あなたの代わりに百万人死ぬ能力
あなたの代わりに百万人が死ぬ能力。
目の前にいる不気味な悪魔が、これを私にくれると言う。
刺されたなら傷が治る。
病気で亡くなる瞬間に完治する。
その代わり私と関係の薄い人から百万人が犠牲になるという。
私はしばらく考えた。
この能力のメリット、デメリットを。
メリットは死への恐怖が無くなり、安心できることだろうか。
デメリットは、良心が痛むことぐらいか?
正直、私とは関係無い人が百万人死んでも別にどうでもいい。
これが無差別で百万人なら私はいらないと言っただろうが。
「欲しいです」
一言そう返すと、悪魔はニヤリと笑って私の額を触る。
私の体が一瞬黒く光った。
これで終わりだよ。
悪魔はあっさりとそう言い、どこかへ消えていった。
次の日、あれは夢だったのではと考えながら街を歩いていると、車に轢かれてしまった。
激しい痛みと浮遊感が私を襲う。
小さい頃の温かな家族との思い出。親友や彼女と過ごした楽しい日々。そして昨日の悪魔との出会い。
これが走馬灯か、となぜか冷静に考えながら、元いた場所から十メートル程離れた地面に叩きつけられる。
再度激しい痛みが体を襲い、耳には知らない女性の甲高い悲鳴が不快なほど伝わってきた。
数人の男女が急いで私の方へ向かってくる。
「大丈夫ですか!?」
心配の声をよそに、私は何事もなかったかのように立ち上がった。
「うわ!?」
向かってきた男の一人が思わず驚きの声を上げる。
それに構わず、私は自分の体を確かめる。
あれほど激痛が走ったというのに怪我一つない。
「む、無傷?」
駆け寄ってきた人たちも異変に気付いたのか、困惑の声を上げる。
あの悪魔は夢ではなかった、つまりはそういう事だろう。
その後、私を撥ねた男は警察に捕まっていき、私は外傷こそないものの一応病院で検査することとなった。
検査が終わると医者は信じられないものを見るようにカルテを睨みつけている。
「奇跡、としか言いようがないですね」
しかし、念のためにと言うことで私は一日入院することとなった。
薄味の病院食を食べた後、備え付けの小さなテレビをつける。
世界中で同時不審死発生。
ニュース番組はこの話題で持ちきりだった。
不審死が起きたのは私が撥ねられた時間と一致している。
現在確認されている事例が九十九万四千二百十一人だそう。
確認できていない人を合わせればちょうど百万人になるのだろうか。
惨いことに全員頭が爆発したという。
その原因は間違いなく私。
だというのに心はピクリとも動かなかった。
結局は赤の他人だし、私や私と親しい人には関係ないと分かっているからだ。
次の日、連絡を受けた彼女がお見舞いに来てくれた。
「どうして連絡してくれなかったの!?」
会って早々、涙を浮かべながら問い詰めてくる。
「奇跡的に怪我がなかったから、そこまで慌てなくていいかなって」
本当に悪魔に力をもらったと自覚できたことでアドレナリンが沸き上がりすっかり忘れてしまっていた、などと口が裂けても言えるわけがない。
「今、世界中で人がたくさん不審死してるんだよ?もしかしたらあなたもって、私、私」
自分が絶対死なないと分かっているからか彼女の反応が大げさに見えたが、確かに客観視それがあるだろう。
「大丈夫だって、私は交通事故だったから」
「交通事故でも普通に死ぬんだよ!」
安心させようとして意味不明な説明をしてしまったら、案の定ツッコまれてしまった。
しばらくして泣き止んだ彼女に、私の体には何の以上もなかったことを伝える。
奇跡だね、と彼女はそう言った。
「不謹慎かもだけど、昨日世界中で起きた不幸の代わりにあなたに幸運がやってきたってことなのかな」
それは答えに近しいものだったのでドキリとしてしまう。
「でも日本では一人も死んでいないんだよね。なんでだろ?」
同じ日本人だから外国の人より私と関係が深いと判断されたのだろう。
彼女の疑問に私は内心で答える。
