第3章 子爵令嬢との愛を叫ぶ婚約者
リネットが学院に入学してみると、レイクスはどうしたことか、とある男爵令嬢の取り巻きの一人になっていた。
ただし、頬を染めてうっとりと男爵令嬢を見つめる他の取り巻きとは違い、彼はいつも精巧に作られた人形のような微笑みを浮かべていた。いわゆるアルカイックスマイルだ。
この二年はほとんど会話もしなくなっていたが、彼とリネットは幼なじみである。それ故にそのほほ笑みがどうしても嘘くさく感じられた。
しかも取り巻きの中に、なんとにこやかに微笑む王太子まで交ざっていたので、なんとなく彼の行動の意味に見当がついた。
彼の弟のローリーもやはりそのことに勘付いていたらしく、兄に向かって余計な口出しは一切しなかった。
ただし、レイクスがリネットの存在を無視していたことには腹を立てていたので、そのことについては色々と兄に意見していた。
しかし、結局レイクスの態度が改まることはなかった。
リネットは入学してから一度も婚約者から声をかけてもらえず、視線を合わされることもなかった。
侯爵家には定期的には通っていたが、お茶を共にすることはなかった。
そしてそのまま一年が経ち、レイクスは卒業の日を迎えた。
彼は卒業生代表として堂々と答辞を読み、無事式典を終えた。そしてその後すぐに彼は、生徒会主催の卒業ダンスパーティーのパートナーを探した。
レイクスは目を皿のようにしてホールを歩き回った。しかしなかなかその人物が見つからずに、珍しく彼は焦った。
「ファーストダンスが始まってしまう。いったいどこにいるんだ!」
あまりにも彼が険しい顔をしていたために、彼に声をかける者は誰もいなかった。
そして無情にもパーティーの開始のベルの音が鳴ってしまった。しかしその瞬間、会場に大きなざわめきが起こった。
何事かと振り向いたレイクスは、想定外の人物を目にして唖然とした。
いったい何が起きたのかというと……
卒業生である王太子と婚約者の公爵令嬢が、ダンスを踊ろうと手を繋いだ瞬間に、なんとピンク頭の男爵令嬢がやってきて、王太子の腕を掴んだのだ。
そしてまずは私と踊って欲しいと言ったのだ。いつものように甘えるように少し小首を傾げて。
彼女は断られることはないとばかりに、王太子の腕を自分の方へ引っ張った。
「オスカーさま、どうして今日はエスコートしてくださらなかったのですか?
ドレスも新調してくださるとおっしゃったから待っておりましたのに、なぜ約束をお破りになったのですか。今回私は少し怒っておりますのよ。
綺麗なドレスを着てオスカーさまとダンスをして、その後王宮へ伺って、国王陛下や王妃殿下に二人でお会いするのでしょう?」
「なぜ私が君とダンスを踊り、その後王宮へ行かねばならないのだ?」
「なぜって、オスカーさまは今日、私を婚約者として陛下にご紹介してくださるおつもりなのでしよう?」
「これは異な事を言う。私にはオールド公爵家のジャネット嬢という立派な婚約者がいる。
それなのに、なぜ君が私の婚約者などという嘘までついて、陛下や妃殿下に紹介しないといけないんだ?」
「なっ! オスカーさまはいつもいつも、公爵令嬢様のことをニコリともしない、可愛げのない冷たい女だと愚痴っていたではないですか!
