第7話「新たな住人」①
「……え?」
ファーラの茶色い髪に顔を埋めるように彼女を抱きしめていたブリジットは、続けて入って来た人物を見て青い双眸を見開く。
薄茶色の髪、濃い茶色の目、サーベルは差していないが、身に着けているのは憎たらしい執行人の制服。間違いなく、その男性はユリウス・キルコリーネンその人だった。
言葉を失いながらも、ブリジットは冷静になるべく状況を整理し始める。
まず、今日――12時を回ったのですでに昨日だが――は、ブリジットにとって衝撃の一日だった。
訪れてきた、変身の魔女イシュルカ・イシュリカからもたらされた情報。それは、ブリジットの故郷であるホバソの町で、魔女の逃亡を幇助した罪に問われた者たちが出た、というもの。この対象となったのは、ブリジットの許婚と友人たち。
かつてブリジットが魔女と判断され処刑を待つだけだった時、ブリジットを見捨てた彼ら。
だが実際は、ブリジットを助けるために影ながら尽力してくれていた。そのことを知り、彼らの救出を師であるニーロ・リッドソンたちに依頼。
結果、全員を救出し、ブリジットたちも無事にニーロが作り出した魔女の空間に戻ってきた。
終わったと思われた騒動は、しかしその夜――今から一時間ほど前に再燃した。許婚たちを裁くためにやって来ていた執行人一行のひとりであるこの男、ユリウスが、ニーロの空間に侵入してきたのだ。
戦闘が不得手なニーロは徐々に追い詰められた。
だが、彼の娘であり、今ブリジットの腕の中に納まるファーラ・リッドソンの要請を受けやって来てくれた二人の魔女――炎の魔女イグナシア・グラセスと、防御の魔女ウィルマ・ワード――のおかげで事なきを得た。
ユリウスを捕まえ一段落――と、なったはずだった。
いつまで経ってもファーラが二階に上って来ないことが気になり、ブリジットは階下に降りニーロと、残っていたウィルマにファーラの行方を尋ねた。
魔女の空間に執行人が入ってきた事態への対応を熱心に話し合っていた二人は、その時になりようやく彼女がユリウスに水をあげに行ったきりだ、という事実に気付いた。
三人で慌ててその部屋に向かえば、そこには護衛としてついていったはずの元執行人・現魔女の付き人であるローレンス・エイムズが倒れていた。
意識を失っている彼を起こし、帰ってしまったイグナシアを呼び戻し、全員が揃った所で、連れ去られたファーラを救出するべくブリジット以外の全員がホバソの町へと向かった。
祈るしか出来ないブリジットは、師たちが消えた場所に立ちひたすらに待ち続けていた。
そして今しがた、ようやく師をはじめとした面々が、目的であるファーラを連れて帰って来てくれたのだ。
なのに、何故この男がまたここにいるのだろう。しかも、捕えられるわけでもなく堂々と歩いて。
咄嗟のこと過ぎて困惑しているブリジットに、ニーロは状況を簡潔に説明してくれる。
「あちらで執行人同士のいざこざがあったらしい。お前の友人を襲った執行人に殺されかけ、それをファーラが助けたのだが、その際に魔法人形になってしまったようでな。そんな状態にしておいて、そのまま置いていくわけにもいかないので、連れて帰ってきた」
友人を襲った執行人――その単語でブリジットが思い浮かべたのは、ブリジットが魔道具で吹き飛ばした、見目はいいが性根の悪そうな男。仲間にまで手をかけるのか、と不愉快そうにブリジットは眉をひそめた。
「ちなみに魔法人形っていうのは、生物を魔力で動く存在に組み替えたもののことを言います。怪我とか病気では死ななくなりますが、魔力が尽きると意識を保ったまま動けなくなってしまう、というのが難点ですかね」
腕の中のファーラが補足して魔法人形について説明してくれる。意識を持ったまま動けなくなる、という感覚を想像し、ブリジットはぞくりと背筋を冷やした。
それから、ようやくニーロがユリウスを連れて帰ってきた理由を理解する。普通の空間で、魔力が補給出来るはずがない。
「だからお師匠様『置いていくわけにいかない』って」
視線を師に向けると、そういうことだ、とニーロは頷いた。
「最早彼は通常の生活に戻れはしない。ブリジット、お前からしたら思うところもあるかもしれないが、どうか納得してくれ。他の魔女に彼を任せるわけにはいかないし、何より」
