第3話 「師匠は凄い」②
グレースの住居は、町のメインストリートから真っ直ぐに坂を上がった先にあった。建物の外まで来てから、ブリジットは後ろを振り向く。
眼下には町が広がっており、そこには確かに人の営みが感じられた。これだけ多くの人々が、魔女を受け入れて生活している。その事実に胸には静かに明かりが灯った。
(蔑まれ、追いやられるばかりじゃないんだ)
師の言う通りなら、この光景は恐らく魔女たちの住まう空間の中でも特別な例外に当たるようなものなのだろう。これを標準だと思うと、後々自分がギャップで苦しむことになるのはブリジットもよく分かっていた。
しかし、この光景が普通になっている人々がいることが、ただただ嬉しくて仕方ない。
ぎゅっと胸元で右の拳を握りしめていると、空いている左手を小さな手に握りしめられる。はっとして斜め下を見下ろせば、ファーラが歯を見せて笑った。
「すっごいですよね。僕も初めて来た時驚いたですよ」
同じ気持ちだと言われて、ブリジットは笑顔を返す。
「ブリジット、ファーラ、来なさい。グレース様をお待たせしている」
開いた玄関の前でニーロが振り向いて声をかけてきた。家の中には出迎えてくれたのだろう女性が、にこにこしながら待っている。年の頃はニーロと同じくらいだろうが、その年齢にあっても、ただ一言「麗しい」と表せる容姿に同性ながらに見とれてしまった。
「ブリジット」
再度急かされたブリジットは、「気持ちは分かります」と小声で伝えてくるファーラに背中を押されながら小走りで室内に入る。玄関の戸を閉めてくれた女性の顔をまたもや見つめてしまっていたブリジットは、不意に何かが頭に引っかかった。
なんだろう、と考えている間に女性が歩き出し、ニーロもそれに続く。先程同様ファーラに押されながら歩くブリジットは、その道すがらに引っ掛かりの正体に気付いた。
(あ、そうかこの方――)
大きな屋敷の廊下を案内されるまま歩き、ブリジットたちは応接室まで連れて来られる。女性が扉を開け、ニーロがまず室内に入ろうとしたが、中を見てすぐに立ち止まった。
「グレース様、お待たせして申し訳ございませんでした」
その場でニーロが恭しく頭を下げると、室内から鈴を転がすような美しい声が返事をする。
「いいのですよ、町にも顔を出してくれたのでしょう? さあ、顔を上げてお入りなさい。早くブリジットたちの顔も見せてください」
返事をして頭を上げると、ニーロが室内に入った。さあ、とファーラに軽く背中を押され、ブリジットは緊張しながら入り口の前に進み出る。そしてすぐさま頭を下げた。
「お初にお目にかかりますグレース様。ブリジット・ベルと申します。魔女会議ではお口添えいただきましてありがとうございました。それと、品のない真似をいたしまして申し訳ございません」
師に倣いグレースの言葉を待って頭を下げ続ける。少しの間も置かず、グレースは頭を上げるように声をかけてくれた。応じて顔を上げたブリジットは、どきりと心臓を掴まれる。
奥のソファに腰かけているのは、花が付いた白いヴェールを被りたおやかに微笑む亜麻色の髪の女性。
細められた双眸は金色に輝き、長いまつ毛は瞬くたびに白い肌に影を落としていた。左目の下の泣き黒子や瑞々しい唇はもちろん、手と顔しか出ていないのに、白を基調とした服に包まれた肢体からは溢れんばかりの艶めかしさが立ち上っている。
神話に名を残す月の女神は、きっとこの方のような姿をしているのだろう。
言葉を失って見惚れていると、グレースはくすりと微笑んだ。たったそれだけで、一面は花が咲いたかのように華やぐ。どきりとしたブリジットは、その時ようやく自分の頬が紅潮していることに気付いた。笑われた理由がこれだ、と察した途端、余計に顔が熱くなる。
「も、申し訳ございません! あまりにもお美しくすぎてついじっと見てしまって……! ほ、本当にその、神が作った至高の一品と言われても納得してしまいそうなくらいで、あの、その――~~っ」
頭が回らないくらい混乱していると、ファーラが斜め横から抱きしめてきた。恥ずかしすぎて目の端に浮かんだ涙をそのままに見下ろすと、ファーラは分かる分かると言わんばかりの表情で頷いている。
「落ち着いてくださいブリジットさん。お気持ちはとっっっっっっても分かるですが、あの美貌に耐え切れないと会話になりません」
そんなことを言われても。ちらりと視線を向けると、褒められたことが嬉しいのか素直にニコニコしているグレースが軽く手を振った。
混乱しきっている頭は、最早彼女が何をしても「美しい」以外の思考を放棄してくる。鏡越しで見た時も綺麗だとは思っていたが、直接見るとその比ではない。鏡越し、そして小さい部屋ながら今よりも距離が開いていたことは、どうやらブリジットの平静を保つのに十二分の働きをしてくれていたようだ。
「無理ぃぃぃ」
ひしっとファーラを抱き締め返しブリジットは完全にグレースから視線を外してしまった。
「えええええ? ちょっとブリジットさぁん」
頭を抱えるように抱きしめられたファーラは、諦めないでと言外に含めてブリジットの名前を呼ぶが、無理なものは無理だ。言葉もなく頭を振るブリジットをこのままどうにかするのは、それこそ無理だろう。ファーラはやや呆れた様子の父に目配せし手を振った。
「お父さん、出番出番」
ファーラの要求が何を示しているのか理解しているのか、ニーロは手を伸ばしブリジットの頭に置く。
「ブリジット、落ち着きなさい」
ぽぅ、と青い光がニーロの手のひらに灯ると、それは頭頂からブリジットを包み込んだ。途端に、すぅと波が引くようにブリジットの頭からは混乱が収まっていく。
そうして落ち着くと、今度は自分の今の痴態が恥ずかしくなってくるのだが、それも同じように消えていった。
「………………え、と」
すっかり落ち着いたブリジットがどうしたらいいのか分からずに固まっていると、ニーロに両肩を掴まれ、まずはファーラから引きはがされた。
続いて、グレースと相対するよう正面を向かされる。目に映る麗しさにどきりとしてしまうのも変わらないが、先程よりは格段に落ち着いていられた。
「まず言うべきことは?」
背中の師から促され、ブリジットは引きつった声を絞り出す。
「……お、お騒がせ、しました……」
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