられ、ユリウスが逆に意味が分からず怪訝な顔をしたのが印象に残っている。
続けて変身の魔女イシュルカがニーロの空間を訪ねて来たのは、同日の午後だ。
ロザリア同様その日の新聞でニーロの空間が襲撃を受けたことを知ったイタズラ好きの魔女は、村の者たちに惑いの魔法をかけるという自分の策のせいで逆に魔力を辿るパン屑を与えてしまった、と珍しく反省した様子だった。
お詫びに持ってこられたお菓子を、ニーロは驚愕した様子で受け取っていた。それもそうだろう。何せ何をやっても反省しないことで有名な魔女が、素直に反省して詫びまで入れてきたのだから。
その時にユリウスとも会ったのだが、流石にユリウス相手にはいつもの調子でからかっていた。ユリウスからは「クソ女」と睨まれていたが、そんな直接的な罵倒がイシュルカに効くはずもなく。結局、終始イシュルカ優勢で会話は続いていた。
「……ファーラちゃん。魔女様とか、空間に住んでる他の人達に迷惑がかかる可能性高いし、私は連れて行かない方がいいと思うかな」
少し眉をひそめて困惑気味な顔をしているブリジットが横から控えめに意見を述べる。




