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世の不幸を背負ったような顔をした男は、世にも幸せな男だったらしいです

作者: ミソラ

《新妻ジュディットの寝室》

 

「僕は! こんな結婚なんかしたくなかったんだっ!」


 目の前で美しい男が顔を歪ませ拳を震わせている。銀色の髪の毛に明るい青の切れ長の目。絵に描いたような貴公子である。

 

「はあ」

 そうですか。結婚式が終わってから言うことですか。もっと早くあなたと私の父親にそれを言えばよかったじゃないですか。


 私ジュディット・リスベン子爵令嬢と、彼フレデリク・アンベール侯爵令息が結婚したのは一か月前のこと。そう、我が夫は初夜から一か月、毎晩寝室にやってきては同じことを繰り返している。


 私はほんのりピンク色の色っぽい夜着を身につけてベッドにちょこんと座っている。夫となった人は、扉の前で真っ赤な顔をしてぷるぷる震えながら立っている。

 

「そういうことだからっ」

 フレデリクさまはドアをばたんと閉めて出て行った。


 部屋の隅では、侍女がすました顔でアルガンランプの灯りを絞っている。


「……ねえ」

「……」

「あなたに話しかけているのよ、エリー」

「……はい」


 この一か月、夫の私に対する振る舞いを見て使用人たちもこの態度だ。


「ねえ、そのお仕着せの着心地はどう?」

 エリーは怪訝そうな顔をこちらに向け、少し目を見張る。

 先ほどまでベッドの端にちょこんと座っていた私が、今は足を組み山のようなクッションにしなだれて肘を立て頭を預けているからだ。胸の谷間が強調され、夜着のスリットから素足が見えているためか、エリーの顔がじわっと赤くなった。

 

「フレデリクさまと私の結婚が決まって、服が新しくなったでしょ」

「……」

「給金も増えたでしょ?」

「……」

 私はすいっとエリーの手元を指差した。

「そのランプのオイル、今は気にせず使えるでしょ」

「……!」

「私の持参金よ」

「……!!」


 事業の失敗のため困窮した侯爵家と事業に成功した我が子爵家。

 そう、この結婚は侯爵家から打診された! 政略結婚である!

 

 世の中では「子爵家が侯爵家に金にものを言わせて娘を送り込んだ」と言われているが、逆である。

 

 侯爵家が! 泣きついてきたのだ!


 そもそも、うちはあえての子爵家なのだ。このぐらいの爵位だと、貴族相手でも庶民相手でも商売をするのにちょうどいい。

 祖父の時代に祖父の手腕を欲しがった王家から、陞爵を餌に財務官僚に誘われたが「納税額を増やしますからご勘弁」と逃げたらしい。官職よりも商売が肌に合っていたのが理由だ。

 だから、別に侯爵家の後ろ盾もいらない。


 けれど、アンベール侯爵家から婚約の打診があった時、私は夢かと思って喜んだのだ。

 社交の場でワイングラスを手に静かに佇む銀色の貴公子。誰もがうっとりと眺めながらも声をかけることさえ憚られる高嶺の花。

 私だって密かに憧れていた。


 なのに婚約期間には顔を見せず、結婚して一か月わけのわからない主張をして去っていくのはいかがなものか!

 世の中の不幸を全て背負い込みましたみたいな顔をして!


 私は気持ちを沈めるようにゆっくりと瞬きし、侍女のエリーにもう一度「ねえ、エリー」と声をかけた。


「私がフレデリクさまの妻であれば、侯爵家が立て直されるまで援助されるわ」

 エリーの視線が左右へ揺れる。

「でも離婚でもしたら……慰謝料を払ってもらわなければ」

 エリーの頬を汗が伝う。


「これでわかったでしょう? この家で偉いのは誰か」

「はい! ジュディットさまです!!」

「わかったら跪きなさい」


 エリーはずざぁっと音を立てて跪いた。


「明日、朝食の時に家令と侍女長を呼んでおきなさい」

「仰せのままに!」


 素直な子は好きよ。


 *


《その頃、フレデリクは》


 僕は自分の部屋に戻り扉を閉めた。

 真っ暗だ。

 かろうじてカーテンの間から細く差し込む月の光で照らされたベッドに座り、両手で顔を覆う。


「うわあぁぁっ」


 僕はなんてバカなんだ!

『僕は! こんな(形で)結婚なんかしたくなかったんだっ!』

『そういうことだからっ(また改めてプロポーズするからっ)』


 あのまま逃げちゃダメだろう、僕。


 ベッドにごろりと転がる。


 社交の場でのジュディットは自信に満ち溢れていて、人見知りでいつも一人でいた僕の目にはとても輝いて見えた。

 大勢の人に囲まれて楽しそうに笑うオレンジがかったブロンドと深い紅茶のように輝くアーモンドアイの彼女は神々しくて、とても声をかけるような事はできず、いつも見ているだけだった。

 人が多いところは苦手だけれど、ジュディットを一目でも見ることができるなら、と社交の場にも出続けた。


 その僕の視線と行動に気づいた奴がいた。弟だ。


 ギルが! 父上にチクリやがった!


