第8話「魔女たちの来訪」②
娘たちに遅れてリビングに向かうと、キッチンからは謝罪の応酬が聞こえてきた。
席に着くまでの短い間に聞こえてきた内容によると、寝坊したことをブリジットが謝り、そもそもの原因が自分だからとファーラが謝っているようだ。
この二人も、仲良くやっている反面、どこかお互いに遠慮しているように思える。まだ二週間だから当たり前なのだが、やはり父として、師としては少々物悲しいところがあるのも事実だった。
せめて娘と弟子のお互いに対する遠慮くらいは早くに消えるといいのだが。
そんなことを思いながら、ニーロはファーラが用意しておいてくれたらしい空のカップを上向け、隣に置かれているポットから紅茶を注ぐ。
その時、リビングの入り口でがたりと音がした。思い切りぶつかったような鈍い音に弾かれるようにそちらを向くと、入り口にユリウスがもたれかかっている。
髪は乱れ、服は執行人の制服ではなく、朝窓から見たままの状態だ。
だがニーロが気になったのはそこではない。やけにぐったりした様子が心配になり声をかけようとし、ニーロはすぐさま彼の異常の原因に気が付く。
「ユリウ――」
「あっ、ユリウス遅いですよ! 僕の下僕なんだから僕より早く起きるぐらい心掛けろです」
ユリウスがぶつかった音に気付いたのか、キッチンからファーラが顔を出した。挨拶がてらの軽口を飛ばすも、ユリウスは声を出すのも億劫そうな様子で「うるせぇ」と小さな声で返す。
「体が、うまく、うごか、ねぇんだ、よ」
「ユリウス待ちなさい、動くんじゃない。魔力が」
声が徐々にかすれていく様子にようやくファーラが疑問を抱き、反対に、やはり予想通りだ、とニーロは音を立てて椅子から立ち上がった。
だが、その言下ユリウスはその場に前のめりで倒れてしまう。
「ユリウス!」
ファーラとニーロの声が重なった。ユリウスに駆け寄るファーラの背後からは、切迫した事態に気付いたブリジットが慌てて顔を出す。
「あーあーっ、お父さんユリウスが! 魔力魔力!」
ニーロのように視えているわけではないだろうに、ファーラはすぐさまユリウスの異常の原因に気付いたようだ。ぱしぱしと腕を叩かれ、ニーロは宥めるようにその肩を軽く叩いた。
「落ち着きなさい。すぐに補給する」
倒れたユリウスの隣に膝をつくと、ニーロはまずその体を仰向けにする。
天井を向いたその顔は完全に硬直しており、見開いた目は僅かも動かずにじっと真っ直ぐ前を見つめていた。
生気のない表情と眼差しは、まるで精巧な人形で、後ろから様子を眺めていたブリジットは思わずといった様子で息を飲む。
「ブリジット、基本的には私がやるが、一応お前も覚えておきなさい。魔法人形に外部から魔力を補給する際は、肉体に触れて行う。緊急時は補給が早く回るように心臓の上から魔力を流す。このように」
ユリウスのインナーをたくし上げ胸に手を置くと、ニーロはすぐさま手のひらから魔力を流し込んだ。すっかり空っぽになってしまっている魔力の器を感じ取りながら、ニーロは自身の迂闊さを反省する。
ニーロが魔力の流れを視て気付き、ファーラが知識で気付いた、ユリウスの異変の原因。
それは、体を動かす魔力が尽きかけていたことだ。魔法人形は何をするにも魔力を必要とする。ただ喋るのにも、ただ歩くのにもだ。
今回に関しては、昨夜の立ち回りと、通常生活で魔法人形が一番魔力を使う「起きる」という行為が間に挟まれた。魔力が枯渇するのも無理はない。早朝の時点でふらついていたのも、そのためだと予測される。
魔法人形について何も知らないブリジット辺りが説明を受けたら、おそらく「起きただけで?」と疑問を持つことだろう。
だが起きるだけと侮ってはいけない。「起きる」という行為は人形体を起動する行為であるため、存外に魔力を消費するのだ。
しかし、これだけ魔力と隣り合う存在でありながら、魔法人形は自ら魔力を生み出すことは出来ない。つまり、生きていくためには魔女をはじめとした魔力を持つ者たちの支援が絶対不可欠なのである。
ファーラがその特徴であり欠点を十分に説明しなかった経緯があるので、ニーロは彼にその点を十分注意しなければならなかった。
にもかかわらず、初日からこれとは。
申し訳なさと情けなさを感じながら魔力を注ぎ込むこと一分ほど、突然ユリウスの顔に生気が取り戻る。
「ぶっ、は」
弾かれるように上半身を起こしたユリウスからは、途中だった呼吸を再開するような音が漏れた。
かと思うと、どっと全身に汗をかく。起き上がった拍子で中途半端に下がった服の心臓の上辺りをぎゅっと握りしめ、立てた片膝に寄るように前屈姿勢になる彼の背中を、ニーロが落ち着かせるように撫でた。
「大丈夫か? すまないユリウス、君の魔力の残量を失念していた。新しい体に慣れないうちの魔力切れは、きつかっただろう」
素直に謝罪と心配を向けると、ユリウスは姿勢を変えないままやや震える声を吐き出す。
「……てめぇ、クソジジイ、わざとじゃねぇだろうな……っ!」
恨みがましい疑いを向けられ、ニーロは「本当にすまない、そんなつもりはなかったんだが」と繰り返した。
この件について、ニーロは敢えて反論するつもりはない。魔女の空間の組み直しを考えるのに夢中になって彼のことを忘れていたのはニーロであり、恐ろしい思いをしたのはユリウスなのだ。文句を言う権利は十分ある。
「意識はあるのに体が動かないって怖いですからね」
流石にこの状態をからかう気にはならないらしい。ファーラも気遣うように声をかけ、下を向いたままのユリウスの頭を撫でた。
すると、発言が気にくわなかったのか、ユリウスは噛みつくように顔を跳ね上げファーラを睨みつける。
「ふざけんな冗談じゃないくらい怖ぇわ! 本当にあるのは意識だけで、何も感じねぇんだぞ。何も見えねぇし聞こえねぇし、匂いも感触もねぇ。この道具作った魔女頭どうかしてんじゃねぇか!」
ユリウスにとって、ニーロたちはつい数時間前まで名実とも敵で、今に至ってもなお敵だと認識しているだろう相手のはずだ。それでも、恐怖を隠す、という意地も張れないくらいにはユリウスは恐慌していた。
それだけのことだった、と理解したので、ユリウスに良い感情を持っていないブリジットですら同情的な視線で沈黙を貫いている。
「気付かなかった私が悪かった。さあ、もう少し魔力を注いでおこう。今のままだとまたすぐに倒れてしまう」
手のひらを軽く向けると、流石に先程の恐怖を再度味わうのはごめんなのか、ユリウスは文句も言わずに斜め後ろに両手をついて体を反らした。
落ちて来ていたインナーをもう一度上げてから胸の上に手が置かれ、再び魔力が注がれる。
「俺が女だったらただの変態だったなジジイ」
「女性に転換する予定があるのか? その場合は効率は悪いが体に触れない方法もあるから安心するといい」
「は、さすがにねぇよ」
「ああ、そういえば」




