第3話 揺れる廊下、見えない境界。
※第3話の投稿が抜けていたため、時系列補完として改めて掲載しています。
夕方の道場は、夏の匂いがしていた。
畳に染みた汗の匂い。
干した道着の湿った風。
拓海は一人、道場の隅で木刀を拭いていた。
(今日は……変だ)
理由は分からない。
でも、朝からずっと胸の奥がざわついている。
廊下の突き当たり。
あの“何もないはずの壁”。
視線が、自然とそこへ引き寄せられていた。
⸻
【祖父の異変】
「拓海」
背後から声がした。
振り向くと、祖父・源蔵が立っていた。
しかし、その表情はいつもと違った。
険しい。
そして――どこか、懐かしむようでもあった。
「今日のお前は、少し“揺れておる”」
「……揺れてる?」
「理の流れじゃ。まだ弱いが、確かに動き始めとる」
拓海は言葉をなくす。
祖父が“理”の話をする時は、いつも曖昧だった。
だが今日は違う。
まるで、何かがすでに起きているかのような口調だった。
源蔵はゆっくりと、例の場所に視線を向けた。
廊下の突き当たり。
見えない“そこ”。
「今日は……あそこに、近づくな」
その言葉は、命令だった。
⸻
【夜──再び訪れる夢】
その夜、拓海はまた夢を見た。
白でも黒でもない、歪んだ空間。
無数の“線”が交差し、空間そのものが脈打っている。
遠くで、鈴のような音が響いた。
『まだ……早い』
誰かの声。
しかし、今度は前より近い。
手を伸ばそうとした瞬間――
身体が強く引き戻される。
「……っ!」
拓海は跳ね起きた。
心臓が早鐘のように鳴っている。
背中は汗でびっしょりだった。
(今のは……夢、だよな……?)
だが、はっきり残っている。
“引き戻された感覚”だけが。
⸻
【深夜の廊下】
喉が渇き、拓海は静かに自室を出た。
廊下は暗く、窓から差し込む月明かりだけが床を照らしている。
水を飲んで戻る途中――
無意識のまま、足が止まった。
突き当たり。
あの場所だった。
昼間はただの白い壁。
だが今は、月明かりに照らされて――
ほんのわずかに、
“空気が歪んでいる”。
(見える……)
喉が、無意識に鳴った。
恐る恐る、半歩近づく。
空気の揺れが、はっきりと分かる。
それは“波”だった。
水面のように、ゆっくりと。
(これが……扉?)
その瞬間――
背後から、低く鋭い声が響いた。
「……触るでない」
祖父だった。
⸻
【白石家の夜】
源蔵は、拓海の肩にそっと手を置いた。
その手は、震えていた。
「今は、まだ早い……」
「開けば、もう戻れん」
拓海は振り返る。
「じいちゃん……
あれは……何なんだ?」
源蔵は、しばらく黙っていた。
月明かりに照らされた横顔は、
どこか遠い時代を見ているようだった。
「……“世界の境目”じゃ」
それ以上は語らなかった。
ただ一つだけ、確かに告げた。
「お前が“それ”を越える時――
白石の血は、本当の意味で動き出す」
源蔵はそう言って、拓海を連れ戻した。
その夜、拓海はほとんど眠れなかった。
⸻
【第三話・完】
── 扉は、確かに“そこ”にあった。
だが、まだ開かない。
そして、開いてしまえば――
もう、後戻りはできない。
いつも読んで頂きありがとうございます。
これからも頑張ります。




