第二部35話── 祖父のノートと、五百年越しの問い
【公国郊外・帰り道──残るのは“声”だけ】
黒石 清九郎 盛隆と別れてから、
三人はほとんど会話らしい会話をしていなかった。
森を抜け、公国の城壁が遠くに見え始めても、
タクの胸のざわつきはまったく静まらない。
(……なんだったんだ、あいつ……)
思い出すのは、あの低く乾いた声。
『白石の理……五百年経っても、変わらぬのう。』
『源蔵の小僧と切り結んだ時を思い出すわ。
あやつは弱かったが……“筋”はあった。』
(じいちゃんの名前を……
黒石の初代が、普通に口にした……)
足が、自然と重くなった。
「……タク。」
横から、ソフィアの声が落ちてくる。
「さっきから一言も喋ってない。」
「……悪い。ちょっと、頭の中がうるさくてな。」
「うるさいのは、あんたの脳みそじゃなくて“理”でしょ。」
「……かもな。」
キャスが不安そうにタクの袖を掴む。
「お兄ちゃん……さっきの人、怖かった……
“匂い”が……ぜんぜん、生き物じゃなかった……」
「……ああ。」
タクはキャスの頭をそっと撫でた。
「怖がらせて悪かった。
でも、あいつから目を逸らしたら……きっと後悔する。」
ソフィアが少し前を歩きながら言う。
「一回、公都に戻ろ。
中央図書院で“史実の黒石”を確認して……
そのあとで、タク。あんた、自分の“宿題”をやりなさい。」
「宿題?」
「源蔵さんが残したノート。
ずっと荷物の底に隠してるやつ。」
タクは思わず足を止めた。
「……見てたのか。」
「旅の荷物くらい、そりゃ把握してるわよ。」
ソフィアは振り返り、わざとらしく肩をすくめて見せる。
「半年も読まずに放置って、
……正直、性格悪いわよ? タク。」
「耳が痛ぇ……」
でも、反論はできなかった。
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【公国・中央図書院──史実としての“黒石清九郎”】
石造りの巨大な建物。
吹き抜けの天井から柔らかな光が差し込み、
書棚には古い紙と革の匂いが満ちている。
タクたちは、以前も訪れたことのある
「古戦史・家系図」の階層へと足を向けた。
「黒石家関連は、この辺だったはず……」
ソフィアが指先に小さな風を纏わせ、棚の埃を払いながら本を探す。
キャスはタクの腕にくっついたまま、きょろきょろと周囲を見回している。
「お兄ちゃん……本、いっぱい……全部読むの?」
「全部は無理だな……一生終わる。」
「だよねぇ。」
と、ソフィアが一冊を取り上げた。
「……あった。“黒石清九郎”の名前。」
重厚な背表紙の古書を机に置き、三人で覗き込む。
そこには、淡いインクで、こう記されていた。
『黒石 清九郎 盛隆。
白石家初代と同時代に名を馳せた剣士。
戦乱の世において百戦を越える勝利を収め、
人ならざる抜刀と評された。』
「……人ならざる抜刀、ね。」
タクが低くつぶやく。
ソフィアが続く行を指でなぞった。
『やがて、北方の戦で消息を絶つ。
その前後より、“黒き影を纏う人型の怪異”が
北の地に現れ始めたと記録される。
その者らは、終焉領へ引き寄せられるように姿を消す。』
キャスが小さく肩を震わせる。
「やっぱり……最初の“黒い人”は……」
「黒石家の初代、ってことね。」
ソフィアが静かに言う。
タクは胸の奥がずしりと重くなるのを感じた。
(じいちゃんと同じ時代に、
こっちの世界じゃ“英雄とも怪異とも”呼ばれてる男……
それが、今目の前にいたやつか。)
ページの端には、さらに小さな注釈があった。
『黒石家の剣技は“骨法”を起源とし、
同じく骨法から派生した白石家と深い因縁を持つと伝承される。』
「骨法……」
タクは思わず、自分の構えた手の形を見下ろした。
(じいちゃんに叩き込まれた型……
あいつも、同じ根っこから生まれてるのかよ。)
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【“理”という言葉の重さ】
別の書棚から、ソフィアがもう一冊持ってくる。
「タク。こっちは“理”の項目。」
それは、魔法学ではなく“哲学・理論”の棚にあった。
『魔力は世界を流れる力。
誰もが、わずかに触れうる河川のようなもの。』
『理とは、魂の核が持つ“世界の切り取り方”。
ごく一部の者のみが自覚し、
さらに一握りの者のみが、戦いに用いる術に昇華できる。』
「……難しいな。」
「要するにね。」
ソフィアが指でページをとんとん、と叩く。
「魔力は“共通通貨”。
理は“その人専用の刃”みたいなもの。」
「ふーん……?」
「だからタク。
あんたが水や雷を扱うのは“魔法”じゃないの。
世界の水分や電気を、“白石タクミという人間の理”で
切って引き出してるだけ。」
「俺、魔法使いじゃなかったのか……?」
