序話 魔女との出会い③
その夜、ファーラが用意してくれた食事をたらふく食べたブリジット。膨れる腹に満足しながら、両手を広げても余りそうな大きなベッドに横たわる。口から零れるのは感嘆の溜め息だ。
「昨日まで……ううん、何時間か前まで死にかけてたなんて嘘みたい」
満足な食事、絶え間ない会話、温かな風呂、そして柔らかいベッド。少し前まで普通にあって、一瞬で奪われた幸せの象徴たち。再び得られたことに、ブリジットの心には感謝しか浮かばない。
「喜んでくれたようでよかったです。明日も美味しいご飯作りますからね!」
長い髪を首の横で三つ編みにし終わったファーラが隣に座った。客用のベッドもあるようだが、一緒に寝ないか、と誘われたのでこうして彼女のベッドにお邪魔している。
ブリジットは笑顔を向けてくるファーラに「楽しみにしてる」と笑いかけた。それから表情を改め、上半身を起こす。
「ねぇファーラちゃん、昼間言おうとしてたことって何?」
問いかけると、ファーラは困ったように唸って腕を組んだ。
「う~~ん、僕としては言っちゃいたいんですけど、お父さんに余計なこと言わないようにって制限の魔法かけられちゃってるからなぁ」
「えっと、それって私が聞きたいから訊いても余計なことなのかな?」
魔法の知識はないが、一般常識的に相手が求めることを説明するのは『余計』ではないはず。その認識の元尋ねると、ファーラは「確かに」と一本立てた指を振る。
「お父さんはー、弟子を探しててー。あ、大丈夫です喋れます。えーっと、どこから話そうかな。ブリジットさん魔女についてはどのくらいご存知ですか?」
喋れると分かるやはしゃぎ出すファーラについ笑ってから、ブリジットはまるで知らないという答えの代わりに首を振った。じゃあ最初からですね、とファーラは面倒どころか心から楽しそうに話し始める。
「まず魔女って言うのはですね、もちろん大前提に魔力を有する者なんですが、その中でさらに、大昔、月の女神と交わした〝契約〟を師から継いだ者のことを言うんです」
ファーラは語る。
大昔、まだ世界が神々と共にあった頃、月の女神は自身が守護する全ての女性たちに自身の魔力を宿らせ魂の守りとした。
そして、その中でもさらに女神に近しい50人の女性たちに、魔力を形作る術――魔法を教えた、とされている。
この時女神は彼女たちと約束を交わしたのだ。「この術を決して途絶えさせないように。この術が人の世にある限り、女神の加護を与え続ける」と。
この約束こそが〝契約〟。そして、〝魔女〟たちの使命はこの契約を次代に継承すること。
「お父さんも、本来は女性の血にしか宿らないはずの魔力が宿って、子供の頃に魔女裁判にかけられたそうです。でも、茨の魔女だったお父さんのお師様が助けてくれて、弟子の一人として育ててくれたらしいです。本当は魔女を継ぐことはないはずだったけど、四十……えっとー、四年前ですかね」
44年。ブリジットの人生をまるっと2回繰り返しても足りない時間に、一瞬途方のなさを感じてしまう。
「その時の魔女狩りで、他のお弟子さんがみんな殺されちゃって、お師様が死ぬ直前に魔女を引き継いだ、って。だからお父さんも〝魔女〟を誰かに引き継がなきゃならないんですけど、助ける相手助ける相手みーんな他の魔女さんの所に送ったり旅立たせたりしちゃうから、その相手がいないんですよ。……僕が昼間言いかけたのはこれで、ブリジットさんが良ければお父さんの弟子になってくれないかなーって」
最後の辺りで声の調子を落とし、ファーラは指をいじくる。本人としては、父に反発しない相手だったから、嬉しくてつい言ってしまったことだった。
だが、助けてもらった直後にそんなことを言われては断れないだろう、と父に諭され今は反省している。今も同じ状況ではないかとそわそわしていた。
ブリジットは落ち着かない様子のファーラを見て、宥める代わりに少しだけ話題を深掘りする。
「あの、ニーロさんのお師匠様の、茨の魔女? っていうのは? 魔女によって使える魔法が違うの?」
年の割りにかなりしっかりしているファーラには、気を遣っていることがすくばれてしまうのではないか。懸念したが、魔女のことを語れるのが楽しいらしく、彼女は再び明るい笑顔を浮かべた。
「いいえ。魔女は契約を継承した時点でどの魔法も使えます。何とかの魔女、の頭部分――あ、これ冠名って言うですけど、これは、その魔女が一番得意な系統の魔法からつけられるんです。お父さんのお師様は茨を使った魔法が得意だったので茨の魔女、お父さんは空間の魔法が得意なので空間の魔女です」
空間? と鸚鵡返ししてブリジットが首を傾げると、ファーラはさらに説明を続ける。
「はい、空間をつなげてあちこちを行き来したり、新しく空間を作る魔法ですね。この家もお父さんが魔法で作り出した空間の中にあるんですよ。ここはどこにでもつながるので、僕は湖に沈められた瞬間ここに連れてこられました。今までここに来た人たちも、その魔法であちこちに行ったんです」
あの時、突然ニーロの手が出てきたのはそのためだったのか。家に招かれる前、ふと見た外が自分のいた森と違って見えたのは、そのせいだったのか。ブリジットは納得したように軽く頷いた。
『君の選んだ道に必ず無事に送り出すことを約束しよう』。ニーロの強い言葉が思い出される。あの言葉に心の底から落ち着いたのは、師から受け継いだ魔法への自負が込められていたからだろうか。
「えっと、こんな話した後になんですけど、無理にここを選ばなくても大丈夫ですからね。義理で人生決めても将来辛いと思いますし……」
