第7章 王太子を怒鳴りつけた子爵令嬢
レイクスはリネットの前で跪き、彼女の両手を取り、そこに自分の額を押し付けて言った。
「すまなかった。謝っても許されることではないが、本当に悪かった。
君は僕のことを知ろうとして話しかけてくれていたんだね。それなのに私は愛する人の気持ちも、自分の気持ちにも気付かない愚か者だった」
そこへもう一人予定外の人物まで飛び込んできた。
「リネット嬢、本当にすまなかった。一番悪いのは私だ。レイクスがあまりにも優秀だったので、ついつい彼を重宝して使ってしまった。
そのせいで彼は私のために多くのことを学ばなくてはならなくなり、大切な婚約者との会話の時間まで奪ってしまったのだ。
それに彼はいつも忙しかったから、精神的に余裕がなかったのだろう。君に暴言を吐いたのもそのせいだと思う。
レイクスは本当に君を愛しているんだ。学園に入学して多くのご令嬢から誘われても、大切な婚約者がいるからと相手にしなかった。
そして君が入学してくるのを心待ちしていたんだよ。それなのに君と過ごせなかったのは、前にも説明した通りに全て私のせいなんだ。どうかそれをわかって欲しいのだ。
君とレイクスが辛い思いをしてきたのは、全て私のせいなんだ。どうかレイクスを許してやって欲しい。私に免じて」
なぜか王太子まで現れてリネットに頭を下げたので、彼女は恐れ慄いて小さな悲鳴を上げた。
そして慌てて挨拶をしようと腰を浮かしかけたが、レイクスが手を離してくれなかったのでそれは不可能だった。
しかもいつの間にか、来月王太子妃になる予定の公爵令嬢までもが登場してこう言った。
「貴女が学院内で辛い思いをしていることを知っていながら、助けてあげられなくて本当にごめんなさい。私は自分のことで精一杯だったの。本当に情けないわ」
「とんでもないことでございます。ジャネット様の方が私なんかよりずっとお辛かったことはわかっておりました。
それに、取り巻きをなさっていた方々の婚約者の皆様をフォローなさっていて、本当に大変だったことも存じております。
ご自分のことより家臣の心配をされているお姿に、さすがは未来の王妃様だと皆様口を揃えておっしゃっていましたわ。もちろん私も。
それにそもそも私が皆様に嫌味を言われていたのは、私の役目というか役割だったのですから、どうかお気になさらないでください」
「役目とはどういう意味なのかしら?」
「レイクス様にとって私は、ただの都合のいい女なのです。つまり女除けとでもいいましょうか。
私はお忙しいレイクス様にまとわりつくご令嬢達から、彼をお守りするのに都合のいい人間だということで仮の婚約者となったのです。
私はその役目を遂行していただけですので、お二方に謝罪していただく必要はないのです。
ただもし今回の誘拐犯逮捕の件でご褒美がいただけるのでしたら、図々しいと思うのですが一つだけお願いがあります。
もし可能でしたら、私はそろそろこのお役目を終わりにしたいのです。
レイクス様も無事学院を卒業されたことですし、私ではもうお役に立てないと思います。ですから、できましたら彼が婚約解消に応じてくれるように、説得していただきたいのです」
リネットは無礼にもソファーに座ったまま頭を下げた。
するとサロンの中は沈黙した。リネット以外みんな唖然とした表情を浮かべていた。
その中で一番最初に口を開いたのはジャネットだった。
「レイクス様。都合のいい女とはいったいどういう意味ですか? リネット様は貴方の本命が現れるまでの風除けか何かなのですか?」
「違います。とんでもない。私は彼女となら一生添い遂げられると信じたから婚約したのです。都合がいいからなんかではありません。彼女がそんな風に思っていたなんて今初めて知りました」
レイクスは驚愕の表情をしたままこう返答すると、王太子が爆弾発言をした。
「えっ? そうなの?