 父上は、ようやく僕が結婚する気になったと喜び子爵家に打診した。いや、ほとんど泣きついた。

 いやいや、見ていただけで「結婚したい」なんてアブナイ奴だろう。まあ、父には持参金と援助金という打算もあったようだが。


 僕は、本当に輝いている彼女を見ているだけで満足で……。でも、あれよあれよという間に僕たちの婚約から結婚は整っていった。


 嬉しい。

 嬉しいけども! 自分で声をかけたかった! プロポーズしたかった!


 でも!


「はああぁぁっ」

 

 この一か月、意を決して(結婚してるけど)プロポーズをしようとジュディットの部屋に行ったけれど……。

 

「うわあぁぁっ」


 はあ。

 

 ……ベッドにちょこんと座ったジュディット、綺麗だったなあ……。


 *


《翌朝のジュディット》


 高位貴族には、その立場を求め男女問わず美しい人が送り込まれる。

 金持ちには、その金を求め男女問わず美しい人が送り込まれる。

 だからフレデリクさまは美しい。

 そして、私も美しい。


 あの高嶺の花と誰も近寄れないフレデリクさまの隣に立って遜色がないのは、正直言って私ぐらいだと思う。


 大きな食卓で優雅に朝食を摂る。横ではエリーが紅茶やミルクやオレンジジュースのお代わりのタイミングを測っている。

 そんなに飲めない。


 私の対面に家令と侍女長が戸惑いながら立ち、私の食事が終わるのを待つ。

 私はヨーグルトを食べ終わり、ナフキンを机に置いた。


 家令がこほんと咳払いをする。

「なんのご用でしょうか? 奥さま」


 この男も爵位の低い出の私を侮っているようだ。


「冬のドレスを作らねばならないのだけれど、わたくしの持参金、どれほど余っているか教えてくださる?」

 なるだけ居丈高に言うと、家令の肩がぴくりと揺れる。昨夜のエリーのように、家令の頬に汗が伝う。

 

「あの、それは……」


「ああ、事業の損失補填に使ってしまったのかしら? でもうち(・・)からの援助金もあったわよねぇ? ……帳簿を見せてもらえる?」


 家令の横で侍女長がぐらりと倒れた。


 *


《その三十分前のフレデリク》


「おはようございます、フレデリクさま。……また眠れなかったのですか」

 家令が情けないものを見るように眉を下げため息をつく。


「今日こそは奥さまと朝食を共にするとおっしゃっていたでしょう?」

「む、むむむ、無理! そんな、彼女の前で口を開けて咀嚼するなどっ!」


 家令は深い深いため息をついた。

「そうはおっしゃっても、ご結婚されたのですから。それに若い使用人たちが誤解しております」

「誤解……?」

「ええ。フレデリクさまは奥さまを嫌われていると。中には過激な者もいて、フレデリクさまのために奥さまを追い出そうと考えている者もいるとの報告を受けております」


 頭のてっぺんから血が下がるのを感じた。きっと僕の顔は青を通り越して白くなっていると思う。


「彼女を追い出すなんて! でもっ、ああっ、どうしよう!」

「こほん。ここは奥さまに贈り物をされてはいかがですか? ちょうど冬の衣装を仕立てる時期でございます。デザインを合わせた衣装をフレデリクさまから贈られれば、その愛情に使用人のみならず奥さまも気づくことでございましょう」


 僕はそっと目を逸らした。

「……けど、今の侯爵家の経済状況を見ると、ジュディットが今まで身につけていたような質のものは揃えてあげられない」

 侯爵家の家計は火の車だ。ジュディットの実家からの援助金でやっと体面を保っている。そのことを使用人たちは知らないが。


「ですが、フレデリクさまの努力の賜物で事業の損失分も改善しておりますし、奥さまの持参金もまるまる保管しているではありませんか」

「……」


 屋敷の運営については婚約した時から続くリスベン子爵家からの援助金をありがたく使わせていただき、金策は事業の方に集中して近々黒字に転換できるところまできた。

 そのおかげで今までついてきてくれている使用人たちの衣装を新しくしたり給金を上げられている。


 これからは援助金に頼ることがなくなるよう、そして返還できるようにすることが目標だ。

 それができないと、ジュディットの横に並ぶ資格はないと思う。


 はっ。


 ではまだまだプロポーズできないということか!?


