心の強そうなしぶとい人の悩み
第12章 しぶとい人
さてさて、今度はどんなお客かと期待していると、
勝負事になかなかしぶとさを見せるタイプのようです。
いわゆる勝負勘が働き過ぎて、実直な自分になれないと、
悩んでおられるようです。見てみましょう。
「親、今度のお客はハートが強そうだ」
ドクドクと根性から発する狂気じみた声に慣れ親しんだ、態度も通じな
さそうである。ネコもバンバン乗り気になってきているのだった。
感情の読みあいになるかなと思うと、多少の傷も覚悟せねばと思うのだった。
意識のなかを覗き見ること数十分、やっと重い口を開いたのだった。
「真剣にひも解く奇跡が見たく参上しました。」
とかく、意識の中で自分が興ざめた経験のないはず高ぶりと興奮を覚えている。
「この長い見つめ合いのなか、血と汗が凍りそうでしたニャ。で、悩みはなんですかにゃ?」
「久しくあっていない知人に申す覚悟の言葉ですが、一切合切の口実の悩みなんて
上っ面の恥の中身であって、心底打ちひしがれたものではないと言いたがる、自分の
不憫さについてです。」
「ほう、自分が不憫とニャ?いらぬ世話かもしれんが、実際の悩みに深い浅いはなくとも
傷ついたほうが早く悟りやすいともいえるからニャ。自分で器に図らんとも、いけないことにならざるは、経験のなさなんて、不憫に思えませんニャ。」
「どこに行方をくらましているかわからない自分の知り合いに、何故か不思議な光景を
見てしまうのも、一種の目くらましの様相を呈して入るようで、面持ち深いのです。」
「それは、大きな勘違いニャ!不安と倦怠の様相からくる、心の不器用さに思う、刷り込みの甘さに思う、感覚の用途の達者さに気づけていないからニャ。」
「ずばり聞きたい、その感覚の用途とは、使い勝手のいい能力の差が等しい人よりの道しるべということか?」
「だったらこうとか、でもやっぱりこうなんだとか、よく言い逃れに近い形の気持ちに望む、自分のあり方も存材するからですニャ。」
「コいう経験の灯に対して、難かしらの値が存在しつづけることに感謝できていること
に言葉のあやかしさがきて、自分を試すような力の要約があるようです。」
「意識の反映として、余念が激しいを感じながらお話しいているですニャ」
「自己の矛盾とそれに反して向かうところの考えの一本線に沿って感じたままの答えには
きっと、計算と究極の打算が相まみえて、違うところの自分になりそうでなかなか、自分の答えに自信が持てないように思えました、ありがとうございました。」
「ありがとうございましたにゃん。」