「まあ、ひとまずは無関係ってことで安心できるんじゃないか?早く原因は解明されて欲しいけど」
真実を伝えるわけにもいかず、適当な言葉を並べる。
「それもそうだね。はあ~日本が関係なくてよかった」
そう言うと彼女は私の使用しているベッドに体を預けた。
そうだ、結局人は自分と無関係であればこのような気の抜けた反応を示すんだ。
だから、私は悪くない。
少しだけ浮かんできた罪悪感も、すぐに殺してしまった。
五十年が過ぎた。
人はそう簡単に死ぬものではない。
あれから能力が発生したのは一度だけ。
私が肺癌で死の淵をさまよったときだけだ。
あの時は本当につらかった。
どんどん弱り苦しくなる体。
何十年も経っていたことで悪魔に与えられた能力もすっかり忘れてしまって、本当に死ぬのが怖かった。
だけどあるとき完治した。
嘘のように体が軽く楽になり、医者はたいそう驚いていた。
治った原因がわからず何度再検査させられたことか。
しまいには医学の発展のためにと、様々なサンプルを取られてしまった。
悪魔の力など解析できるわけないだろうが。
世界では半世紀ぶりに不審死が発生したとして、多くの混乱が生まれてしまったらしい。
それから二十三年が経った。
私が交通事故にあってからもずっと支えてくれた最愛の妻はすでにこの世にはいない。
その代わりに愛しい子供たちが、可愛らしい孫たちがいる。
最近は少しボケが来てしまったようで、いろんなことを忘れるが彼女たちのことだけはどっと覚えている。
「親父、元気出してくれ!」
私は今、病院のベッドで横になっている。
別に病気と言うわけではない。
足腰が弱くなり満足に歩けなくなったからだ。
そして自分のことだからわかる。
私は今日老衰するだろう。
最新の医学では死ぬ時期が予測出来るのか、今日は家族が集まってくれた。
「おじいちゃんの話もっと聞きたいよ…」
成人した孫が昔のように甘えてくる。
「お義父さん死なないでください」
息子の嫁さんには実の父のように慕ってもらえた。
「お父さん!」
「おじいちゃん!」
だからもう十分だ。
最後に声をかけたいが、声がかすれて上手く話せない。
それだけが悔やまれるが、私の人生は幸せであった。
心電図に映し出される波が次第に弱くなっていく。
「お父さん!!」
「死なないで!!」
ツーツー。
10,20,40。
一度完全に0を示した心電図は再び波を作り出した。
家族の目が明るくなる。
まさか、悪魔の力で老衰すら治ったのか?
ツーツー。
8,15,35。
いや、違う。
老衰は老衰だ。治る治らないのは無しではない。
ツーツー。
7,14,30。
何度も息を吹き返したところで、同じように何度も死ぬだけだ。
ツーツー。
7,14,28。
「先生!また世界中で不審死が起きているみたいです!それも百万人以上!!」
看護師の悲痛な叫びが聞こえてくる。
ツーツー。
看護師の声を聞いて家族が不安そうな顔を浮かべる。
ツーツー。
ツーツー。
「ほんとだ。犠牲者がどんどん出てるみたい」
隣の患者がそう呟く。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
「!?ついに日本人からも不審死が出たらしい」
医者が驚愕の声を漏らす。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
やめろ。これ以上息を吹き返すな。
そんな願いは当然届かない。
ツーツー。
涙が流れてくる。
ツーツー。
あの時。
ツーツー。
悪魔の提案に。
ツーツー。
乗るんじゃなかった。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
ツーツー。
「ごめn」
軽率な行動をとったことを懺悔するようにそう呟いたとき。
不安そうな子供たちの、孫たちの顔が破裂した。
ツーツー。
「ああ…ああああ」
ツーツー。
人類滅亡。