ニーロはじろりとブリジット――ではなく、その腕の中のファーラを睨みつける。
「私は、そんな大事なことをまともに説明せずに魔道具を使った娘の、責任を取らなくてはならない」
窘める視線から逃れるように、ファーラはぺろりと舌を出し顔をそらせた。
「そんな時間なかったですもーん。それに、全然説明しなかったわけじゃないですよ」
「この上なく説明不足だったけどな」
ばっさりと切り捨ててから、「だがまあ」とユリウスは言葉を続ける。
「助かったのは事実だからな、その点だけは褒めてやる」
腕を組み居丈高になるユリウスにファーラは「感謝は素直に述べろです」と軽く返すが、彼の左右斜め前にいる魔女たちの対応は冷たい。
「偉そうな口叩くじゃないこの使い捨て」
「魔力を注いでもらわないと何も出来ない体になったんだから、せいぜいご主人様たちのご機嫌伺いでもしてなさい」
ウェーブのかかった燃えるような髪を払うイグナシアは嫌悪を隠さず、黒銀のストレートヘアーを耳にかけ直したウィルマはユリウスに視線を向けようともしない。
あからさまな蔑みの反応にユリウスは不愉快そうな顔をするが、横にいたローレンスに肩を引かれて留められた。
「我慢しろユリウス、執行人ってのは魔女や魔女と判断された者たちにとっては天敵だ。しばらくの間はそういう扱いを受けることになる。相手に敬意をもって接するうちに個人を認めてもらえるから、それまでは」
経験者は語る、を地で行くローレンスの深緑の双眸を、ユリウスはぎろりと睨みつけ肩に置かれた手を払う。
「悪魔に傅くご指導なんざ求めてねぇよ万操」
刺々しい反応に、間違いなく敬意ではなく皮肉で口にされた「万操」の通り名。ともすれば折角味方してくれているローレンスまで敵に回しそうな反応だが、当の本人は「そう邪険にするな」と軽く笑って返した。その反応も気に食わないらしく、ユリウスは不愉快そうにローレンスを睨んだままだ。
元執行人二名のやりとりを眺めつつ、ブリジットはユリウスが口にした言葉に対して「やはりすぐには変わらない」と暗い気持ちになる。
執行人とは、教会に仕え、「魔女」と呼ばれた者たちを、あるいはそんな彼女たちに与した者たちを裁く者のこと。普通に生きていれば、彼らは神に背いた異端を排除する英雄、あるいは単に高みの存在でしかない。
だがひとたび「魔女」やその仲間と認定されたら、その評価はぐるりと変わる。「魔女」たちにとって、執行人は自分たちを悪魔と呼び罵り殺そうとして来る相手。魔女側の立場に立てば、むしろ彼らこそが悪魔だ。
その中でも、ユリウスは度が過ぎるほどの狂信者だったようである。救出した友人たちからもそんな話を少しだが聞いていたし、襲撃を受けた際の言動も正にその通りだった。
今の話だと仲間に裏切られ魔女に救われたというのに、それでもまだ彼は魔女を「悪魔」と呼ぶ。
こんな男とこれから先同じ家で暮らしていかなくてはいけないのか。ブリジットは苦い溜息を必死に呑み込んだ。
その無言の忍耐は無意識のうちに両手に宿り、ファーラを抱きしめる力に代わっていた。最初に気付いたのは当然ファーラであったが、複雑な心境を灯す双眸を見上げたら、得意の弁舌も振るわない。結果、言うべき言葉が見つからず、申し訳ない顔をして視線をそらす。
仲が悪かったらしい執行人仲間から偽りの裏切りを申告され、裏切り者として処分されそうになっていたユリウス。血を吹きながら空を舞った彼の右腕を見た時、ファーラは確かに同情した。
そして、その命を拾うことを決めたのだ。父ならきっと許してくれるだろう、という期待を込めて。
だがファーラは、その時もうひとつ大切なことを忘れていた。ブリジットの心境を、考えなかったのだ。
待ちに待った父の唯一の弟子。大事で大事で仕方ないと思っているのだが、自分の命も関わるあの瞬間において、ファーラが思い浮かべたのは縋る気持ちも込めた父だけだった。
ブリジットがニーロの弟子になってからまだ二週間しか経っていない。時間が足りなかっただけだ、といえばそれまでだろう。
だが、ファーラはその言い訳を自分に許したくなかった。父の大事な弟子を苦しめる結果を導き出してしまったことへの反省が、次から次へと溢れてくる。
少女二人がそれぞれ複雑な思いを浮かべ口を閉ざしていると、ユリウスが一同――を代表してニーロ――を指さした。




