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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
六章 巫女は春の名を呼ぶ
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四.

「良平兄! 先に行ってくれ! 俺はハルを連れて出るから!」


 良平に腕を強く引かれたが、由良はその手をふり払い、きびすを返した。ハルへと足を踏みだす。


 とても目を開けていられない。さながら、見えない手に顔面を押さえつけられているかのようだ。


「主様が顕現すれば俺たちにできることはない! 今のあの御方は、もう『ハル様』じゃないんだぞ! おまえのほうが危険だ! 生き埋めになるぞ!?」

「でも放っておけないって!」


 背中越しに良平に返答して、由良はさらに踏みだすと平静な声でハルに話しかける。


「ハル、戻ってきなよ」


 今回の顕現は、あまりに突然だった。由良自身、まだ動揺がおさまらない。

 それでも何度かこの目でハルの変化を見てきたせいか、良平よりはいくらか冷静に対応できる。

 由良はあと一歩でハルに触れられるところまで近づくと、その場に膝をつきこうべを垂れた。


「主様、どうかお鎮まりください! 俺たちは、主様にあだなすものではありません」


 由良が恭順の意を示しても、ハルの目は由良を睥睨へいげいするだけ。

 普通の人間であれば、その視線に射られるだけで気をやってしまうに違いない。由良もそうなりかけるのを、すんでのところで耐える。


「ハルを返していただけませんか?」


 由良の袍がはためく。地面は小刻みに揺れ、由良はたたらを踏んだ。天井から砂がぱらぱらと落ちてくる。目に砂が入り、由良は手で乱暴に擦った。


【――縛っただけでは足らぬと?】


 地響きかと思う声が、頭の中に直接語りかけてくる。全身の肌が粟立った。震えが止まらない。


「主様?」


 空気が帯電したかのようにびりびりと肌を刺す。しかし、なにか奇妙な感覚がまじったような気もする。


(なんだ? 空気が、揺らいだような)


 思い返せば、由良が正体を隠したまま、ハルに同行した途中もそうだった。


 眠ったハルに荒ぶる神が顕現した、あのとき。たしか――。


「以前も主様は縛ったとおっしゃいましたね? 俺が、ひそかにハルの居場所を神護りに連絡しようとした日……しかしどういう意味です? ハルは最初から自分の意思で動いていましたよ。俺はなにも……っと!」