私はてっきり、女性関係を面倒くさいと思っている君が彼女を利用しようと婚約したのかと思っていたよ。ご婦人方がそう噂していたから」
「「「 !!! 」」」
リネット以外の三人、いやお付きの侍女や侍従、護衛騎士まで鬼の様な形相をして、王太子を見た。
特にレイクスは、王太子の瞳を数分間睨み付けた後でこう言った。
「王太子殿下、貴方が私をどう思っていたのか、ようやく理解しました。
貴方は私のことを、私利私欲を捨てて王家に盲目的に忠義を尽くすことだけを至福だと考えている、そんな人間だと思っていたのですね。
だからあんな無茶な命令や要望を平気で押し付けてきたんですね。
しかも、私が顔色一つ変えなかったから、まだ私が満足していない、もっと仕事を与えようとさえ思っていましたね?」
「そうだ。だってそれは間違っていないだろう? 君がリネット嬢と婚約したのだって、一族の子爵の娘なら放っておいても文句は言わないし、逆らえないし都合がいいと思ったからだろう? 高位貴族の令嬢ならそうはいかないからね」
王太子の言葉に(そうですよね)とリネットが同意しようとした瞬間、
「「「そんなわけないでしょう!!!」」」
というレイクスとローリー、そしてジャネットの声が上がった。
「ご婦人方がなぜそんな風に思ったのかはわかりませんが、私は放置しても構わない相手だからとリネットを選んだのではありません。
彼女の笑顔が可愛くて、おしゃべりが楽しくて、彼女が好きで、ずっと一緒に生きたいと願ったから婚約したいと父に願ったのです。
それなのに私は、私の忠誠具合を確かめたいという、そんなつまらない思惑のせいでこき使われていたのですね。
そのせいで私は疲れ果て、私にとって一番大切なリネットを蔑ろにして、ずっと悲しませていたのかと思うと、貴方への憎悪と同時に自己嫌悪でおかしくなりそうですよ。
今この場で、私は貴方の側近を辞めさせていただきます」
「私はこれまで貴方の自分本位な考え方に散々振り回されてきました。
しかし、私が貴方を補佐し、他の方々と上手く関係が築ければ、どうにかフォローできると思ってきました。
しかし、忠誠を誓う家臣まで弄ぶような性根の腐った方だとわかった以上、もう貴方の補佐をすることはできません。
これまでの貴方の不貞行為の証拠も全て揃っていることですし、貴方の有責で婚約破棄させていただきます」
レイクスとジャネットに続けざまにこう言われて、王太子は何を言われたのか理解できずに、暫くポカンとしていた。
しかし、一番頼りにしている婚約者と側近に見放されたと気が付いて激昂した。
「そんな勝手が許されると思っているのか! ふざけるな! 人が下手に出ていればいい気になって。王太子である私に不敬だろう。
レイクスは私の奴隷だ。一生こき使ってやる。ジャネットもだ。お前みたいな頭でっかちで可愛げのない女なんて、私のお飾りとして王妃でいるしか生きる道がないだろう!」
するとそんな王太子の前に、レイクスの手を振りほどいて立ち上がったリネットが、両拳を固くにぎりしめて叫んだ。
「ふざけないでください。レイクス様はこれまで、殿下や国のために粉骨砕身尽くしてきました。
それなのに、貴方は彼をただの奴隷だとしか思っていなかったですって! そんなこと絶対に許せません。
家臣の忠誠心を利用して好き勝手をするような人間は、国のトップになどなってはいけません。
だいたい、貴方なんてレイクス様がいなけりゃ、他国との交渉どころか、挨拶一つまともにできないくせに!
しかもジャネット様のような素晴らしい才能の持ち主が、お飾りの王妃としてしか生きる道がないですって! 馬鹿じゃないですか!
貴男こそジャネット様がいなければお飾りの王太子、国王にしかなれないってことがわからないのですか!
そんなこと、貴族だけじゃなくて国民の常識だっていうのに」
ハァー、ハァーと肩で大きく息をしながら、リネットが一気にこう言い切った。
少しの間、王太子はまるで鳩が豆鉄砲をくらったような間抜け顔をして呆然としていたが、やがて再び激昂して自分の護衛騎士達に向かって叫んだ。
「ここにいる者達を全員、不敬罪で身柄を拘束しろ!」
しかし彼らは身動き一つしなかった。
「何をやっている、早くしろ!」
王太子にヒステリックに叫ばれた護衛騎士は、ジャネットの方を見て尋ねた。
「どうなさいますか?」
「オスカー様を王宮に連れ帰って、陛下にここであったことを伝えてください」
「了解しました」
騎士達は王太子の両脇を抱えた。
「何をする! 私はあいつらを捕まえろと言ったんだぞ。なぜ私の命令に従わないのだ!」
「我々はオスカー様よりジャネット様やレイクス様の指示に従うようにと、陛下から命じられています」
「なんだと!」
王太子オスカーは限界まで目を見開いた。そのときリネットの憤怒する顔が目に入り、彼女の言った言葉が真実だったことを思い知らされたのだった。
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