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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
二章 にわか夫婦の逃亡
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四.

「鎮めの巫女様も、神護りも。今ではもう、いらっしゃらない生活なんて考えられないねえ」


 神護りはその昔、水穂国がおこる前から美原でたびたび暴れていた荒ぶる神を鎮めた。

 水穂国が無数の国から頭抜ずぬけ、今日まで繁栄を続けてきたのは、この荒ぶる神を神護りが美原の本土から曲島へ移し、まつったからだという。


「今じゃ、一族の当主を頂点として、本家に分家、その下に仕える人間まで含めたすべてを神護りと呼んでるねえ。遠坂とおさかの本家のご当主となれば、この水穂国では大君の次に高い地位にいらっしゃるんだよ」


 現在では、神護りは日々の祭祀さいしの執り行いや供物の用意など、およそ荒ぶる神に関わるいっさいの物事を取り仕切る。彼らの務めには、鎮めの巫女の選定や維持も含まれる。


「神護りはそんなに多いのか。では、この村にもいるのか?」

「ここは僻村へきそんだからいないけど、もう少し大きな村なら、たいていはいらっしゃるよ。ここ二、三日ほどは主様の島にお務めに行かれてるようだけどねえ」


 すぐに見つかる恐れはなさそうで、ハルは胸を撫でおろした。

 とはいえ、ほとんどの村に神護りが置かれるのであれば、気を抜けない。


「私は神護りが嫌いだ。あいつらのいない場所に行きたい」

「あら、嫌な目にでも遭ったのかい? そういえば一箇所だけ、神護りの方々でも立ち入りを許されない場所があるって聞いたことがあるよ。行くならそこしかないだろうねえ」

「なんだって? どこだ」


 ハルは身を乗りだした。ほんの雑談のつもりだったようで、君代が目を丸くする。まさか食いつかれるとは思わなかったらしい。「えーっと」と、君代は遠くを見るようにして考えこむ。


「ずいぶん前に聞いた話だからねえ……」

「思い出してくれ!」


 ハルは食い下がったとき、村の女たちが籠いっぱいに洗濯物を入れて小川へ来るのが見えた。

 




 洗濯にやってきた女たちの年齢はまちまちに見えた。ハルより下の十五くらいから、二十代半ばほどの娘もいる。この小さな村では皆が親しい付き合いのようで、互いに声を弾ませながらやってきた七人ほどの彼女たちは、しかしハルを目にしたとたん視線を険しくした。


「君代さん、このひとは?」

「私の遠い親戚の子だよ。結婚したっていうんで、挨拶に来てくれたんだ。しばらく滞在予定だよ」


 矢傷については誰にも口外するなと、由良があらかじめ君代に頼んでいる。そして名波の山を越えてきたことは、君代にも話していない。


 女たちは、ハルたちとは少し離れた上流に洗濯の場所を構えると、洗濯物を足で踏み洗いしながら、内輪で話し始めた。


 最初は気に留めなかったが、粘ついてじめじめした視線が何度も向けられる。それは主に、ハルの顔や髪に向けられたもののようだった。


「なんだ? 私に言いたいことがあるなら言え」


 ハルはたまらず立ちあがり、女たちに向かって声を張った。いっせいにふり向いた女たちが眉をひそめる。


「……別に? 君代さんが今、大事な時期だってわかってて来るなんて、図々しいのね」

「なんだ、そんなことか。知らなかったんだ、悪い」

「じゃあ今すぐ帰れば? 君代さんに迷惑だと思わないの?」

「君代は迷惑だと言わなかったぞ?」


 女の目が吊りあがった。


「そういうことじゃないでしょ!?」

「じゃあ、どういうことなんだ?」


 奥歯に物が挟まったような回りくどさを感じる。ハルがもっとも苦手とするものだ。出会ったばかりで敵視される理由もさっぱりわからない。


「あのね……!」


 ハルとしては理解できないものを素直に尋ねただけだったが、雰囲気は険悪さを増した。


「あんたたち、あたしは迷惑だなんて思ってないよ。ハルは追いはぎに遭ったんだから、しかたないだろう?」

「追いはぎ……」


 君代が口を挟むと女たちは気まずそうに口をつぐんだが、ひとりがぽつりと言うのがハルの耳に入った。


「――いい気味」

「おい、なぜ私が追いはぎに遭うと『いい気味』なんだ?」


 露骨な敵意の理由を明らかにしようと返し、その場が凍ったとき、場違いに気の抜けた声が割って入った。


「ああもう、ハルってばもうなんかやらかした? ごめんね? ハルのやつ、態度は大きい上に、言葉を選ぶってことを知らないんだよ」


 由良が軽い足取りでやってくる。場の空気がふっとゆるんだ。

 それは単に由良の見目がよいからだけではなく、彼の持つ、ひとを和ませる雰囲気のおかげであるらしかった。ハルの肩からも力が抜ける。


「ただ、素直なのはたしかだから、君たちがいろいろ教えてくれたら助かる。ついでに言っておくと、こんなだから話すときは君たちも遠慮しなくていいよ」


 由良はたちまちのうちに場の空気を変化させてしまった。目をみはるうち、和やかな談笑が始まる。


(これは由良の才なのか?)


