気おくれ人は、他人の認識より自己矛盾している。
第8章 気おくれする人
今回は気おくれする人が訪ねてきた。占いネコは言った。「どうぞ、気ままに自分の事をおっしゃってください。」と。訪ねてきた
気おくれする人は「申し訳ありません、何分と自分にわががまになれず、周りに流されてしまう、私ですがよろしくお願いいたします。実は、私にはどうしても許せない一面がありまして・・。他人がどしてもゆるせないのです。例えば、一日を悠長に過ごす人とか
簡単に人の意見を曲げてしまう人とか、感情的になる人とか、なんです。」といった。
占いネコは言った。「なあるほどニャ、人たるもの、自分以外の人間の恥ずかしめを受けさせられるような、いびつな気持ちの変化に悩み、そう受け取ってしまうも仕方ない、おっくうな一面があるニャ。」気おくれする人は、「いかにもと言いたいのですが、自分としては、もう一歩踏み込んだところで、時間にルーズな人がなぜ、どんな人にもあり得ることだと自己解釈出来るのかと、居直りに思える人間模様にギクシャクしてしまうのです。要するに、人間の勝手さにいちいち付き合えないという意味合いの気おくれなんです。
」と答えた。そこで、占いネコは言った。「答えは簡単では無いニャ。少し複雑にきこえるにゃが、よく聞くニャ、その人間の自己解釈の中に、覆いかぶさった、自意識過剰ともいえる、えせな気負いが感じれるニャ、つまり、意識してそう思いたい気持ちともう一個の気持ちが複雑に絡み合って生かされているように感じ取る本望の悩みが見えるにゃ。それは、基本的には飽きない気持ちに結びつく自分の淋しさに事を発す、本性の持って行き場に、意識を働きかけて、居座る覚悟でそこで甘んじている、認識の中の劣等感にゃりよ。事は上手に運べているが他人がそういうひけらかしすることに怯えて、出せない自分に感情的になっている自己憤懣が厳しい自分のルールのうえで頑張っている人の悩みに聞こえてくるニャ。それがあなたの本当の気持ちではないかニャ?」気おくれする人は言った。「実に寂しい限りですが、自分の自己欲を愛せない孤独を感じています。実際に人に相対してみても、懐にはいってくる人の気持ちが嘆かわしいと思いえる、自己の悩みの解消が出来ない質に思えてしょうがなかったんです。自分は自分なりに出来てるとしか、自分の存在の証明にできなかったおもいました。
」占いネコは言った。「自分は忙しいからと言って、他人があからさまにしている、自分の存在の証明をいぶかしんでるあなたの呼吸の無さに、愛がないといえるにゃ、もっと、楽に生きていいニャよ。」と。
長いお互いの受け答えのなかで、ほどけていく愛され方の難しさに、ホッと胸をなでおろす、占いネコであった。