「ああーっ!」


 家令は、何度目かのため息をついた。


 *


《朝食後のフレデリクの部屋》


「大変ですフレデリクさま! 奥さまが持参金の帳簿を見せろと!」

「えええっ!? なぜ!?」


 今朝、ジュディットへの贈り物は持参金から拝借することに決めていた。僕の力でジュディットを美しく飾ることはできないからだ。


「いい加減になさいませ、フレデリクさま」

 わたわたする僕に、家令の厳しくも諭すような声が突き刺さる。

「フレデリクさまは立派に事業を立て直しをしつつあるではありませんか。自信をお持ちください。旦那さまにあれほど強く言い渡したフレデリクさまはどこへ行ったのですか」


 ……あれは、僕に黙ってジュディットとの婚約を決めた父に八つ当たりしたのだ(サプライズのつもりだったらしい)。

『僕が事業を立て直すから領地に引っ込んでいてください! ギルも領地経営のことを勉強しに行ってこい!』と屋敷を追い出したのだ。……新婚だし、にやにやした親や弟がいるのはなんか嫌だし。


「聞いてますか、フレデリクさま」

「ああ、はい」

 焦りすぎて「はい」と言ってしまった。

「衣装ができるまで待っていられません。奥さまと話し合いましょう!」


 *


《庭のガゼボ》


「ふう」


 夏の終わりの風が心地いい。私は侯爵家の庭を眺めながら一人お茶を愉しんでいた。

 庭は荒れ果てて……いえ野趣あふれる佇まいで野の花が控えめに咲いている。

 これはこれで好きよ。突然、緑色の虫が飛び出してくるのにはびっくりするけれど。

 ……そのうち侯爵家に相応しい庭にしないとね。


 今頃エリーが着々と布教活動をしている頃だろう。私自身が動くより、噂話の方が早く駆け巡るはずだ。あちらがお金のために私と結婚したのであれば、こちらはお金の力で居場所を作る。


 お祖父さま、お父さま、お金持ちになってくれてありがとう。お金、ありがとう。


 そうしていると、がさがさと草をかき分けて誰かが近づいてきた。

 荒野に降り立った神のように美しい男が、腕に書類の束を抱えて立っている。

 

(あら、フレデリクさま)

 その背後には家令と侍女長も立っている。家令もフレデリクさまと同じように書類の束を抱えており、侍女長はなぜか祈るように胸の前で手を組み、顔には『頑張って』と書いてある。

 なぜに?


「ジュ……ジュ……ジュディット!」

「はい……?」

「は、話がある!」


 えらく力が入ってますわね。けれど本人と後ろの二人の表情があまりにも真剣で私も姿勢を正す。

 これはあれか。私が着々と屋敷内の人心を掌握していることについての抗議か。それとも難癖をつけて私を離縁して追い出す宣告でもするのか。


 と思っていると、フレデリクさまはテーブルに書類を広げ出した。狭いテーブルは書類でいっぱいになる。


 そして始まったのは、まるで講義だった。けれどそれはとても興味深いもので、領地と事業の経営、それから屋敷の維持管理の過去三年間にわたる状況がよく理解できた。

 私との婚約が決まってから支払われた援助金の活用方法、事業の立て直しなどを具体的に知ることができた(領地からの収入は主に税と土木工事と領民のための蓄えに消えていた)。


 驚くべきことに持参金には手がつけられていなかった。

 私がフレデリクさまの顔をじっと見ると、彼は青ざめた顔で俯いている。


「僕は、こんな情けない男で、いつかジュディットに愛想をつかされて出ていかれる時、せめて持参金は返さなきゃと思って」


 え、なに? ちょっ……。


「人と話すのが苦手で、僕にはジュディットが眩しくて……」


 フレデリクさまが頭をがしがしと掻く。綺麗なプラチナブロンドが乱れる。

 家令と侍女長は、いつのまにか伸び放題になったアベリアの植え込みの向こうからこっちを見ている。

 フレデリクさまに視線を戻す。


「それでギルに気づかれて、父上が喜んで婚約を進めて……」

 よくわからないけど、それで?

「わあっと思っている間に結婚して……」

 結婚式の間、無表情だったけど心の中は「わあっ」だったの?

 

「嬉しいんだけど眩しくて、ますます自分が情けなくて……ドレスをプレゼントしたいけど甲斐性なくて、持参金からプレゼントするしかなくて……」

 我慢強く話を聞く。

「ちゃんと利益を出してプレゼント買って、気持ちを伝えたかったけど、その前に使用人たちのこともあってジュディットに嫌われると思って……正直に話すことに……しました」

「そ、そうなのね。……ふ、ふふっ」


 なにこの人、可愛い!


 使用人のことは心配ないんだけど、それは置いておいて。


「よく理解できたわ。あなたの努力も気持ちも」


 社交の場で孤高の存在だったのは極度の人見知りのせいだったのか。やたらとよく見かけると思ったら、私を見る(・・)ために出席していたのか。いじらしいわね!

 あら? キモチワルイと思わずにいじらしいと思うなんて、私も大概ね。


 俯いている彼の視線の先に、私は手を差し出した。

「私も一緒に頑張るわ。これからも末長くよろしくお願いします」


 フレデリクさまはばっと顔を上げた。

「そっ、そんなプロポーズみたいな言葉! 僕の方から言いたかったのにっ」


 植え込みの向こうで侍女長がぐらりとなり、家令が頭を抱えている。

 私は淑女にあるまじき大きな声を上げて笑った。そして書類の上で握られている彼の手を包み込むようにふわりと握る。


「じゃあ今夜、寝室で。ね?」


【終わり】

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