そして卒業式の前までには彼女との関係をどうにかしなければならないとおっしゃっていたではないですか!」
男爵令嬢は、自分が思い描いていた展開と違うことに焦りの色を見せながらも、グイグイと王太子の腕に自分の胸を押し付けながら、彼の目を見つめた。
するとこの一年、笑顔で苦言を呈してきた公爵令嬢も、さすがに笑みを消して、王太子と男爵令嬢を睨み付けた。
扇子を持っていなかったので、怒りを表している口元も隠せてはいなかった。いや、そもそも隠すつもりもなかったのだろう。
それを見た王太子はさすがにこれはまずいと思った。
これ以上婚約者を怒らせれば廃嫡もあり得ると、先日父である国王に釘を刺されていたからだった。
彼は必死に冷静さを保ちながらこう言った。
「たしかに君に婚約者の話をしたけれど、あれは愚痴なんかじゃない。一種の惚気だ。
私は天邪鬼で屈折していてね、好きな女性につんけんされると却ってかわいく思えてしまう質なんだよ。
卒業式までになんとかしなくてはいけないと言ったのは、彼女との仲を修復させなくては、という意味だったんだ。
せっかくの卒業パーティーでは、愛する婚約者と楽しく踊りたかったからね」
「そんな!」
「君は私より騎士団長や宰相、それに聖堂会の司教の息子達と仲が良かったではないか。それなのになぜ急に私と踊りたいなんて言い出したんだい?」
「あのお三人とはただのお友達ですわ。それにこのところ彼らは学園をお休みしているし、今日だって卒業式だというのに姿が見えないのですよ。友人の一人として私も心配しているのですが」
「心配? そんなものはいらないよ。彼らは緊急入院していたんだが、その後なんとかみんな回復して、今はリハビリに励んでいる。直に回復するだろうし、彼らに見舞いは必要ないよ」
「良かったぁ。それでは彼らの体調が戻ったら、またみんなで遊びに行けますね」
「残念だがそれは無理だろう。彼らは退院したら辺境の聖堂や領地や騎士団で働くことになっているからね」
「まあそうなんですか?
ではオスカーさまとレイクスさまとで出かけましょう。
レイクスさまったら最近ずっとお会いできなかったんですよ。あんまり冷たいから私は少し腹を立てていますの。プレゼントを頂いたこともございませんし」
「なぜ私が君に贈り物をしなくてはいけないんだね? 僕がプレゼントする女性は、母と祖母と婚約者のリネットの三人と決めているのに」
背後から突然男性の声がしたので、彼女が驚いて振り向くと、そこには王太子の側近になることが決まっているレイクスが、いつの間にか立っていた。
そしていつものように、まるで氷のように冷たい視線で彼女を睨みつけていた。
しかし彼女はそんな冷たい彼の視線など気にもせずに、再び媚びを売るように体をしならせながら言った。
「まあ、レイクスさま。どちらにいらっしゃったのですか? 私、ずっと探していたのですよ」
「私は君に名前呼びを許してはいない。愛する婚約者に誤解されると困るので、家名で呼びたまえ」
「愛する婚約者ですって! その人はレイ……スチュワード侯爵令息さまにとって単なる『都合のいい女』なだけで、本当は私のことが好きなのですよね?」
「はあ? 何わけのわからないことを言っているんだ。頭に花でも咲いているのか?
それとも頭にウジでも湧いてるのか? お前みたいなやつを好きになるわけがないだろう!
私が愛しているのは、幼いころからずっと婚約者ただ一人だ。そして彼女も私を愛してくれている。つまり私達は両思いの関係だ。
それなのに何が『都合のいい女』だ。彼女を貶めるような発言をする奴は容赦しない」
普段寡黙で冷静なレイクスが珍しく声を荒げたので、その本気度が伝わったのか、男爵令嬢だけでなく、何故か多くのご令嬢達が青ざめた。
そこへ近衛騎士がサッと現れて、男爵令嬢を両脇から逃げられないように確保した。
「なに? 誰? どうして私を?」
「王太子殿下に対する不敬罪で身柄を拘束する」
「えーっ、なんで?」
「先ほどからずっと許可なくして王太子殿下の名を呼び、勝手に腕を掴み、まるで恋人かのような振る舞い、どれをとっても不敬だろう」
男爵令嬢は甲高く喚き散らしたので、口に猿ぐつわをされてホールから連れ出された。
そして茶番劇が終わると同時に再び室内楽団が音楽を奏で始めたので、卒業生達はようやくパートナーとともに踊り始めた。
劇の渦中にいた王太子と婚約者の公爵令嬢も。
レイクスも婚約者と踊りたくてホール中探し回ったが、とうとう最後まで彼女を見つけられなかった。
結局彼は誰とも踊ることなく、たった一人で卒業パーティーを終えたのだ。
彼のこの三年間の学院生活は、最初から最後まで王太子のせいで散々なものになったのだった。
読んでくださってありかどうございました!