第6章 幼なじみに本音を漏らす子爵令嬢
リネットは大役を果たした。それなのにレイクスから婚約解消を拒否されてしまった。
しかも、
「それは私がリネットが好きだからだ。君との婚約は政略的な意味ではなく、私が父にお願いしたからだ」
と、わけのわからないことを言われて困惑した。正直意味不明だった。これまでの彼の行動のどこに自分への愛情があったというのか。
たしかに嫌われてもいなかったとは思うが、それは単に自分に対して関心がなかっただけだろうとリネットは思った。
そこまで考えて、彼女はレイクスにこう訊いた。
「事情聴取はないのですか? 私は事の経緯をお話しなくてもよいのですか?」
「えっ? ああ、できればお願いしたい」
レイクスの答えにわかりましたと言うと、リネットは彼に背を向けてスタスタと歩き出した。馬車が迎えに来るから待っていて欲しいと、彼が慌てて彼女を止めようとしたが、近いし歩く方が早いといって、彼女はそれを無視した。
すると周りの野次馬から、
「兄さん、頑張れよ!」
という声が上がった。
そうだ。頑張って彼女の信頼を取り戻さないと、本当に婚約解消されてしまう。
彼女の瞳からはあんなに溢れ出していた自分への愛情が消えていた。
なぜ? 以前はあんなに自分を好きでいてくれたのに。いったいいつ自分は彼女に愛想を尽かされたのだろう。
それがさっぱりわからなくて、リネットの後を追いながらレイクスは途方に暮れたのだった。
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その後リネットの予想した通りに、レイクスの名声は一段と高まった。しかもそれには、愛する婚約者を守るために極悪人と大立ち回りして逮捕したのだという、大げさな尾ヒレがついていた。
学院の卒業ダンスパーティーで、彼が彼女への愛を告白したことが影響していたのだ。
それなのに彼女の方は、同級生の男子学生に騙されかかった愚かな令嬢だというような評価をされた。今回の陰の功労者はローリーと彼女だというのに。
レイクスが卒業して二か月が経ち、様々な事件の後始末もどうにか目処がついてきたということで、お茶会が再開されることになり、リネットは久しぶりにスチュワード侯爵家に訪れた。
しかし、肝心のレイクスは急用ができたからと留守だった。それでも必ず戻るから待っていてくれと伝言して出かけたらしく、リネットは帰ることもできずにローリーに相手をしてもらった。
「近頃レイクス様の株はますます上がっているわ。つまり私との溝はさらに深まったということよ。
お前なんて釣り合わないと、またみんなに嫌味や暴言を吐かれるようになるのだわ。嫌になっちゃう。
レイクス様は毎日手紙で謝罪してくるけれど、本当に私に申しわけないと思うのなら、さっさと私と婚約解消してくれればいいのに」
珍しくリネットがこう愚痴ると、ローリーは少し困った顔をしてこう慰めた。
「そのことはもう心配しなくて大丈夫なんじゃないかな。兄上は大勢の人の前で君を愛しているって宣言したし、君を貶めることをしたらただではおかないと脅しもかけていたからね。
実はさ、兄上が学院内でリネットを無視していたのは、超忙しかったのもあるけどさ、例の男爵令嬢の魔の手から守りたかったという理由もあったみたいなんだよ。
まあそのクセ、その他大勢のご令嬢からリネットがひどい虐めに遭っていたことに気付けなかったんだから、言い訳にもならないんだけど。
つまり、兄上って英邁闊達、才気煥発、頭脳明晰とか言われてるけど、本当は不器用で少し抜けていてお馬鹿なんだ」
ローリーまで情けなそうにそう言ったので、リネットは笑ってしまった。なんだかんだ言っていても、彼が兄を愛していることが伝わってきて、少しだけ心が温かくなった。
彼は本当に優しい。
彼が幼なじみで親友で本当に良かったと思った。
しかしそれと同時にこんなことを思ってしまった。
もしレイクスと婚約を解消したら、ローリーとのこの関係はどうなるのかしらと。たとえ同じ一門の関係だとしても、これまで通りは難しいかもしれない。
もしかしたら侯爵様は許してくれるかもしれないけれど、侯爵夫人は無理だろうと思った。夫人からよく思われていないことはわかっていたからだ。
せっかく少し温まった心がまた少しずつ冷えてきて、リネットは遠い目をしてこう呟いた。
「それにしても、私達は愛し合っているだなんて、人前でよくそんな嘘を平気でつけたものね。意味がわからないわ」
「兄上は本当に君を愛しているよ。それは確かだ。それなのに、君の方はもう兄上を愛していないの? 昔は愛していたよね?」
「ええ、一年前まではね。冷たくされても無視されても、それでも愛していたと思うわ。でも、今はもう無理。
虐められてたことに気付かなかったですって? それは私になんて関心がなかったからでしょ。
レイクス様はずいぶん前から……そう、三年くらい前にはもう、私への気持ちはなかったと思うわ」
「なぜそう思うんだい?
