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一、落ちぶれた姫

平安ファンタジーです

歴史考証はオフモードでお楽しみください

 時は平安──

 京の都は大内裏と朱雀大路を中心に左右に整然と条坊が並び、数多の貴賤が平和な暮らしを営んでいる。そんな美しい都の一角に、ある日、高札が立てられた。



「今年の相撲節会(すまいのせちえ)はずいぶんと早いのだな」

「我らも見ることができるとは。これは楽しみだ」

 興奮した面持ちで高札を見る人々を我関せずで少女がすり抜ける。

 少女の名は桔梗(ききょう)。目的の薬師(医者)の家がすぐそばにあるのだ。

 せわしなく戸を叩く桔梗に、

「いい加減にせぬか。戸が壊れてしまうではないか」

 わずかに開いた戸の影から薬師が顔を出した。

「父が咳で苦しんでおります。薬を……」

「よく言えたものだ。ツケがたまっている分際で」

「それは……いずれかならずお返しします。今回だけ、今回だけは」

 咳がひどく、食事もままならない父のやつれた青白い顔が脳裏をよぎる。

 肺が弱く病がちの父だが、それでも一年前までは朝廷に出仕できていたのだ。薬さえきちんと飲んでいればある程度は回復すると請け負ったのは薬師であった。

「こちらも暮らしがあるんでな。ともかく金をもってこい」

「い、いま、これしか……」

 桔梗は背にしょった籠をおろし、わらびやタラの芽、こしあぶらなどの山菜を差しだそうとした。

「そんなものはいらん」

 桔梗の手を弾くように、無慈悲に戸が閉まる。

 何度も呼び、戸を叩いたが二度と開いてはくれなかった。

 地面に落ちた山菜を、血が滲んだ手で拾う。タラノキやこしあぶらには棘が多い。知らず知らずのうちに手は傷だらけになる。

 じわりと滲み出した目を慌てて拭い、籠を背負い直した。

 早く帰って、食事の支度をしなくては。それから水を汲みにいく。寝たきりの父の身体を拭ってあげよう。そのあとは破れた築地塀の修繕をしなくては。やることがいっぱいある。

 泣いているひまなんかない。

「おや、桔梗姫ではないか」

 背にかけられた声に振り向くと、近所に住む幼なじみが立っていた。管弦楽師のひとりとして宮中に出仕している佐原友成(さわらのともなり)だ。

「友成、ちょうどいいところに。銭をもっているか」

「いきなりなんだ、失礼だな」

「父の薬代を貸してくれ」

「『恵んでくれ』」

「え」

「どうせ返すあてなどなかろう。『恵んでくれ』と言えばくれてやる」

 友成は無表情だ。煽るでもなく嘲笑するでもない。

「恵んでくれ」

 そう言うと、友成は布冠を抱えるようにしてへたりこんだ。

「よく言えるな、そんな情けないことを。仮にも十条家の姫君のくせに恥ずかしくないのか」

「父が苦しんでいるのだ。過去の栄光では父を助けられない」

「妙齢の姉が二人いるだろうに。貴族は通ってこないのか」

「十条家はもうしまいだろう。私のことを姫と呼ばないでくれ」

 友成が手渡してくれた銭入れの重さを掌ではかり、桔梗は薬師の元に取って返した。

 無事に手に入れた薬を懐に大切にしまい、友成に礼を言う。

「ありがとう。いつか必ず返す、とは約束できないけど、必ず恩は返す」

「気にするな。まあ、俺が通ってもいい、とは思っているのだがな」

 家路を急ぐ桔梗に並んで歩きながら、友成はちらりと桔梗を見た。

 桔梗は文官の名門として名高い十条家の末娘である。三姉妹で唯一の正妻の子であった。

 実母はすでに亡い。いまは継母と二人の姉と病床の父と一緒に屋敷に住んでいる。

 継母と姉は家が没落している事実から目を背けていた。境遇を顧みず、屋敷の奥深くに引き籠もり、貴族や豪族の殿方からの文を待つだけの暮らしをしている。

 一方桔梗は短衣一枚で袴を身につけていない。動きやすいように髪は肩口で切り揃えている。どこからどう見ても下働きの下女だ。

「そうだ、友成が通えばいい」

「そ、そう思うか、桔梗も」

「長姉の桜子(さくらこ)はふくよかで満月のよう。次姉の杏子(きょうこ)は柳のように華奢で繊細なの」

 友成は口を開けたままでかたまっている。なにか間違えただろうか。

 屋敷の奥で暮らす姉たちの姿を友成は目にしたことがないだろうと思って教えてあげたのだが。

「……あ、忘れてた。お母様は髪が豊かで──」

「いや、やめておこう。楽師の禄では足りぬだろう。落ちぶれたとはいえ十条の姫君とは身の丈が合わない」

 友成は溜息をついた。友成の家は代々管弦楽師を務める家柄でけして成り上がりではないのだが、楽師の身分自体がさほど高いものではない。他の貴族のように一族の娘を入内させることもできない。

