第2章 都合がいいと言われた子爵令嬢
リネットは十歳のときに、二つ年上のレイクスと婚約をした。そして月に一度スチュワード侯爵家のお茶会に呼ばれていた。
そんなある日、彼女は偶然、侯爵とレイクスの弟ローリーのこんな会話を耳にしてしまった。
「お父様はなぜお兄様とリネットの婚約をお許しになったのですか?
お兄様はびもくしゅうれい、
えいまいかつたつ、
かんぜんぜつご、
の頭脳や体力があるのに、なぜあんな取り柄もなんにもなく、飛び抜けた美人でもない、平凡な子爵令嬢なんかと婚約したのですか?」
(それ、私も聞きたい。あんなにお綺麗で優秀で格好いいレイクを、こんな自分なんかと婚約をさせたわけを)
「眉目秀麗、英邁闊達、冠前絶後って、誰かにそう聞けと言われたな」
「えへへ、無理やりに覚えさせられたんです。お母様に。
でも前から叔父様や叔母様やよそのおばさん達にも聞かれていたんですよ。
僕は別に不思議じゃないんだけれど。だってリネットは幼馴染だし仲良しだし、素直でかわいいもん」
「そうか。お前はリネット嬢を認めているんだな。それは良かった。彼女と仲良くしてくれ」
「はい。それで理由はなんなのですか?」
「リネット嬢はレイクスや我が侯爵家にとって結婚するのに都合がいいご令嬢だったということかな」
「都合?」
『都合がいい』とは、状況が好ましい、うまくいくという意味で、侯爵は当然そのような意味合いで使った。
スチュワード侯爵家は建国以来王家を支える名門中の名門。これまで王家との婚姻関係は一切ないが、それでもずっと国家の中心にいた。絶えずいずれかの要職に就き、国王の側近を務めてきたのだ。
そんな家だったのでいつの時代においても、縁を結びたがる者達が多かった。
ところが、この家の嫡男の結婚相手選びは当主の一存で決められ、たとえ配偶者であろうと口出しはできないという家訓があった。
しかもその基準があやふやで、どうやって決められているのか、誰にもわからなかった。
侯爵家の家格にちょうど合った家の場合もあれば、不釣り合いな場合もあった。裕福な家もあれば貧しい家もあった。
絶世の美女が花嫁になったこともあったし、平凡ながら愛想がいい花嫁もいた。才女タイプもいれば社交好きの華やかなタイプもあった。
だからこそ、次期当主のレイクスの婚約者にはどんなご令嬢が選ばれるのかと、みんな注目をしていた。
すると想定外のご令嬢が婚約者に選ばれたので、なぜ彼女なのかと皆不思議に思ったのだ。
というのも当時のリネットは、現在の喜怒哀楽をほとんど表さない寡黙な彼女とは違い、とても高位貴族の夫人が務まるとは思えない、とにかく明るくておしゃべりで元気のよい少女だった。
だからこそ、なぜ彼女が選ばれたのかを疑問に思った人々が、ローリーを使って聞き出そうとしたわけだ。
二人の会話でリネットは、自分がレイクスやスチュワード侯爵家に都合が良かったから婚約者に選ばれたのだ、ということを知った。
しかし当時の彼女はそのことを別になんとも感じなかった。ただそういう理由なんだと思っただけだった。
しかし、十五歳のときに王都の学院に入学して間もなく、なんと彼女はその言葉の洗礼を受けることになった。
「まあ、あの方がレイクス様の婚約者なの? 信じられない」
「子爵令嬢なのに婚約者に選ばれたというから、さぞかし素晴らしいご令嬢かと思っていたら、ずいぶんと平凡なのね」
「可愛そうに、きっとあの子、レイクス様にとって都合のいい子だったから婚約者に選ばれたんじゃないの?」
「どういう意味?」
「女性除けよ。
ほら、多くのご令嬢方からお熱を上げられて、レイクス様はいつも困っていらっしゃるでしょ? そしてご令嬢のお誘いを断るときの理由っていつも……」
「「「僕には婚約者がいるので……」」」
みんなが口を合わせてそう言った。
(ああそうか、私はレイクス様の女除けだったのか。つまり、本命が現れるまでの仮の婚約者だったのね。家門の子爵家の娘だから、婚約破棄だって簡単にできるし)
そうリネットは悟った。
たしかに侯爵様は「都合がいいご令嬢だったから」とローリー様に言っていたと。
(最初は私を快く思っていなかった侯爵家の親族の皆様も、そのうち悪口を言わなくなったし、憐れむような目で私を見ていたわ。つまり同情されていたということなのね)
そうか。
リネットは全てを理解し納得した。
二年前くらい前までのリネットは、うるさいからあまりしゃべるなとレイクスから言われていた。お茶会の席だったというのに。
話をしないとわかりあえないでしょう、と言うと、君が一方的にしゃべっているだけじゃ、僕が君の気持ちをわかっても、君が僕の気持ちをわかるわけではないだろう? なんの意味がある?と。
彼女が一方的にしゃべっていたのは本当のことだ。
しかしそれは決してリネットがわかってちゃんだったからではなかった。自分が話しかけることで彼にも話してもらいたかったから、一生懸命話しかけていたのだ。
そう。会話をして彼のことを知りたかっただけなのだ。彼が以前とはずいぶんと変わってしまったから。
婚約したばかりのころの彼女はかなりおしゃべりだった。
ところが、侯爵夫人から侯爵夫人になるための教育を受け始めてからというもの、リネットの口数が次第に減っていき、やがて自宅から一歩でも出たら余計な話は一切しなくなっていた。
しゃべっていいことと悪いことの判断ができるようになるまでは、外ではあまり話をしないように。
侯爵家の恥にならないように、迷惑をかけないようにしなさい、と夫人から厳しく言われていたからだ。
しかし、レイクスにまでしゃべるなと言われて彼女は気が付いた。
たしかに子供のころは仲が良かった。彼も自分を思ってくれていたと思う。
しかし今の彼は、自分のことなどなんとも思っていないのだと。
なぜなら、今も自分を好きでいてくれるのなら、今の自分のことを知りたいと思ってくれるはずだから。
(これから結婚して家庭を築くことになるのに、私に興味も関心もないなんてあんまりだわ。
あっ、政略結婚には愛情なんていらないのか。そうか、そういうことか!)
と、リネットはようやく納得したのだった。
それからのリネットは、お茶会へ行ってもほとんど口をきかなくなった。ただ黙って難しそうな専門書を読む婚約者の正面に座って、彼女も持参してきた文学書を読んだ。
目を合わすこともなく、挨拶と近況報告以外は話すこともなく。
そして学院に入って、自分がなぜレイクスの政略結婚の相手に選ばれたのかを知ったのだ。
それは単に自分が彼に、そしてスチュワード侯爵家に『都合がいい人間』だったからなのだと。
その後、リネットはなるべく周りの目に触れないように、ひたすら目立たないように地味に過ごそうと思った。
そしてレイクスともなるべく接触しないと決心したのだが、それを実行することは思いの外簡単だった。
なぜなら、レイクスの方もリネットに一切関わろうとはしなかったからだ。
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