兄上はたしかに言葉数は少なくなっていたかもしれないが、以前からずっと手紙を出していたし、贈り物もしていただろう?
それでもやっぱり信じられない?」
「一方的な言葉と手紙、そして贈り物になんの意味があるの?
私が手紙を送っても、返ってきた返事には私の手紙の中身については何も触れられてなかった。
ただ彼の書きたいことだけが、まるで箇条書きみたいに簡潔に綴られてあっただけ。私に返事なんか求めていない内容ばかりだったわ。
それはお茶会のときの私達の会話と同じ。彼は私の話なんて聞いていなかったし、私にも自分の用件を告げるだけ。彼は私に返事なんか求めていなかった。
三年前にね、レイクス様は私に、うるさいからしゃべるなと言ったわ。たしかにあの頃の私はしゃべりすぎだったと反省しているわ。
でもね、そのとき彼から、私はいつも一方的に自分の気持ちばかりを話して、彼の話を聞こうとはしていないと言われたの。
だけど、私はレイクス様のことを知りたかったから、会話をしたくておしゃべりをしていたのよ。決して自分の気持ちだけを押し付けようと思っていたわけじゃなかったわ。だからそう言われて、とても悲しかったの」
リネットの話にローリーは目を見張った。
「兄上はそんなことを君に言ったの?」
彼女は頷いた。
「レイクス様にしゃべるなと言われて、彼は私のことなんて知りたくもないんだわって思った。私には興味も関心も持っていないんだって。
ああ、政略結婚とはそういうものなんだと悟ってからは、お茶会へ行ってもなるべく話さないようにしたわ」
とリネットは続けた。
挨拶と近況報告をした後は話をすることもなく、難しそうな専門書を読む婚約者の正面に座って、彼女もただ黙って持参してきた文学書を読んでいたと寂しそうに笑った。
彼女と向かい合って静かに読書をしている時間が一番好きだ、幸せだと言っていた兄の言葉を思い出して、ローリーはため息をつきたくなった。
同じ時間を共にしながら、二人の思いは完全に擦れ違っていたのだ。
(この二人はそもそも相性が悪いのではないか? いや、婚約して三年間は本当に仲睦まじかった。
やっぱり彼女への『しゃべるな』がまずかったんだよな。おしゃべりが彼女の特徴なのだから。それを封じられたら本当の彼女じゃなくなる。
ただでさえ母上に余計なことは話すなと厳しく躾けられていたのに、兄にまで口をきくなと言われたら、彼女はどこで鬱憤晴らしをすれば良かったんだ!)
ローリーはリネットに同情した。そして二人はもう駄目かもしれないと思った。
もし、彼女が本気で婚約解消を望むのなら、たとえ兄に恨まれても友人として彼女に協力しようと心に決めた。
ちょうどその時、バン!!という大きな音と共にサロンの扉が開いた。そしてどこかへ出かけていたはずのレイクスが、勢いよく飛び込んで来たのだった。
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