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神依る巫女の反逆 水穂国事変  作者: 白瀬あお
五章 まこと神を分かつもの
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六.

 嘆息して「来い」と背を向ける。やはりそうか、と由良は表情を歪めた。


 良峰は詰所の敷地内の、もっとも大きな建屋に向かう。由良もあとを追った。

 詰所と遠坂の屋敷の行き来が難しくなった父親は、今はもっぱら詰所で暮らしている。世話をするのはすぐ上の兄である瀬良だ。


 由良自身は、水穂宮の詰所に足を踏み入れるのはこれが初めてである。由良を遠坂家に引き取った当人であるというのに、父とも片手で数えるほどしか顔を合わせたことはない。


 床を高く上げた建物の軒下をぐるりと囲む縁側に沿って歩く。良峰は奥の間まで来ると、襖戸を開けず縁側に腰かけた。おそらく中には父親がいるのだろう。


 どうやら、良峰は由良を父親に会わせる気はないらしいが。


「いつから気づいていた?」

「巫女が崇められるような存在じゃなく、ただの生贄だって? そうだな」


 由良は良峰からたっぷりふたり分の間隔を開けて、縁側に腰を下ろす。

 おかしいと最初に思ったのは、ハルの話を聞いたときだった。


「主様が巫女から出ていかれるのは、巫女が死んで代替わりが行われるときだと、ハルは言った。自分は死期が近いらしいとも、ね。だけど、俺が見る限り彼女は健康体だ。矢傷は受けたけど、治りも健康的な成人の平均よりも早いくらいだった」


追っ手の矢を受けたハルは足に矢傷を負った。普通であれば、しばらくは歩けないほど傷は深かった。


 しかしハルは痛がりながらも歩き、名波の村を出るころには舞を舞えるまでに回復していた。本人の強靱きょうじんな精神力とよい薬のおかげなのは間違いない。とはいえ、これが寿命間近の人間ならば、いくらよい薬があっても回復はままならないものである。由良自身の母親がそうだった。


「そこへ、代替わりを早める話がきて確信したよ。つまり、代替わりに巫女の寿命は関係ない」


 当然、寿命が先にきて代替わりする場合もあるだろうが、それはまた別の話である。


「その上でさ。寿命と無関係に代替わりが行われるなら、さらに疑問が浮かぶ。俺たちは……少なくとも俺と民は、誰もこれまで役目を終えた巫女のその後を知らない。国のために体を張って荒ぶる神を鎮めた巫女なんだから、国をあげて埋葬してもいいのに、埋葬されたかどうかさえ知らされない。なぜか? ってね」


 彼女が話を聞いたという神護りは、なぜ巫女の死と代替わりを関連づけたのか? という疑念もある。


 これらを考え合わせれば、行きつく結論はひとつしかない。


「巫女は代替わりの際に、主様にわれるんだろう。――最初から最後まで、生贄だ」


 巫女に決まれば、ひとり曲島でその身をもって荒ぶる神を鎮め、次の巫女が決まれば、文字どおりその身が荒ぶる神への供物になる。


 良峰はなにも言わない。だが、その表情で由良は自身の推論が正しいと知る。


「知ってるのは遠坂の人間だけ? 誰も口にしないのは、神護りにとって都合が悪くなるからでしょ」


 代替わりを円滑に行う上で、生贄という言葉は邪魔でしかない。

 だから巫女となる娘は、最初から人間とは異なる存在として周知される。異質な存在であれば、荒ぶる神に差しだしても罪悪感を持つ必要がないからだ。むしろ喜んで差しだす者もいるだろう。

 差しだすことによる恵みへの期待はもとより、もともと人間は異質なものを本能的に恐れ、遠ざける生き物である。


 ときには、と良峰が口を開いた。


「数年という短い間隔で次々に新しい巫女を差しださなければ、今の水穂国は安寧を保てない。娘が多数、喰われるなどとは知らないほうがいいと思わないか」


 だから生贄である事実はその言葉ごと伏せ、巫女は崇められる存在だという部分にだけ光を当てる。

 そうやって人々の目を逸らし、巫女を進んで差しださせる。鎮めの巫女に選ばれるのは素晴らしいことだと思わせる。


「お前も忘れたわけではないだろう、先の災厄を。我々は多くのものを失った。それに比べれば娘の命ですむのは安い」


 良峰は由良が言い返さないのをどう思ったのか、さらに続けた。


「ともあれ、そう遠くないうちに主様は巫女を喰いたがる。これまで二十歳を越えて生きた巫女はいない。近いうち、代替わりの儀は避けられないのだ。今回は変事が続いたが、主様も新しい巫女に依り替えをなさればお鎮まりくださるだろう。巫女様とて、主様に喰われるのは本望であろう」


