第1章 婚約解消を望む子爵令嬢
とにかく会話文が多いので、嫌いな方はご注意ください。
第1章
「いやっ、離して!」
「どうしたんだよ! 騒ぐなよ。ただ芝居を見に行くだけだよ! 今話題の芝居を観たいと行っていただろう?」
「あなたと観に行きたいという意味で言ったわけではありません。純粋にあのお芝居が観たかっただけです」
「だからそれを俺と行こうと言ってんの。女一人で芝居観に行くなんて惨めだろう?」
「観たいものがあるのなら私は一人でも行きます。なぜ一人だと惨めなんですか?
それに、婚約者でもない男性と二人で馬車に乗って芝居になんか観に行くわけないでしょう?」
「あんたの婚約者って、あのピンク頭の男爵令嬢の周りにはべっていた奴らの一人なんだろう? あっちだって浮気していたんだから、あんたが俺と付き合ったって文句言われないだろう? ほら、乗れよ! 俺のこと好きなんだろう? そう言ったよな?」
「それは友人として好きだと言う意味です。話の前後でそれくらい理解できますよね。それなのに、まさかそんな曲解をするくらい言語能力の低い方だとは思いませんでしたわ」
「なんだと、このアマ! 人が下手に出ればいい気になりやがって! やっぱり口の立つ女は面倒で可愛げがないな!」
「あはは! 何が俺惚れられて困ってるだよ。学院なんてお上品なところに潜り込んでぬるま湯に浸かってるから、お前いい気になり過ぎたんだな。この前の女も顔だけ良くてなんにもできねぇから、躾けるのに手間がかかって大変だったぜ」
「かといってこんな貧乏くさい令嬢じゃ身代金は期待できそうにねぇし、こんな気が強くて色気がねぇんじゃ店でも使えねぇ。お前だけじゃなくて俺達も顔見られたし、隣国に奴隷として売るしかねぇな。もっと使える女ひっかけてこいよ」
「いや! 触らないで!」
「早く馬車に乗せろ! まずい、人目につくぞ」
友人だと思っていた男と、建物の陰から現れた二人の男によって無理矢理に馬車に連れ込まれそうになったリネットは、女性の最大の武器であるヒールを使い、高速タップで男達の足を次々と踏み付けた。
「「「うんぎゃあー!」」」
男達の甲高い悲鳴が上がり、なんだなんだと周りに人が集まってきた。
これはマズイと涙目の男達は慌てて御者席と馬車に乗り込もうとしたが、いつの間にかすでに警邏の騎士達によって取り囲まれていた。
「ちくしょー、リネット、覚えてろよ!」
「覚えておくわけないだろう! 今後一生会うことはないんだからな。あの世で女性達に詫び続けろ!」
縄で後ろ手に縛られた男三人は警邏隊に引っぱられて姿を消し、やがて主のいなくなった馬車も騎士達の手でどこかへ運ばれて行った。
狭い裏通りに残されたのは数人の野次馬とリネット、そして男達に最後の言葉掛けをした若い男だった。
「怖かっただろう。もう大丈夫だ。あいつらは二度と表社会には現れない」
「そうでしょうね、今回は現行犯逮捕ですもの。これでようやく他の事件も立件できるでしょう。お役に立ててなによりですわ」
彼女の言葉に男は目を見張った。すると彼女は久し振りに男の目をしっかり見つめてこう言った。
「誘拐並びに人身売買犯の逮捕に少しでも協力できて良かったです。最後に義理も果たせたことですし、これで私も役立たずと批判されることもないでしょう。
ですからこれで婚約解消してください」
彼女の瞳からはかつての彼への思慕は消えていた。二年前まではたしかに愛情が溢れていたはずなのに。
こうなる可能性はわかっていた。長い間ずっと彼女を放置していたのだから。
いや、そんなことになるわけがないと思い込もうとしていた。彼女が自分を嫌いになるはずはない。自分をずっと好きでいてくれるものだとそう信じていた。
「婚約解消なんてしないよ。する理由がない」
「あるでしょう。私は婚約者がいる身で男と二人で馬車に乗って、芝居の観劇に出かけようとしていたのですよ。不貞です。解消が不満なら破棄でも構いません。
でも慰謝料は必要ありませんよね? 貴方もあの男爵令嬢様と楽しく過ごされていたのですから、お互い様でしょう?」