「最初から一回も言ってないけど?」
「言ってくれてもよくない!?」
キャスがくすっと笑い、
指でタクの手の甲をつつく。
「お兄ちゃんの技……
魔法って匂いじゃないもん。
もっと、“真っ直ぐ”な匂いする。」
「真っ直ぐ?」
「うん。
お姉ちゃんの魔法は、ぐるぐる回ってて……
お兄ちゃんのは、スパッて感じ。」
「……なんとなく分かったような分からんような……」
でも、その違いは
タクの胸の中で、妙にしっくりきていた。
(俺は……ソフィアみたいに世界を“編み直す”んじゃなくて、
ただ、目の前のものを“斬っているだけ”なんだな。)
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【宿へ戻って──半年ぶりに取り出したもの】
図書院を出た頃には、もう夕暮れだった。
公都の宿の一室。
簡素なベッドと机がひとつ、窓の外にはオレンジの光。
タクは荷物を床に置き、
その底をゴソゴソと漁った。
「……あった。」
布に包まれた、薄いノート。
表紙の隅に、見覚えのある字で書かれている。
『白石家・理備忘 —— 源蔵』
ソフィアとキャスは、部屋の入口で黙って様子を見ていた。
「半年、か。」
タクは自嘲気味に笑う。
「こいつ、ずっと持ってはいたんだよ。
でも……葬式のあとに読むには、重すぎてさ。」
「……タク。」
ソフィアの声は、いつになく柔らかい。
「今は?」
「今は──
あいつが“じいちゃんの名前”を出してきたからな。」
タクはノートを机の上に置き、
ゆっくりとページを開いた。
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【源蔵の筆跡】
最初のページには、
少し震えた、けれど力強い字が並んでいた。
『理とは、剣の形をした“生き様”じゃ。』
『教えられて身につくもんやない。
ただ殴られて、転んで、
それでも立ち上がるやつの前にしか姿を見せん。』
「……じいちゃんらしいな。」
タクの口元に、少しだけ笑みが浮かぶ。
ページをめくる。
『白石の理は“流れを読む”こと。
敵の構え、呼吸、重心、
そして世界の“反応”を先に掴み、
そこに一太刀差し込む。』
『黒石の理は“混沌に戻す”こと。
全てを細かく砕き、
元の形ではないものへと変えてしまう。』
「……黒石の理……」
タクは、あの黒霧と二刀を思い出した。
(確かに……あいつの一撃は、“形を壊す”感じがしたな……)
さらに読み進めると、
端の方に小さく、こんな一文があった。
『清九郎 盛隆とは、一度だけ刃を交えた。
わしには、あやつを斬れんかった。
あやつもまた、わしを斬らなんだ。
互いにまだ、“その時”ではなかったのじゃろう。』
「……本当に、戦ってたんだな。」
タクは、喉の奥がきゅっと締まるのを感じた。
生前、源蔵は一度もそんなことを口にしなかった。
(なんで言ってくれなかったんだよ、じいちゃん……
俺なら、もっと早く──)
そこまで考えて、首を振る。
(いや。
言わなかったんじゃない。
言えなかったんだろうな。
俺を……この戦いに巻き込みたくなくて。)
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【白石タクミとして、タク・シライとして】
ページの最後の方には、書きかけの行があった。
『白石の理を継ぐ者よ。
わしは結局、“守りきれなんだ側”の人間じゃ。』
『じゃが、お前がもし、
黒石の闇と再び相まみえる日が来たなら──』
そこで、文字は途切れていた。
「……そこで終わりかよ。」
タクはノートを閉じ、深く息を吐いた。
沈黙を破ったのは、キャスだった。
「お兄ちゃん……」
キャスが横からそっと腕にしがみつく。
「……怖いなら、私、隣にいるから。
お兄ちゃんの理が、どこまでいっても……
ちゃんと見てる。」
「キャス……」
ソフィアも、机の向こうから軽く微笑む。
「タク。
理ってのはさ、“一人で背負ってる”と思った瞬間に折れるのよ。」
「……そういうもんか?」
「そういうもんよ。
源蔵さんだって、本当は誰かに話したかったはず。
でも言えなかった。
だったらあんたは、ちゃんと頼りなさい。」
ソフィアは指でタクの額をこつん、と弾いた。
「白石タクミとしても。
“タク・シライ”としてもね。」
タクは、ほんの少しだけ笑った。
「……そうだな。
じいちゃんが抱え込んで、結局残しちまったもの……
俺が、ちゃんと見届ける。」
窓の外には、
公国の夜景が静かに広がっていた。
⸻
この夜、タクは初めて
“白石の理”を、自分の意思で引き継ぐと決めた。
恐怖は消えない。
黒石 清九郎 盛隆の影も、
屍人たちの脅威も。
それでも──
タクの中で何かが、確かに“前へ”と動き始めていた。




