表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
六章 巫女は春の名を呼ぶ
38/41

七.

 神護りたちが、ようやく対岸と繋がりそうな神続きの道を我先にと逃げる。しかし大波が神続きの道をのみこみ、彼らは立ち往生した。小舟は、とうに波間に消えている。


 どうすればいい。


(意識があるんだ、なにかできるはず! 主様! 頼むからやめてくれ! 鎮まってくれ!)


 ハルはぐっと手足に力を入れる。だがやはり、ろうで固められたかのようにぴくりともしない。


(せめて名寄せの弓矢があれば……)


 喰われたくはない。だが少なくとも、代替わりを行えばこの厄災は終わらせられる。瀬良たちは助かる。

 瀬良を助ける気があるのかと問われれば、うなずけるものではない。しかし、神護りが生き残れば由良が助かる可能性も皆無ではない。


 それだけではない。

 荒ぶる神が暴れるままにすれば、水穂国全土に災厄が広まる恐れがある。


(弓矢はどこだ……っ!?)


 唯一自由になる視線だけをめぐらせ、ハルは必死で周囲を探る。吹き荒れる暴風はハルを中心にして起きているらしく、ハルの周りだけは奇妙にいでいた。


 名寄せの弓矢は足下に落ちていた。

 ハルは、ままならない手足に意識を集中させる。いかりをつけられたのかと思うほど、重い。あるいは土壁を指一本で崩そうとするかのようだ。


 こめかみに汗が流れる。奥歯を噛みしめ、ハルは屈もうとする。骨が軋み、今にも砕けそうだった。


(痛いっ!)


 骨ごと握り潰されそうな気分になりながら、足下に手を伸ばす。


 外からは、その光景は滑稽こっけいに見えただろう。その場にただしゃがむだけのことができず、ハルは全身を震わせる。

 しかし誰ひとり、その様子に気づいた者はいなかった。皆、曲島から逃げることしか頭になかったのである。


(なんとか……頼む!)


 骨がみしりと悲鳴を上げるのも構わず、ハルはなおも手を伸ばす。

 ところが、何者かが足下の矢をかっ攫った。


(は……!? ちょっ、返せ!)


 忽然こつぜんと消えた矢を前に、ハルは呆然とした。ところがその何者かはすぐに戻ってくる。


「みゃあ!」

(フユ……! おい、さっきのやつ返せ……っ)

「みゃあ?」


 黒猫は出会ったときとおなじ金色の目でハルを見つめると、ハルの目の前で悠々と弓を咥えた。一歩も動けないでいるハルを尻目に、すたすたと暴風の中へ戻っていく。


(フユ! 嘘だろう……?)


 ハルは呆然とした。飼い主に似てひょうひょうとした動きを微笑ましく思うまもない。弓矢が取られてしまった。


 身ひとつで、どうやって荒ぶる神を止めればいいのか。忙しなく思考を働かせるが、今度はフユではなく瀬良がにじり寄ってくるのが目に入り、ハルはわれに返った。


「兄上には僕がいないと……代替わりに失敗すれば、兄上が責められる……だから巫女様、あなたにはここで死んでいただかなければ……」


 瀬良が猛烈な風の中、じりじりと這い進む。強靭な精神力、いや執念だった。

 その手には、ハルが由良に返してもらったはずの小刀。


(代替わりできないから私を殺す? それこそ、ゆえが赤子を殺したときのように災厄が止まらなくなるぞ!)


 しかしハルは微動だにできず、ただ刃の先がきらめきながら迫るのを覚悟し――。


「ハル」


 細い、糸のような声を耳が捉えた。

 ハルを囲う分厚い膜が、わずかに揺らめいた。


(……由良!?)


 ハルは目を見開く。しかし同様に驚きをにじませた声は、ハルのものではなかった。


「由良!? なぜまがいが、ここに」


 瀬良は振りあげた小太刀ごと、由良に手首をひねられていた。


「そんな顔しないでよ、瀬良。俺だって驚いてるんだからさ、洞窟では俺を突き落としてくれてありがとう」


 いつも綺麗に縛られていた由良の髪が、暴風に乱れる。濁った膜の向こう、ふたりの顔が等しくうかがえた。

 驚いていると言うわりに、由良の口調は普段と変わらない。


 ハルのほうが驚きのあまり頭が働かない。


「どうやって来たんです」

「知りたい?」

「……」

「ハルなら素直に知りたいと言うところだよ。ねえハル?」


 分厚い膜がまた揺らめく。

 由良はハルを見て笑うと、瀬良に向き直る。ハルはその笑顔にほっとする。だが、瀬良を見た由良の目は笑っていなかった。


「洞窟を出るはずが突き落とされたときには、万事休すと思ったよ。けどま、あんたがしたのには気づいてた。ハルが俺のところに来たとき、ついてきた監視役……そいつが怪しかったからね。ちょーっと『お話』したら、あっさりあんたの名前が出たよ。だからあらかじめ、良峰兄に協力を頼んでた。あんたとともに舟に乗ったのは、俺たちの息がかかった神護りばかりだよ」


 ハルは今になって合点がいった。神護りたちはハルに弓矢を構えはしたが、なぜか瀬良を取り押さえるように動いていたのだ。すべて由良の策だったのか。


「それに、これは思わぬ副産物。あんたのおかげで、あの洞窟が曲島に続いてることに気づけたから、そこだけは感謝しておこうかな。それにしても、この小刀はハルの護身用に買ったはずなんだけど?」


 これまで聞いたことのない、冷ややかな声だ。

 しかし、ハルはそれよりも内容に目をみはった。


「神続きの道の真下は地下道らしいね。しかもびっくり、この道は名寄せの矢が安置されていた場所にも繋がってた」


 ハルの無言の驚きを受けて、由良が説明する。こんなときでも得意げで、じるとか怯むとかする様子が少しもない。


(……そうか、だからか!) 


 由良が突如として現れたように見えたのは、その地下道を通ったからなのだ。


「良峰兄にはすべて話してある。ここはこっちで片をつけるから、さっさと退場してくれない?」

「まがいになにができるものですか。兄上でなければ……」

「その『兄上』が俺に任せるって言ったんだよ。わかった? ……よくもこれまで俺を殺そうとしてくれたね」


 瀬良がはっとしてうなだれる。由良は彼から武器を取りあげ、別の神護りに引き渡す。

 瀬良たちが地下道に消えると、由良がハルに近づいた。その手には、名寄せの弓矢。フユが持ち去ったものだ。


 暴風に舞いあがった砂礫されきが目を直撃し、由良が顔を歪めて片手を頭にかざす。折れて鋭利な刃のような切断面の現れた枝が、その腕にぶつかる。


 折れた枝は由良の腕に刺さり、裂けた肌から血が流れ落ちた。


 枝だけではない。拳よりも大きな石が軽々と舞い、由良の体を痛めつける。


(由良、来るな! 主様、止めてくれ! 由良が死んでしまう! 指でも足でもなんでもいいから……動け!)


 ハルは意識を総動員して、末端の神経に命令する。


(動け! 由良を逃がせ!)


「ハル、聞こえる?」


 由良が、全身に傷を負いながら近づいてくる。笑みさえ浮かべて、優しい声で。

 ハルにはそれが恐怖だった。みずから死に近づこうとは。


(聞こえるが、いいから帰れ!)


 ハルが届かない叫び声を上げるのと、由良が名寄せの弓を構えるのは同時だった。


 矢が、ハルの心臓にぴたりと向く。


「――意味を、ずっと考えてた」


 ハルが息をのむ前で、由良が続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