 曲島に長く留め置かれれば、やがて自身の境遇に諦めと悟りを得るようにもなる。どこにも行けないのなら、いっそ喰われることを望んでもおかしくない。

 良峰はそう言いたいのだ。


「……さっきのハルの話、聞いたでしょ。ハルは生きたがってる」


 声が勝手に険しくなった。


「生かした結果、国が滅べばどうする。代償は計り知れない。お前も遠坂に生まれたなら、ひとりより国を救う道を選ぶべきだと理解できるはずだ」


 自分を遠坂の人間だとは認めていないくせに、という思いを、由良はぐっとのみこんだ。


「だからハルはその意も汲んだ上で、国も自分も助かるための協力を頼んだでしょ」


 良峰が困惑した風に視線を泳がせる。

 それは良峰には珍しい、心の揺らぎだった。


「あの娘は……ふしぎな娘だな。神護りに望みを阻まれても、神護りを受け容れると言う。愚かなのか、なんなのか」

「度量が大きいんだよ。俺には真似できない。猪突猛進なのは困りものだけど」

「ぶつかられる側としては、早く退いてほしいものだ」


 良峰の言葉は実感に満ちたものだろう。しかしこれまでとは違い、好意的な雰囲気が感じられる。

 猪突猛進と評されたハルを思って喉の奥で笑うと、良峰がふいに声を改めた。


「……お前も笑うのだな」

「何度も死ぬような目に遭わされて、笑えるわけがないでしょ」

「死ぬような目に遭ったのか?」

「よくも平然と言えるね」


 由良は鼻白んだ。ハルは「受け容れる」と言ったが、由良はこの兄を受け容れられる日が来るとは思えない。目的のためと割り切って付き合うのが精いっぱいである。


「嘘も欺瞞ぎまんも、ハルにはないから楽なんだよ。いつのまにか気が抜ける。笑えるのはそのせいだよ」


 それでも、もしも由良が良峰を受け容れる可能性があるとしたら。受け容れることはできなくても、歩み寄れる一点があるとしたら。


 その一点にいるのは、ハルかもしれないとふと思う。


「だから、豆とハルを寄越してくれたことには感謝するよ」


 良峰は押し黙り、やがて縁側から立ち上がった。視線は遠くに向けられている。

 その先には現在では倒壊してしまった、かつての正殿――大君のおわす場所がある。


「……私は、神護りだ。お前とは違う。娘ひとりで確実に国を救えるなら、私はそちらを選ぶ」

「ああ、そう。……変わらないんだ」


 由良は少しでも良峰に期待した自分に苦笑した。この様子では、どれだけハルに心動かされようと、良峰は考えを改めない。


 だが由良も、分かり合えないならと屋敷から逃げたころとは違う。ハルのようにどこまでもまっすぐ――とはいかないが、由良には由良のやりかたがある。


「けど、実際問題として矢が偽物では良峰兄も困るでしょ。仮の協調体制くらいは組めるんじゃない?」


 言いながら、由良はまた苦笑した。

 なぜこうも自分はハルに肩入れしてしまうのだろう。





 由良が自分の心の変化に苦笑いしたころ。


 ハルが弓矢を手に遠坂の屋敷に戻ると、絢乃が木のものさしを手に豆の採寸をしていた。


 両手を広げた豆の袖丈を絢乃が丁寧にはかっていく。ハルも君代に教わって縫い物をしたのを懐かしく思い出す。まるで上達しなかったが。


 君代はどうしているだろう。タケルは健やかに育っているだろうか。村の者たちの、親しみよりも畏怖がくっきりと表れた目が頭をよぎる。ハルはまたたきをして、その残像を散らした。


「ハル、遅かったな! 由良は一緒じゃなかったのか? 良峰はなんの話だった」


 しばらく声をかけずに眺めていたら、豆が先に気づいてハルに手を振る。絢乃もこちらを向いた。


「由良は神護りの詰所だ。兄弟で水入らずの話があるのだろう」

「うそだー。これまでそんなこと一度もなかったぞ」


 豆が腕を振った拍子に、絢乃が当てたものさしが落ちた。絢乃が「まあ」とおっとりした様子で拾う。


「ならば由良は成長したのだな。ところで豆も成長したのか?」


 衣を新調するのだから、成長の意味合いは違うが。しかし、体の成長とは関係ないという。


「豆はまもなく元服なので、衣の準備をするのです」

「衣というと神護りのか」

「はい。豆もいよいよ正式に神護りの一員になります。薄墨の袍に白袴姿に変身するんですよ」


 絢乃の言葉の選択は独特だと思いつつも、ハルは指摘せずにいたのだが、豆が抗弁した。


「かかさま、おれ別に馬とか猫とかに変わるわけじゃないからさあ、変身ってのはやめてくれよ」

「まあ、まあ」


 目を細めて手を動かす絢乃は、しごく嬉しそうだ。たっぷりと幅のとられた薄墨色の布を豆の体に当て、目印に針を刺す。その顔は誇らしそうですらある。それもそうだろう、とハルは君代をまた思い出す。子を産むのは命がけである。


 やっと生まれた子も、病や飢え、寒さなどであっけなく命を落としていく。元服を迎えられるのは、ことのほか大きな歓びだろう。


「ハル様、この髪型も今だけなんですよ。呼び名も、元服したら実名を使いますし」


 豆という通称は幼名だ。以前、ちらりと話をされた覚えがある。

 実名は生まれると同時に授けられるが、通常その名は成人を迎えるまで伏せられる。ということは、ハルがつけたタケルの名も、成人まで伏せられるのだろう。


 名には力がある。その力が奪われ、子が弱るのを防ぐため、むやみに明かさないのである。

 無事に元服を終えて初めて、実名を口にできるらしい。


「では、豆と呼ぶのもあと少しなのか。惜しいな」


 愛おしく名残惜しい。ハルは豆の頭を撫でたが、豆はかえってご機嫌斜めになってしまった。


「おれは早く実名で呼ばれたいぞ! 豆なんかまるきり子どもだろ。好いた女に呼ばれたくない」

「まあ……! 豆には好いたひとがいるの?」

「かかさま、おれもう成人だよ? いるのが普通じゃないか」


 だから、袖丈も裾も長めにしてくれよ、あっというまにいい男になるんだから――と豆が絢乃に念を押す。


 ませた子どもだ、とハルが笑いをかみ殺していると、由良と良峰が揃ってやってきた。由良はいつもの笑顔で、良峰はしかめ面。わだかまりが解消したのではなさそうである。


 良峰が豆を下がらせる。豆は、また自分だけ除け者かと憤慨しながら出ていった。


「さて、鎮めの巫女様。我々は早急に本物の矢じりを見つけなければなりません。……神弓・神矢はどちらに?」

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