 ハルの視線に気づいた由良が、笑って手招きした。ハルも輪に入り、女たちと改めて話をすれば、いつしか時間が過ぎる。


「やだ、ハルったら! 草履を履いてないじゃないの」

「追いはぎのせい? ひどっ! うちに予備があるからあげる」

「爪に土入ってるわよ! 川で洗っちゃって!」


 女たちはかしましい。さっきまでの険悪な雰囲気が嘘のように、あれやこれやと気にかけられる。

 ハルは、由良との出会いやどこが好きかといった質問が立て続けに浴びせられた。若い娘にとって最重要事項らしい。いずれも由良がそつなく答えたので、ハル自身はただ任せていればよかったが。


 女たちの直近の関心事はもっぱら歌垣うたがきと呼ばれる行事で、妙齢の男女がいい相手を見つけるために集まって歌い合ったり踊ったりするのだという。


 ハルには想像もつかなかったが、女たちはその日のために身を飾り立てるのにも余念がないらしい。


「私、その日はとっておきの瑪瑙めのうの玉飾りをつけようと思うの。うっとりするほどつややかな萌葱もえぎ色なの」

「えー! いいなあ、それってこの前、行商に来たひとから買ったやつ?」

「ううん、母さんが貸してくれるって」


 若い娘の関心事とは無縁で暮らしてきたからか、話を聞くだけで楽しい。

 神護りに十七の祝いだと渡された玉も脳裏をかすめたが、ハルはそれをすぐに頭から追いだした。取りに戻る気はさらさらない。


 だが、いつか落ち着いたら玉飾りを手に入れるのもよいかもしれない。そう思うことは、ハルの胸を普通の若い娘とおなじように弾ませる。いつしか、ハルも娘たちに劣らない熱心さで、彼女らの歌垣での服装や飾りを検討していた。由良がその様子を驚きをもって見ていたのにも気づかない。


 皆、由良があいだに入ってからは、和気藹々《わきあいあい》とした雰囲気で洗濯を終えた。

 ハルが、濡れた衣を籠に放りこんで立ちあがると、由良が横からひょいと籠を取りあげた。


「ハルってば、やっかみを向けられたのに気づいてなかったでしょ」


 先にふたりで洗濯場をあとにすると、由良が思い出したかのように喉の奥で笑う。


「やっかみ?」

「そ。この女は自分たちと違うって、無意識に察してたみたいだよ」

「神依りであることは隠してるぞ」


 ハルは君代にもらった小袖を見おろす。うまく村の娘に化けたつもりだが、違うのだろうか。


「そうじゃなくて。ハルは視線が強いんだよ。でもって村の娘のような芋臭さがないから、敵認定されたってところかな。歌垣が近いせいもあっただろうし」

「そんな理由で敵になるのか? 理解しがたいが、面白いな」

「面白い?」

「敵意であれ、生身の相手に感情をぶつけられるのは得がたい経験であった」


 由良が口を閉ざしたので顔を覗きこんでみれば、なんとも形容しがたい微妙な表情をしている。ハルは言い直した。


「芋臭さはどうやったら手に入るか知らんが、これからは初対面の相手を見るときは視線を明後日の方向に向けてみる」

「……ま、やってみたら?」

「ところで、やっかみとはなんだ?」


 由良が一拍どころかたっぷり五拍分ほどのを置いた。


「……この話、最初からやり直そうか」





 君代の家に寄って、外に出された竹竿たけざおに洗濯物を干す。といってもハルは足を庇いながらだったので、干したのはほとんど由良だ。そのあいだに、洗濯場で一緒になった娘のひとりが草履を持ってきたので、ハルはようやく上から下まで村の娘らしくなった。島では裸足で過ごしていたので、ハル自身は違和感が拭えなかったが。


 干し終えて借り家に戻ろうと、ハルが杖を手に由良を追うと、由良の歩みが心持ちゆっくりになった。


「お前は、やっと普通に戻ったな」

「ん?」


 ここ二日ほどだろうか。ハルに対する由良の態度にわずかな強張りがあったのを、ハルは気づいていた。


「私に嫌気がさしたかと思っていたから、お前が普通に戻って安心した」

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