第7話 祖父のいない夜
その夜、道場は驚くほど静かだった。
昼間まで聞こえていた木刀の風切り音も、
祖父の咳払いも、
すべてが――消えている。
拓海は縁側に一人座り、膝の上で手を握りしめていた。
畳はまだ、祖父の体温を残しているような気がした。
けれど、隣に祖父はいない。
「……じいちゃん……」
声に出した瞬間、胸の奥がきしむ。
昼間の出来事が、何度も何度も頭の中で繰り返された。
◆ ◆ ◆
【白石源蔵、永眠】
昼過ぎ、祖父は縁側で茶を飲みながら、
いつものように静かに言った。
「拓海。今日はもう稽古はせんでええ」
その声は、いつもより少しだけ穏やかだった。
「……眠いだけじゃ」
そう言って横になり、
そのまま――目を覚まさなかった。
医者は、老衰だと言った。
苦しまず、穏やかに逝ったのだと。
だが拓海には、それがどうしても信じられなかった。
あんなに強くて。
あんなに厳しくて。
あんなに……生きる気力に満ちていた祖父が。
◆ ◆ ◆
【静まり返った道場】
夜。
親戚や近所の人々が帰ったあと、
家には、拓海ひとりが残された。
仏間には祖父の写真。
線香の匂いが、静かに漂っている。
「……急すぎるだろ」
誰に言うでもなく、拓海は呟いた。
畳に掌をつき、額を下げる。
「もう一度くらい……
ちゃんと話、したかったのに……」
涙は不思議と出なかった。
胸の奥だけが、ひどく重い。
◆ ◆ ◆
【揺れる廊下の突き当たり】
夜更け。
寝付けずにいた拓海は、ふと立ち上がった。
足が、無意識のうちに道場横の廊下へ向かっている。
(……行くなって、言われてた気がする)
それでも、止まれなかった。
廊下の突き当たり。
白い壁の前。
昼には気づかなかったが、
今は、はっきりと“違和感”がある。
空気が――揺れている。
水の表面のように、ゆらりと。
「……やっぱり、ここ……」
祖父が何度も見ていた場所。
何度も、意味深な言葉を残した場所。
『いずれ“扉”が見える時が来る』
その言葉が、胸の中で響いた。
◆ ◆ ◆
【初めての「はっきりとした揺れ」】
拓海が一歩踏み出した瞬間だった。
揺れが――はっきりと“渦”を作った。
壁が、ゆっくりと“奥へ”沈む。
白いはずの壁の向こうに、
淡い光と、見知らぬ風景が覗いた。
「……なに、これ……」
怖い。
なのに、目を逸らせない。
胸の奥が、ざわざわと騒ぐ。
同時に、祖父の言葉が脳裏に蘇る。
『迷うなよ』
(迷うなって……
こんなの……迷うに決まってるだろ……)
喉が鳴る。
心臓の音が、耳の奥で響く。
◆ ◆ ◆
【祖父の気配】
その時、ふと感じた。
背後に――祖父の気配を。
振り返っても、誰もいない。
だが、不思議と確信だけがあった。
(……じいちゃん……見てるのか?)
答えはない。
ただ、廊下の空気が、
ほんのわずかに――温かくなった気がした。
◆ ◆ ◆
【決意の芽】
拓海はまだ、扉に手を伸ばさない。
今は――恐ろしさの方が勝っていた。
だが確かに、
胸の奥に小さな“芽”が生まれている。
(……逃げられないんだな。
この家にも、俺にも)
扉は、閉じることなく、
静かに、ゆらゆらと揺れ続けていた。
その光はまるで――
次の“運命”を待っているようだった。
◆ ◆ ◆
第七話・完
── 扉はまだ、開かれない ──
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