第3話 「師匠は凄い」⑪
広いと思っていた娯楽室などよりもさらに多くの面積が使われているそこには、大きな浴槽が三つほど並んでいた。
湯を沸かす風呂の文化は、ここ10年から20年ほどで急速に普及してきている。というのも、その期間より前に流行り病があり、その予防と対策のために清潔にするように、というお達しが国から出されたためだ。 それでも農家が各家に一据え置くのは難しいため、公共の施設として大衆浴場が作られるようになった。
ホバソの町にも大衆浴場はあったし、ブリジットの家にも浴室は作られていたが、この浴室はそれらとは質が違う。広さはもちろん、各所に彫られた、あるいは飾られた装飾や置物はどれも繊細で美しく、最早「美術品」と称するに相応しい出来だ。香でも焚かれているのか湯に何か溶かされているのか、浴室には芳香が漂っている。
金殿もかくやの浴室だが、それにしてもこの広さはいくら屋敷が広くてもおかしくないだろうか。前身を隠すタオルを抱きしめるようにして広すぎる浴室を眺めていると、不意に誰かが隣に立った。
「空間の魔法を使って増築してるんだって。うちのお師匠様お風呂好きだから」
ぶっきらぼうに教えてくれた相手を見やれば、タオルの一枚も持たずに堂々と裸で立っている金髪の少女と目が合う。そして、彼女に腕を掴まれているのは、タオルで体の前側を隠しているクララだった。
「そう……なんだ。ところで、何してるの?」
質問の対象は涙目になってあわあわしているクララだ。金髪の少女はちろりと彼女に視線を向けてから、掴んでいる腕を引っ張りブリジットの隣に押しやる。
「あんたを怒らせたってずっとうじうじしてるから連れてきたのよ。ほら、伝える努力。あたしもあんたに謝ったでしょ」
背中を押されたクララは、視線をあちこちに彷徨わせ胸の前で指先をまごつかせた。今にも目から零れ落ちそうな涙を見ては、ブリジットも辛く当たり続ける気になれない。
「クララ、ひどいこと言ってごめんね?」
先んじて謝れば、顔を跳ね上げたクララは耐え切れなくなったように表情を歪め、ぼろぼろと涙をこぼす。
「わ、わ、私こそ、ごめんなさい。ニ、ニーロ様が凄い人なのも、や、優しい人なのも、ちゃんと、わ、分かってるのに……!」
しゃくりあげるクララを抱きしめ宥めていると、金髪の少女は広い浴室に目を向けた。
「状態が固定される系の魔法は、一回作った後は魔力を注いでさえいれば半永久的に使えるものらしいわ。だから、維持するグレース様も凄いけど――――作った、あんたのお師匠も、凄いね」
たどたどしく褒める言葉にやや驚いて隣を見れば、金髪の少女はウェーブのかかった髪を指先でいじりながら唇を尖らせている。それでもその言葉が嘘ではないと思ったのは、彼女の頬が僅かに赤くなっていたから。
必死に歩み寄ろうとしてくれているのだ。察したブリジットはくすりと微笑む。
「――うん、どっちのお師匠様も、凄いね」
同意を口にすれば、少女たちの間には沈黙が走った。それは先ほどまでの重苦しいものとは違い、どこか落ち着きさえ覚えさせる。
「あら、どうしたんですかそんなところに立ったままで」
背後からグレースに声をかけられ、気付いた三人は揃って振り向いた。そして目に入ったものに、ブリジットは先ほどとは違う意味で目を見開き絶句する。
「せっかくですから全部入ってくださいね。私のお気に入りの花の湯ですよ」
鼻歌を歌いながら横を歩き去る姿は文字通り一糸も纏わず、完全なバランスが暴力的なまでに突きつけられた。失礼だと分かっているはずなのに、その目は揺れる胸元から動かない。
(元から大きいとは思ってたけど、これは……!)
美しさに惑わされるより、今は衝撃の方が強い。人ならざる者を見ているような目をしているブリジットの肩を、金髪の少女はぽんと叩く。
「…………凄いでしょ、うちのお師匠」
「…………凄い、ね」
出会ってから一番心が通じ合った気がした。
「ほんと、あれでひ孫さんまでいらっしゃるっていうんだから驚きですよねー」
ぴょこりと隣に立ったのは三つ編みを解いたファーラだ。
「あんたさっきといい今といい、いつの間に来てたのよ」
「さっきは、アリーにクララさんが来た時からサラたちに絡まれてる、って聞いたから、嫌な予感して向かっただけです。ちなみに今はグレース様のすぐ後ろにいました」
あっそ、と金髪の少女ことサラは肩を竦ませる。チクったからって僕の友達まで苛めないでくださいよ、と疑うファーラに「しないわよ!」とサラは心外そうに怒鳴った。
その横では、ファーラがグレースのすぐ後ろにいたことに全く気付かなかったブリジットが驚愕に浸っている。改めてその破壊力に慄いていると、聞き流しかけた単語に遅れて引っ掛かりを感じた。
「え? ひ孫?」
聞き間違いかと思えば、ファーラは「また伝え忘れてた」とはっとし、サラとクララは「知らなかったの?」という顔をする。
「お、応接間に、グレース様に似た女性の方、いらっしゃったでしょう?」
離れるタイミングを失していたクララが目元を拭いつつブリジットから離れた。質問に頷けば、クララはさらりととんでもない事実を突きつけてくる。
「あの方、グ、グレース様のお孫さん」
沈黙が走った。そこから一秒、二秒、三秒……と間を置き、ようやく頭が言葉の意味を理解した瞬間ブリジットは大声で驚きを叫んだ。
「お、お孫さん!? 嘘、え? グレース様おいくつなの!?」
「94歳ですね。弟子の方にも時々いらっしゃいますが、特に魔女は、魔力が強いほど年を取るのが遅くなるんです。30代前半ほどの見た目で実年齢が約三倍、っていうだけで、グレース様の規格外ぶりは分かっていただけるかと」
しみじみとファーラが説明すると、受け止めきれなかったブリジットはその場に思わずへたり込む。分かってきたと思っていたが、まだまだ魔女は奥が深い。
分かる分かると同意を示すファーラたちに引きずられ、ブリジットは一層人外ぶりを見せつけるグレースお気に入りの浴槽へと身を沈めるのであった。
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