第9話 普通の高校生
朝の空気は、少し冷えていた。
制服の襟元を直しながら、拓海はいつもの道を歩く。
自転車のベルの音、登校する生徒たちの笑い声。
どこにでもある、ありふれた朝。
(……俺は、ただの高校生……だよな)
そう思おうとしても、
昨夜見た“揺れる廊下”が頭から離れなかった。
◆ ◆ ◆
【教室・朝】
「おー、拓海! 今日も眠そうだな!」
後ろの席から声をかけてきたのは、
総合格闘技をやっている友人の篤だった。
「昨日も道場か?」
「ああ……ちょっとな」
「ほどほどにしろよ。
お前、最近“動き”変だぞ。
いい意味で」
拓海は一瞬だけ言葉に詰まり、
誤魔化すように笑った。
「……気のせいだろ」
篤はニヤリと笑う。
「じゃあ放課後、軽く組むか。
久々にさ」
「あー……様子見てな」
“様子”という言葉が、
もう昨日までの意味じゃない気がして、
拓海は少しだけ胸の奥に違和感を覚えた。
◆ ◆ ◆
【柔道部の先輩】
廊下に出た瞬間、肩をがしっと掴まれた。
「おい白石ィ!
最近、道場サボり気味って聞いたぞ?」
柔道部の三年、ゴリゴリの体格の先輩だった。
「ちょ、ちょっと、離してくださいよ……」
「お前、身体の芯はいいんだからさぁ。
柔道部来いって言ってんだろ?
俺が直々に“可愛がって”やるってのに!」
「それ“可愛がり”じゃないですよね……」
先輩はガハハと笑いながら、
拓海の肩をバンバン叩く。
「逃げるなよ!
男なら投げられて強くなれ!」
(……俺、すでに別の世界に
片足突っ込んでるんだけどな……)
そんなこと、言えるはずもなく。
◆ ◆ ◆
【昼・学食】
昼休み。
拓海は迷わず、学食の列に並んだ。
「今日もカツカレーかよ」
篤が呆れた顔で言う。
「いいだろ。
ここ、カツがちゃんと厚いんだ」
「はいはい。
どうせまた大盛りだろ?」
トレーに乗ったカツカレーから、
湯気とスパイスの匂いが立ち上る。
一口食べた瞬間――
脳に“現実”が流れ込んできた。
(……うまい。
本当に、ただの学食のカツカレーだ)
笑い声。
皿の音。
遠くの運動部の掛け声。
全部が、今までと同じ“日常”。
なのに――
(俺だけ、もう違うとこを
見ちまった気がする……)
◆ ◆ ◆
【放課後・軽い組み手】
「じゃ、軽くな。
本当に“軽く”だぞ?」
「わかってるって」
体育館の隅で、
拓海と篤は構え合う。
ほんの遊びの組み手。
いつものはずだった。
――一瞬。
篤が踏み込んだ。
その瞬間、
拓海の身体が“勝手に”反応した。
足が流れ、
体が沈み、
篤の重心が、するりと崩れる。
「……え?」
次の瞬間、
篤は畳の上に仰向けに転がっていた。
「……今の、何だよ……」
「……わからん。俺も……」
拓海は自分の手を見つめる。
(気……動いてた……?
無意識で……?)
篤は起き上がりながら苦笑した。
「お前さ……
いつの間にそんな動き覚えたんだよ……」
「……秘密」
冗談めかして言ったが、
胸の奥は静かに震えていた。
◆ ◆ ◆
【帰り道】
夕焼けの中、
拓海は一人で家路を歩く。
今日も、
普通の高校生の一日だった。
柔道部の先輩に絡まれ、
友達と組み手して、
学食でカツカレーを食った。
なのに――
足取りだけが、
昨日までとは、はっきり違っていた。
◆ ◆ ◆
【そして、廊下】
家に帰り、
靴を脱いだ瞬間。
拓海の視線は、
無意識に――道場横の廊下へ向いていた。
白い壁。
何もない、はずの場所。
だが、今ははっきりとわかる。
(……いる)
そこに、“扉”がある。
静かに、
だが確実に。
今日の学食。
今日の友達。
今日の夕焼け。
そのすべてが、
急に“遠い世界”のものに見えた。
「……俺、もう……
戻れないんだな……」
呟いた声は、
誰にも聞かれず、
静かに夜に溶けた。
◆ ◆ ◆
第九話・完
── 普通の高校生の、最後の一日 ──
異世界まであと少しです。
このまま頑張ります。応援よろしくお願いします。