 やがて友成がぽそりと呟いた。

「官僚や武官を目指そうかな、俺」

「どうしたの、急に。笛を捨てるの」

「楽師は続けたい。……ほかに冠位がほしいんだ」

「よかった。吹くのはやめないのね。私、友成の笛が好きなの」

 友成はそっぽを向いた。耳の先が赤くなっているのは気のせいだろうか。

 ふと視線をあげると内裏前の苑の一部になにやら建設中だった。

「貴族や帝のための楼台を作っているんだ」

 友成によると、明後日に『相撲の宴』というものが開かれるらしい。

 人々が高札に群がっていたのは、その告示を見るためだったのだろう。

 出場者は年齢出自を問わず。勝者は近衛府の召し取りになる。

 出自を問わずというのは平民でも賤民でもいいということだ。一旗揚げたい力自慢がこぞって参加することだろう。

「そうだ。俺、出てみようかな」

「だったら応援にいく」

「そうか、よ、よし……!」

「あ、じゃあ、ここで。今日はありがとう」

「またな、桔梗」

 友成の家の前で別れた。十条の家はもう少し先にある。桔梗は歩きながら考えた。

 友成は細身だが男には違いない。羨ましいと思った。男は腕力が金になる。

 桔梗は女なので、女官として働きに出れば多少なりとも稼ぐことができる。だが家を出たら誰が父の面倒を見るのか。


 咳きこむ父の背に手をまわして、煎じたばかりの薬を飲ませる。

 これでしばらくは治まるだろう。毎日薬を飲ませることができればいずれ完治すると言われても、薬代は高額だ。まかなうのは難しい。

「ああ、胸が楽になった。すまないな、桔梗」

 父は労るように桔梗の手を撫で、顔をしかめた。

「こんなに手が荒れて……」

「そんなことより父上……これは」

 襟元に赤黒いシミが散っている。

「咳き込んだときにたまに……な。肺か気管が腫れているのだろう。なに、薬を飲めば平気だ」

 桔梗は唇を噛んだ。悪化していたことに気づけなかった。薬はあと三日分しかない。

「桔梗、桔梗。どこですか」

 廊下から桔梗を呼ぶ義母(はは)の声が聞こえる。父を寝かせて桔梗は廊下に出た。

 義母はキッと桔梗をにらむと、袖を引いて父の耳に入らないところまで桔梗を引っ張っていった。

「なんですか、あれは。草ばかりじゃないの。魚の一尾、蜂蜜のひとかけくらい手に入らなかったのかい」

「魚は捕れませんでした。蜂蜜は近いうちにかならず。山菜は雑炊にします」

 山菜を採りに山に登ったときに蜜蜂の巣は見つけていた。だが近くに新しい熊の爪痕があったので諦めたのだ。蜂蜜が採れたら売って金に換えることもできる。やはり明日にでも採集しようと決意した。

「薬代がかさむので、考えたのですけど、私……」

 宮中に女官として出仕するのはどうでしょうか。宮中は無理でもどこかのお屋敷で働けないでしょうか。

 ただし父の面倒を義母と二人の姉で見てもらわねばならないけれど。

 そう口にしようとした直前に、

「こう言ってはなんだけど、あの人はもういいんじゃないかしらねえ」

 義母は父が寝ている対屋に目を向けた。

「どういう意味ですか」

「ほかの家族が飢えてしまうじゃないか」

 桔梗はか細く鳴る腹をおさえて口を噤んだ。

 父の世話をまかせたらどうなるかは火を見るより明らかだ。このままでは早晩一家全員が死ぬことになる。

「では、姉様がたが女官になるというのは、いかがでしょう」

 よい考えだ。と思ったが義母の眉間に青筋がたった。

「名門十条家の姫を安売りしろというのか。おまえは(どぶ)をさらうような汚い仕事もよく似合うが、あのこたちはそうではない。掌中の珠として育ててきたのだ。貴族の若君がこぞって求婚に来るのを待っている大事なときなのですよ」

「はい……」

「桔梗はそこにいるのかい」

 長姉の桜子がどすどすと豪快な音を立ててやってきた。

唐衣(からぎぬ)が小さくて破れてしまったのよ。直してちょうだい」

 その後ろから次姉の杏子が汚れた布を抱えてやってくる。

「お姉さま、お待ちになって。私の単衣(ひとえ)を洗ってもらわないといけないのよ」

 長姉は唐衣を、次姉は単衣を桔梗に投げてよこした。それをみた義母ははさめざめと泣く。

「年頃になったのに紅も買えず衣も新調できず、なんて不憫な娘たちでしょう」

「お義母様、桜子お姉様、杏子お姉様。ご自分で動かれる意欲はないのですか」

 桜子がぎろりと睨みをきかせた。

「おまえは奴婢(ぬひ)になるのが性に合ってるんだろう。深窓の姫である私になにができるというの」

 続けて杏子と義母が口を開く前に、「仕事に戻ります」とだけ言い置いて、桔梗はその場を逃げ出した。

 唐衣など一枚ももっていない、奴婢同然の桔梗である。

 つい反論をしてしまったが返ってくる答えなどわかりきっていた。

 この家は私がいないと潰れてしまう。もっともっと、私が頑張らなければいけないのだ。

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