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第9章 子爵令嬢が好きな場所


 レイクスの十九歳の誕生会は、去年の成人の祝を兼ねたものと違って、本人の希望もあり、家族と婚約者だけというこぢんまりとしたものだった。

 華やかなパーティーが好きな侯爵夫人は不満げだった。

 レイクスは今時の人だ。国王陛下からの信頼も厚く、将来の宰相候補の筆頭だと言われている。

 ご婦人方から羨望の眼差しで見つめられることを想像するだけで、夫人の胸は高揚した。

 それなのに彼女の要望は侯爵の鶴の一声であっさり却下されてしまった。

 

「このところ騒がしいことが続いたので、暫く静かに過ごしたいんだ。

 しかしもしそれが嫌だというのなら、君は実家へ帰ってもいいよ。そこでいくらでも賑やかなパーティーを開くといい」

 

 と夫に告げられて、自分が夫にあまりよく思われていないことに、ようやく彼女は気が付いた。

 そして唖然としていると、下の息子に耳元でこう囁やかれて真っ青になった。

 

「お母様は、リネット嬢に対してずいぶんと冷たくされてきましたよね? 

 彼女はこの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であると理解しておきながら、なぜそんな真似をしたのですか? 

 この家を仕切る女主人としてはいささか不適切だったのではありませんか? 

 もしかしたらそんなお母様はもうこの家には必要ない、とお父様に思われているのかもしれませんね。

 ほら、跡継ぎの兄上は成人しているし、リネット嬢の侯爵夫人としての教育もすでに終了したようですし」

 

 そう。あの噂を一番に広めたのは侯爵夫人だったのだ。あの優秀で素晴らしい自慢の息子の婚約者が、たかだか子爵家の娘になったことが、どうしても気に入らなかったのだ。

 たしかに可愛い子だとは思ったし、素直な良い娘だとは感じていた。

 しかし貴族の令嬢だというのに、おしゃべりで喜怒哀楽が激しく、こんな娘が自分の後を継ぐ侯爵夫人になるのかと思うと、まるで自分の地位まで下げられるような気がして我慢できなかったのた。

 

 だから、彼女を自分の理想の侯爵夫人にするために厳しく躾けながらも、この娘は愛する息子の女除けのための仮の婚約者なんだと思い込もうとして、他人にもそう漏らしていたのだ。

 リネットはきつい夫人の教育にも文句一つ言わずに努力をして、成長とともにちゃんと高位貴族としてのマナーや教養を身に付けていった。

 

 夫人はリネットを自分が望む令嬢にちゃんと仕上げたというのに、それを認めることができなかった。

 そしてたとえ特殊能力のことを知らされていなかったとはいえ、息子をよく見ていればわかったはずだ。

 息子にはリネットの愛情や安らぎがどうしても必要だということ。

 いや、そもそも二人が愛し合っていたことに。

 

 

 ケーキとワインで誕生日を祝ってもらった後、レイクスはリネットを外に連れ出して、庭の端へ向かった。そして幼い頃によく一緒に遊んだ池のふちにまでやってきた。

 そこには、愛らしい薄いピンクや清廉さを感じさせる白い大きな花が、水面を覆うように咲き乱れていた。

 以前そこには可憐なスイレンの花が咲いていたのだが、今では東の国原産の大型のハスの花に取って代わられていた。

 

 というのも、幼いリネットがスイレンの葉の上にちょこんと乗っていたカエルを見て、私も乗ってみたいと呟いたことがきっかけだった。

 当時八歳だったレイクスは、スイレンのことを調べようとして王立の植物園へ行った。そして彼は偶然そこでスイレンに似て非なる植物を見つけた。

 それは東の国原産のハスの花だった。スイレンとは違う種類の植物だというのに、とても良く似ていた。しかも、ハスの方が花も葉も全体的に大きかった。

 説明書によると、そのハスの仲間には人を乗せられるほど大きな葉を持つものもあるという。

 これだ!とレイクスは歓喜のあまり小躍りした。その葉の上に乗ることができたら、リネットはきっと大喜びするぞと。

 

