幕間「とある少女の慟哭」③
【※ 注意 ※】
このエピソードは全体的に暴力的で残虐なシーンが含まれております。
苦手な方はこの話を飛ばして次の話へ進んでください。
【概要】
とある村では子供が10歳になる年に「魔女帰し」と呼ばれる儀式を行う。
本来はただの形式的な儀式で、本番はその後の祭り。
しかし、とある少女に反応が出てしまった。
少女は「村に忍び込んだ魔女」として、少女の母たちは少女を庇ったことで「魔女の手先」として、父をはじめとした男たちに酷い扱いを受け、母たちは帰らぬ人に。
やがて村の外の処刑場に連れていかれた少女だが、偶然にも馬車が崖下に落下。
そのまま死ぬのを待つだけだと思っていたところで、見慣れぬ老女――魔女に、救われた。
次に少女が目を覚ましたのは暗闇の中だった。
生暖かい、でもどこか冷たい、そんな何かの上で転がっている。
少し体をよじるが、全身が連動するように痛んで動くこともままならない。痛みが去るのを必死に耐えている内に、少女は気絶するように眠りについた。
事態に気付いたのは翌日、日の差す中で目を覚ました時である。
目を瞑る前には生暖かかった地面が、今は氷のように冷たく固い。痛みを覚悟し少し首を巡らせ、少女は絶句した。
視界に入ったのは、見開いた目の縁や鼻から血を流している父の顔。時間が経っているのか流れた血はすっかり乾き切り、顔は紫色に変色している。
かつてきらきらとし、最後の記憶では怒りに沈んでいた群青の双眸は、今は何の感情も灯していない。
父は、死んでいる。
少女はその父の胸の上に倒れ込む形になっていた。
視線だけを巡らせれば、馬車の中にいた他の男性たちも皆生きているはずがないと確信出来るような状態になって転がっている。
何が起こったのか、考えを巡らせた結果、少女の中では
「長雨で山道が崩れ、馬車が落下し、運良く少女だけ助かった」
という結論が出た。
だが、その考えを昏い双眸の少女は否定する。
運が良かった、果たして本当にそうだろうか。
帰る家も、頼る家族も今はいない。体中は傷だらけで、落ちた衝撃で折れたのか足も動かせない。上半身は縄で縛られたまま。
こんな状態で自分に何かが出来るなど、少女には到底思えなかった。
それに、と少女は視線をまた父に向ける。
二度と動かない。分かっていた。けれど、少女はまだそれが信じられずにいる。
もしかしたら逃げようとしたら立ち上がって追いかけてくるかもしれない。そうしたら今度こそじわじわと甚振られて殺されるかもしれない。想像すると、少女の体は恐怖と緊張で強張った。
結局動くこともままならず、少女はそのまま二日をその場で過ごすこととなる。空腹と、喉の渇きが辛さに拍車をかけた。
けれど、その二日目、少女は騒動から初めて確かな安堵を覚えることとなる。
父が、腐り始めたのだ。
見れば他の男性たちも速度の差はあれ徐々に腐り始めていた。
そこでようやく、少女は救われた気持ちになる。このまま腐りきってしまえば、もう彼らは少女を殴りつけたり出来なくなるのだ、と。
早くみんな腐れ、腐ってなくなれ。何かも腐り落ちてしまえ。
狂気のような願いが少女を包む。乾いて切れた唇は徐々に引き延ばされ、落ちくぼんだ双眸には異常な光が生まれた。
そんな彼女が正気に戻ったのは、横倒しの馬車の、今は天井になっている扉から影が差したから。
まさか村人か、と狂気を灯したままの双眸を上げる。
扉から、白を基調としたドレスを纏った見慣れぬ老女――年の頃は60、70ほどだろうか――がこちらを見下ろしていた。
「……魔力を感じると思ったら。相も変わらず男というのはおぞましい。この地域の男は特に最低ですね」
女性が皺だらけの手を伸ばすと、少女の体がゆっくりと浮き上がる。痛みは何もない。引き上げられる、というより、本当に浮かされていた。
少女が驚愕を覚えている間に、その視線は馬車の上に立つ女性と同じ高さになる。真っ直ぐに注がれる赤紫の双眸は厳しく、けれど同じくらいの慈悲を灯していた。
女性の指が振られると、今度は少女を縛っていた縄が千切られる。
「私は回復は得意ではないのですが、最低限だけ治しておきましょう。すぐに得意な魔女の元に連れて行ってあげますからね」
言うが早いか女性の手が少女の頭を、顔を、肩を、腕を、胸を、腹を、背中を、腰を、足を、順に撫でていく。
撫でられた所からは、少女を苛む痛みが嘘のように消えていた。完全になくなったわけではないが、少し身じろぎするだけでも悶えるほどの痛みはなくなっている。
だが、少女の群青の双眸が涙に濡れたのはそれだけのためではない。魔女だと言われてから初めて優しく触れてくれた手が、とても暖かかったから。
間違いなく本物の魔女は、その存在を「悪魔」と呼んだ村人たちより、ずっとずっと少女を人間として扱ってくれている。
「ア゛、ア゛……」
何か言いたくて言葉を紡ごうとするが叶わず、少女が喉の痛みに喘ぐと、魔女は「喉もでしたか」と喉を撫でた。
「喉をも焼くほどの灼熱の薬ですか。随分乱暴な物を使われましたね。声は出ますか?」
問われ、少女は小さく声を出す。
痛みはない。そんな当たり前のことが嬉しく、こぼれた涙が次々に少女の頬を流れた。
「出、ます」
しゃくりあげながら、少女はようやく人間らしい言葉を紡ぐ。そうすると、自分はちゃんと人間なんだと、改めて認識することが出来た。
そしてそう認識することで、これまでに受けた苦痛や屈辱が甦り、少女の涙は複雑な思いで塗りつぶされ始める。
それを、魔女は取り出したハンカチで優しく拭ってくれた。彼女のドレスのように真っ白で、驚くほどに柔らかい。村長の家ですら使われていないだろう、と思えるほど質の良いそれが、瞬く間に泥と血で汚れていく。
「汚れ、ちゃい、ます」
反射的に顔を反らそうとするが、顎を軽く掴まれ結局前を向かされた。けれどそれは、乱暴のらの字もそぐわないほど、ずっとずっと優しい力。
「ただの布です。女の子の顔が綺麗になるならこのハンカチも本望でしょう。……ほら、終わりましたよ」
傍から見たら、にこりともしない彼女はそれは恐ろしい老婆だろう。ただの村娘だった時に彼女を見かけたら、「怖い」と思ってしまったに違いない。
けれどこうして対面した時、魔女の瞳は優しく、正面から向き合う心は傷つき痛んだ心を魔法のように癒してくれる。
不意に少女の体が浮いたまま魔女に近付けられた。
そして、その腕の中に収められた瞬間、魔法が切られたことを感じる。途端に、少女の胸の奥の堤防も決壊した。
「っうわああああああああああああん」
魔女の首元に縋り、少女は声を払って泣き始める。痛み、恐怖、喪失感、安堵。様々な感情が胸を去来した。
「あら、困りましたね。もうハンカチはないのですが。これでもいいですか?」
耳元でこんな大声で泣かれたさぞうるさいだろうに、魔女は気にした様子も見せずに少女を抱き直し、浮かせたハンカチを少女の手元に持ってくる。
少女はそれを受け取るが、目元に持ってくることはせず、ぎゅうっと握りしめてただひたすらに泣き続けた。