両手を胸の前で振って、少し慌てた様子でファーラが取り繕う。ブリジットはその彼女に「大丈夫」と安心させるように笑いかけた。
「そろそろ寝ようか。私寝相そこまで悪くないと思うけど、蹴っちゃったら叩き出していいから」
冗談めかしてブリジットがベッドに横になると、ファーラも笑って隣に横になる。
「……最後にいいかな?」
枕元のランプの光を落とそうと手を伸ばすファーラに、ブリジットは小さく問いかけた。「はい?」と茶色の視線が向けられ、ブリジットは少し訊きづらそうに尋ねる。
「ファーラちゃんはどうしてそんなに魔女のこと詳しいの? それに、どうしてここに残ることを決めたの?」
魔女の説明を聞いてから、彼女がニーロの実子でないと知った時から、気になっていた疑問。気に障る内容だったらどうしよう、と思いながらの質問だったのだが、当のファーラはあっけらかんと笑った。
「僕が昔住んでいた家の近所に、凄く物知りなお爺さんがいたんです。その人の隠し書庫は僕だけが知ってて、そこには魔女の本がいっぱいありました。他の本も好きだったけど、僕はそれが一番好きで、そこにある本は全部読破したんですよ! 魔女に詳しいのはそのおかげ、ですかね」
隠し書庫、ということは、その老人は自身の学ぼうとしていることが世間的に受け入れられないことだと分かっていたのだろう。彼が一体どういう人物で、どういう経緯で魔女について学ぼうとしたのかは分からない。それでもその人物に対するファーラの信頼を、ブリジットはその笑顔と声音から判断する。
「で、そのお爺さんが死んだ後も、僕はこっそりそこで本を読んでました。でもある時お爺さんの家に息子さんたちが来て、僕が隠し書庫にいる時にそこを見つけちゃったんです。それで僕は魔女裁判ー、有罪ー、助けてもらいましたー、の流れになって。お父さんのところに残ったのは、初めて魔女に会えたのが嬉しかったのと、ひとりぼっちで寂しそうだったので、僕が一緒にいてあげようって思ったからです」
にひ、と歯を見せて笑うと、ファーラはランプを消す。暗闇の中で長い枕の隣に頭を下ろす気配がした。
「――僕は魔女にはなれないけど、お父さんと、お父さんの弟子になる人の助手になるんです。僕に死ななくていいって言ってくれて、初めて魔女の知識を凄いって褒めてくれたお父さんに、恩返ししたいから――」
その言葉を最後に、ファーラは口を閉ざす。暗闇の中でそちらを向いていたブリジットは、まだよく見えない天井を見上げ、小さく息を吐き出した。
一週間後、朝食後に出された茶を前に、ニーロはブリジットに結論を尋ねる。
「どうしたいか決まったか?」
ニーロが作ったという空間の世界に入ってから同じ調子を貫く落ち着いた声音は、今に至ってなお変わらない。
急かされている、と感じることもなく、ブリジットは持っていたティーカップをソーサーに置いた。
本当はもうとっくに答えなど出していたのに、それを言葉にすることが中々出来ずにいたのだ。機会をくれたニーロに感謝し、尻込みしたくなる自分を叱咤し、ブリジットは強い眼差しでニーロを見つめる。
「はい。――ニーロさん、私を、弟子にしてください」
真摯な声音で告げれば、台所にいたファーラは「えっ!」と喜びの声を上げ、ニーロは僅かに目を瞠った。
「……阻害が効かずにファーラが喋れたということは、自ら望んで訊いたのだろうが、本当に自分の言っている意味が分かっているのか? 私が他に弟子を取る確率は低いから、私の弟子になると本当に魔女になることになるぞ? そうなれば、よいことばかりではない。魔法は使えるが、それ以外色々な危険が必ず訪れる。それは覚悟出来ているのか?」
やはり変わらない落ち着いた声音は、だからこそ恐怖を胸に灯らせる。
しかし、その恐怖とて初対面ではない。この数日、何度も何度も考え、思考の及ぶ範囲あらゆる危険も視野に入れた。追っ手たちの殺意も、その恐怖もしっかりと思い出している。それでも、なお――。
「危ないのはちゃんと理解しているし、覚悟もちゃんと出来てます。だからお願いします。私を弟子にしてください。ニーロさん言ってくださいましたよね、『君の選んだ道に必ず無事に送り出すことを約束しよう』、って。これが、私の選んだ道です」
もう一度、先ほどよりも大声で言い切り、ブリジットは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって頭を下げた。そのまま次の言葉を待っていると、ニーロも椅子から立ち上がる。
「ブリジット」
呼びかけられ頭を上げた。恐る恐る見上げた渋みのあるニーロの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「君が自分で選んだのであれば歓迎だ。君を私の弟子として迎えよう」
そっと差し出された手を驚いた顔で見つめ、思い出したように慌ててその手を取る。大きな手が握り締めてくると、不思議なほど安堵に包まれた。
「ぃやったぁぁぁ! お父さんの初弟子だーーー! 今日はパーティですよーーーっ!」
師弟関係の成立に諸手を挙げ文字通り躍りだしたのはファーラだ。この上ないハイテンションでくるくると回り誰よりも嬉しそうにはしゃぎ回る。手を放したニーロは苦笑し、ブリジットはにこにこと笑みを浮かべた。
「改めてよろしくお願いします、お師匠様、ファーラちゃん」
こうして、史上初の男性魔女の初弟子が誕生する。この先彼らにどのような未来が待っているか。どのような苦難が、試練が、訪れるか。知りえる者はまだ誰もいない――。