 石つぶてが額に当たり、由良はよろめいた。石は立て続けに額や頬や肩に当たり、由良は尻餅をつく。


「ちょ、見えるところの傷は困るって。ハル。こんなのあとで見たら、また自分を責めるでしょ」


 額からこめかみへ血が垂れる。額が割れたらしい。由良は手の甲で血を拭い、軽い口調を崩さずに抗議する。


「ハル、そろそろやめな? こっちがハルには関係ないって言っても、どうせあとで落ちこむんだから」


 返事はない。代わりにどん、とハルが背にした湖から水柱が噴きあがった。いよいよ大地が咆哮をあげて裂けていく。


「由良! お前がどうこうできる相手じゃない! ここが崩れる前にこっちへ!」


 入口に近い側にいた良平もまた、背筋が総毛立つほどの神気と吹き荒れる風に押し潰され、地面にうずくまっている。

 良平はなおも立ちあがろうとしたが、一歩と踏みださないうちに神気に当てられてふたたび叩きつけられた。


「これ以上は無理だ、早く……! 主様なら俺たちがいなくても」

「そういう問題じゃないって……!」


 由良は苛々と良平を遮る。


「良平兄は先に行ってくれ! 全員が生き埋めになる前に、助けを!」

「……ッ」

「助けを呼べ! 早く!」


 良平はためらいを見せたが、とうとう駆け去る。由良は、良平の背を見送るまもなく、ハルに向き直る。

 ハルの袴の裾がはためき、白銀の髪がなびく。


 その姿は、こんな局面だというのに、この世のものとは思えないほど美しい。由良は一瞬、見惚れた。

 また轟音。心臓を素手でつかんで揺さぶられるような気分だった。天井が今にも崩れかけ、壁のあちらこちらに亀裂が生じる。


「ハル! 駄目だって……言っ……!」


 いよいよ余裕がなくなるのを感じつつ、由良は風に抗いハルに向かって限界まで手を伸ばす。

 白衣の袖に、由良の指先がかすめたときだった。


「ちょっ!?」


 いっそう大きな地響きとともに、地面にめりめりと裂け目が走り、由良は飛び退いた。ハルにかすめたはずの手が空をつかむ。


「世話の焼ける……! って、おっ?」


 黒い影が由良の脇をすり抜けた。

 鼓膜を破りそうな音で裂け目を広げる地面を、華麗に跳躍する。先に洞窟を出たと思っていたフユだ。


「みゃああ!」


 フユはハルの肩に飛び乗ると、ハルの耳の後ろを勢いよく引っ掻いた。

 ハルの神気が弱まり、体が前にかしぐ。


 由良はすかさずハルの衣を引っつかみ、自分の元に引き寄せた。勢いで地面に背を打ちつける。

 地面が聞いたこともないような音を立てて引き裂かれる。


 息をのむまもなく、水柱の水が湖面に叩きつけられる。ハルも由良も、殴打される勢いで頭から水を被った。


 その音を最後に、地鳴りが止んだ。


 傷口に水が染みる。痛みに顔をしかめておそるおそる目を開けると、ハルの顔が真正面にあった。黒い髪の先から、水滴が由良の首に流れ落ちた。

 目は閉じられているものの、顔色は悪くない。


「でかしたな、フユ! 今夜は小豆をいつもの倍は食わせてやろうな。胡桃くるみもつけるけど、どう?」


 天井からはまだ砂が落ちてくるが、幸い空気の流れは感じられた。入口からの光も、微弱ながら差しこんでいる。なんとかぎりぎり塞がれずにすんだようだ。


「ふう……」


 ハルはまだ深く眠っている。荒ぶる神を顕したあとはいつもこの調子で、一晩はこんこんと眠り続ける。経験はしていても、落ち着かない。


 額に張りついていたハルの髪を撫でつけ、耳にかけてやってから、由良はハルの体を自分の膝に抱え直した。地面は水浸しだ。


 フユが一心にハルの手をぺし、ぺし、と叩く。


「なんだ? フユ、ハルの手なんか……ああ、それか」


 フユが叩いたハルの手から、翡翠が転がり落ちた。由良はそれをつまみあげる。


「みゃーあ!」

「フユ! それは胡桃じゃないって。おい、待てフユ、戻っておいで、フ……」


 落ちた矢じりを咥えて走り去るフユを呼び止めようとした由良は、入口のほうで岩が動く気配を感じて口をつぐんだ。

 由良はハルを担ぎ、入口のすぐ内側にある岩の影まで足音を立てずに近づくと、ハルをそっと横たえた。腰に佩いた太刀を鞘から抜く。


 狭い入口のほとんどを塞いでいた岩がどけられる気配がする。


「由良……由良」


 厚みのある声は、良平のものだ。由良は息を吐き、太刀を納める。


「良平兄、ここだ」


 早かったなと思いながら、岩の向こうに声を張る。「待ってろ」という声とともに、岩を動かす複数の掛け声が耳に届く。


 しだいに洞窟へ差しこむ光の量が増える。とうとう、ひとが通れるほどの隙間が開き、良平が顔を出した。


「無事か? 主様はお戻りになったか」

「主様じゃなくてハル、ね。ふたりとも無事だよ。ただ、ハルは意識を失ってる」

「わかった、先にハル様を引きあげよう」


 由良は同意して岩の折り重なった坂を降りると、ふたたびハルを担いで入口まで戻る。フユもついてきた。

 ハルを担いだままで通れるほどの隙間はない。由良はハルを隙間から出し、良平に渡す。フユが矢じりを咥えたまま、あとに続く。


 由良も良平の手を借りて頭を隙間にねじこんだ。上半身をどうにか洞窟の外に出す。


「人手を呼んでくれて助かったよ、良平兄」


 そのときだった。頭に鈍い衝撃を受け、由良の意識は強制的に暗闇に沈められた。

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