「僕は不貞など絶対にしていない。それは君も同じだ。あの男との会話は聞いていた。あの男とはただの友人関係で、観劇の約束などもしていなかった」
「あの会話を聞いていたのにすぐに助けに入ってくださらなかったということは、やはり私は囮だったのですね。
まあ、最初からわかっていてこちらも協力したのですが」
「リネット、知っていたのか?」
「ええ、もちろん。でなかったらこんな裏通りを女一人でなんか歩きませんわ。これでも私は、貴方の想い人のように自由奔放な性格ではありませんもの。
長い付き合いなのですから、いくら私に興味がなくなっていたとしても、それくらいは理解してくださっていると思っていました。
それなのに、そうではなかったようで残念ですわ、スチュワード様」
「違う、違う。
何もかもが違う。
なぜ家名で呼ぶ? 僕達は婚約者同士だろう? 前のようにレイクと呼んでくれ。
僕は本当に不貞などしていない。詳しいことは今は言えないが、時がきたら必ず説明するから、それまで僕を信じて待っていて欲しい」
「レイクス様をレイクと愛称呼びをしたのはずいぶんと昔のことで、今さらそんな呼び方はできませんし、婚約解消を望んでいるのですから、家名呼びが妥当だと思います。
それと、説明は結構ですわ。事の経緯は王太子殿下と婚約者のジャネット様からおおよそのお話をお聞きしたので、ある程度は理解しておりますから」
「それなら、なぜそんな皮肉を言うのだ」
「嫌がらせ?でしょうかね。私ばかり嫌な思いをするなんておかしいもの。私はもう、以前の素直で素朴な性格ではありませんもの。
貴方の知らないうちに、ただのおしゃべり好きではなくて、男性を徹底的に言い負かすのが趣味の嫌な女になったのです。
それに比べて貴方は、元々高名だった上に、例の男爵令嬢の魅了の魔の手から王太子殿下を救出したこと、そしてさきほど人身売買目的の誘拐犯を捕まえたことで、さらに評価が高まることでしょう。
つまり、名門侯爵家のご令息でしかも有能な貴方に、悪名高い私は不釣り合いなので、そろそろ身を引かせていただきたいのです。
すでに王女殿下や公女様ともお手紙のやり取りをしているとお聞きしていますし、私はもうお邪魔なだけでしょう?」
「どうしてそれを?」
「どうしてもなにも、以前ご本人達から直接お聞きしましたもの。
名前だけの婚約者なのだから、未練がましくしがみついていないで、彼を自由にしてあげて欲しいと言われました。
それを聞いて私ももっともだと思いました。ですから婚約を解消して欲しいと申し上げているのです。
お二方は親切にも、子爵令嬢の私にふさわしいお相手を紹介してくださるそうですよ」
「なっ!
我が侯爵家から苦情を申し入れて謝罪を要求する」
「そんなに事を荒立てることはありませんわ。いつものことだし私は気にしませんもの。ただ縁談はお断りしましたけれど。
まったく余計なお世話です。いくら高貴な方々でも、さすがにふざけるなと思いましたわ。
私の道は私が決めます」
「あれは手紙をいただいたから礼儀としてその返事を出しただけだ。そこに深い意味はないんだ。
僕には君しかいない。婚約解消などあり得ない」
「そうですか。
下位の私からではいくら婚約解消を望んでも、それが無理なことはわかっていました。
だから貴方の方からしていただこうと思ったのですが、駄目ですか……
でも、なぜそうも私との婚約の継続を望まれるのですか?
そもそも同じ一門ですし、我が家は昔から侯爵家に忠誠を誓っているのです。今さら政略結婚をする必要はないと思うのですが」
「そ、それは、もともと政略のための婚約などではないからだ。
僕がリネットを好きで、君と婚約したいと僕が父にお願いしたからだ」
その言葉を聞いて、これまで無表情を貫いていたリネットの表情が驚きの色に染まった。
なぜなら自分との婚約は、レイクスとスチュワード侯爵家にとっての政略的なもので、単に『都合がいい』からに過ぎないと思っていたからだ。
三万文字程度の話です。
一応完結させているので、早めに投稿する予定です。
第1章を読んでくださってありがとうございます。最終章まで読んでいただけると嬉しいです。