 レイクスはさっそくスチュワード侯爵家が経営している商会に、その大型ハスを手に入れて欲しいとお願いした。

 そして実際ハスを手に入れることができたのだが、残念なことに人が乗れるほど大きな葉にはならなかった。

 本で改めて調べてみると、その巨大なハスは亜熱帯でないと育たない種類らしく、温暖なこの国では育たない種類だったようだ。

 

 しかし、この中型のハスは侯爵家の池と相性がよかったらしい。以前のスイレンよりも元気に成長ししかも花の数もどんどん増えたことで、スチュワード侯爵家の池はとても華やかで美しいと評判になり、社交界でも有名になった。

 まあそれは侯爵家にとっては喜ばしいことではあったのだが、年がら年中見物人が訪れるようになったせいで、子供達は池の周りでは遊べなくなってしまった。

 つまりレイクスはリネットを喜ばせようとして、結果的には彼女を悲しませてしまったのだった。

 

 

 池の側に置かれているベンチに、二人は並んで腰を下ろした。

 

「綺麗! まさしく八面玲瓏(はちめんれいろう)な景色ですね」

 

「ああ。まるで君のようだ」

 

「えっ?」

 

 思いがけない言葉に驚いたリネットはレイクスを見上げた。

 たとえ社交辞令でも、彼が女性に対してそんな甘い言葉を発するのを初めて聞いたからだ。

 

「小さいころから僕の周りには、裏表がある人達ばかりだった。自分の利益ばかり考えて平気で嘘をついている者ばかりだった。

 それでも僕はスチュワード侯爵家の嫡男として、八方美人(・・・・)のようにみんなに愛想を振りまかないといけなかった。

 でも心の中では、悪い人達から利用されないようにいつも気を張っていたから、人と接するのがとても辛かったんだ。

 

 だからね、裏表なく自分の思いを素直に口にする、心が綺麗な君が側にいると、とてもホッとした。僕も君には本音が言えたしね。

 君はとても可愛らしかったし、君のおしゃべりや歌を聞くのは本当に楽しかった。

 そしていつの間にか君は、僕の大好きな幼なじみから愛している女の子になっていたんだ。

 君とずっと一緒にいたいと思った。だから君の目をじっと見つめた。そして、君も僕のことを好きだと思ってくれていることを知ったんだよ」

 

「えっ?」

 

 リネットはカアーッと顔を赤くした。

 

「だから、父上にお願いしたんだ。君と一生一緒に生きて行きたいから婚約させて欲しいって。前にも一度その話はしたと思うけれどね。

 だけど、自分にとって都合がいいという理由だけで、僕が君を婚約者にしただなんてデタラメな噂が出回って君を傷付けた。しかも僕はそのことに気付けなかった。

 いや、その噂だけじゃなく僕自身も、しゃべるなだなんて酷いことを言って君を傷付けていた。


 あのころの僕は、オスカー様が立派な王太子になれるようにと、とにかく必死だった。

 それがスチュワード侯爵家の嫡男としての役目だと思っていたし、ジャネット様が必死に彼を支えようとしていたのを側で見ていたから、彼女のためにも自分が頑張らなくてはいけないと思っていたんだ。 

 彼女は言わばまあ、戦友みたいなものだったからね。

 

 君だって母上から厳し過ぎる指導を受けていて大変だったのにね。ローリーからその話を聞いていたのに、正直なことを言うとそれは僕達の比ではない、なんて思っていたんだ。

 そう思った時点で、僕は君の婚約者としては相応しくなかったんだろうね。

 本当にクズ野郎だった。あのころの自分を自分で殴りつけてやりたいよ。

 

