第5話 祖父の背中と、遠ざかる時間
※本編の物語は第12話から本格始動します
※第1〜11話は「扉が開くまでの記録」です
朝の空気は、少しだけ冷たかった。
道場の戸を開けると、祖父・源蔵はもう庭に立っていた。
いつもより、少し動きがゆっくりに見える。
(……気のせい、かな)
そう思おうとして、ふと違和感が胸に残った。
◆ ◆ ◆
【いつも通りの稽古】
「構え」
いつもと同じ声。
いつもと同じ所作。
けれど――
木刀を振る祖父の動きが、ほんのわずかに“重い”。
(昨日まで……こんな動きじゃなかった)
拓海は迷いながらも打ち込む。
木刀が交差し、
空気が鋭く鳴った。
「……今のは、良い」
源蔵が、小さく頷く。
「理が……少しずつ、身体に馴染んできたな」
「……本当?」
「ああ。あの夜、扉に触れたせいじゃ」
祖父はそう言って、庭の隅に腰を下ろした。
息を整える時間が、いつもより長い。
◆ ◆ ◆
【ふとした会話】
「じいちゃん」
「なんじゃ」
「……じいちゃんってさ」
言葉に詰まる。
「なんで……そんなに強いの?」
源蔵は一瞬だけ目を伏せ、
そして、静かに空を見上げた。
「強い……か」
風が庭を抜ける。
桜の葉が一枚、はらりと落ちた。
「わしはな……
“強うならねばならん理由”が、あっただけじゃ」
「理由……?」
「いつか話す。
だが……今はまだ、その時ではない」
それだけ言って、源蔵はもう話そうとしなかった。
◆ ◆ ◆
【体調の異変】
その日の昼過ぎ。
祖父は縁側で、珍しく横になっていた。
「……少し、休む」
「え? 大丈夫?」
「心配するほどではない」
そう言いながらも、
額にはうっすらと汗がにじんでいる。
(……やっぱり、どこかおかしい)
拓海は胸の奥がざわついた。
◆ ◆ ◆
【夜──静かな雨】
夜、雨が降り始めた。
屋根を叩く音が、いつもより重く感じる。
拓海は布団に入っても眠れず、
道場を抜け、縁側に座っていた。
隣には、いつの間にか祖父がいた。
「……眠れんのか」
「うん……なんか」
「そうか」
二人並んで、雨音を聞く。
しばらくして、源蔵がぽつりと語った。
「拓海」
「なに?」
「もし……わしがおらんくなってもな」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「お前は、道を止めるな」
「……なに言ってるんだよ。
まだ全然元気じゃん」
源蔵は、かすかに笑った。
「人はな、自分の身体の終わりだけは、分かるもんじゃ」
拓海は何も言えなかった。
◆ ◆ ◆
【最後の鍛錬】
雨が弱まった頃、
祖父はゆっくり立ち上がった。
「少しだけ……付き合え」
「え、今から?」
「今だからじゃ」
月が雲の切れ間から現れ、
道場の畳を淡く照らした。
二人は向かい合う。
木刀と木刀が、再び重なる。
だが――
最初の一合で、拓海は悟った。
(……今日のじいちゃん……
今までで、一番……“重い”)
技の一つ一つに、
これまで以上の“何か”が込められている。
まるで――
すべてを“刻みつける”ように。
「……よし」
短い稽古が終わる。
源蔵は深く息を吐いた。
「今日の型……忘れるな」
「忘れないよ。
何回だって、やる」
「……そうか」
それだけ言って、祖父は静かに道場を出ていった。
◆ ◆ ◆
【胸に残る、不安】
その夜。
拓海は一人、道場に残っていた。
祖父がさっきまで立っていた場所。
そこだけ、なぜか空気が重い。
(……まだ、いてほしい)
誰にも言えない願いが、
胸の奥に沈んでいく。
しかし心のどこかで――
“別れは、近い”と理解してしまっていた。
第五話・完
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