 それに、なぜ自分の特殊能力をもっと早く使わなかったのだろうと、それが悔やまれて仕方がないんだ。

 なぜ使わなかったのかというと、結局僕は殿下を心の底では信用していなかったからなのだと思う。だから、殿下の本心を見るのが怖かったのかもしれない。

 僕は幼いころからオスカー様の側にいたけれど、それは自分の役目だと割り切っていただけで、彼を好きではなかったし、尊敬もしていなかった。

 彼のことを幼なじみや友人だとは思ったことなんてない。彼もそうだとわかっていた。特殊能力なんか使わなくてもね。だからこそ、オスカー様の目をじっと見つめるなんて、不敬だと思われそうでできなかった」

 

「あの、先ほどからおっしゃっている特殊能力(・・・・)とはいったいなんなのですか?」

 

 リネットにこう尋ねられて、レイクスは彼女の瞳をジッと見つめた。

 まるで心を覗かれているような気がして、急に恥ずかしくなって彼女は目を逸らそうとした。しかし大きな彼の両手で両頬をしっかりと包まれて、それができなかった。

 見つめ合っていた時間は一分、いや三十秒もなかったかもしれない。それでもそれがとても長く感じられた。

 そして、昔もこんな風に何度か見つめ合ったことを彼女は思い出した。

 

 やがて涙が滲んできて、リネットがパチパチと瞬きをすると、ようやくレイクスも彼女の顔から手を放して、フッと笑った。

 

「三か月前、君の瞳の中には僕への不信感ばかりが溢れていた。あと諦めの気持ち。

 あのとき初めて君の中から僕を愛する気持ちが消えていることに気付いてショックを受けた。

 愚かな僕は自分が愛している限り、君の気持ちも変わらないのだと勝手に思っていたんだよ。全く愚かだよね。

 これまで僕が見えていなかったことをローリーから改めて色々と教えられたよ。リネットがどんな状況に置かれていたのか、どんなに辛い思いをしてきたのかを。

 そして初めて知った。初めて気付いた。

 自分の愚かさに吐き気を催して、もう二度と立ち直れないと思ったよ。

 それでも君に謝罪だけはしなければと、手紙を出したけど、君は一度も返事を返してはくれなかったよね」

 

「返す義理はありませんからね。貴方はこの一年一度も返事をくれなかったもの」

 

「そんなことはない。目が回るほど忙しかったけれど、ちゃんと返事は出したはずだ」

 

「ええ。手紙はたしかに届いたわ。けれど、それは私の手紙への返事ではなかったわ。私の手紙などどうせ読まずに、適当に貴方の書きたいことを書きなぐっただけでしょ」

 

「そうか。そういうことだったのか。

 今ようやく君の気持ちがわかった。たしかに手紙だって思いのやり取りがなかったら意味がないんだよね。

 一方的な手紙や会話では辛いよね。今ごろそんな当たり前のことに気付くなんて、なんて愚かなんだろう。本当にすまなかった」

 

「贈り物だって、昔はみんな私の欲しい物ばかりだったわ。好きなお花だったり、手作りの栞だったり、読みたい本だったり。

 けれど、三年くらい前から適当な物ばかりだった。

 たしかにどれも高価な品ばかりだったけれど、私の欲しいものじゃなかったわ。どうせ誰かに適当な物を買ってきてもらったのでしょう」

 

 リネットがこう言うと、レイクスは一瞬目を見張った。そしてなぜか急に恥ずかしそうに俯きながらこう言った。

 

「センスが悪くてすまなかった。あれでもリネットのことを思って選んだつもりだったんだけど。

 君への思いは子供のころと変わらないよ。ただ、昔は君の瞳から気持ちを読み取ることができたから、君の欲しがっていたものを容易に察することができたんだ」

   

「えっ?」

 

 あまりにも想定外な言葉に、彼女は思わず驚きの声を上げたのだった。

次章で完結となる予定です。


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